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津波と災害に関するfazz0611のブックマーク (2)

  • 東日本大震災:大規模「磯焼け」の恐れ 三陸沿岸 - 毎日jp(毎日新聞)

    津波の被害状況を調査する岩手県水産技術センターの後藤友明・主任研究員(左)=同県釜石湾沖で2011年4月22日、奥山はるな撮影 アワビやウニの好漁場だった三陸沿岸の海中で、海藻が枯れて荒れ果てる「磯焼け」が大規模に発生する恐れがあることが、岩手県の調査でわかった。津波で押し流された大量のがれきや土砂が日光を遮り、海藻を枯らすのが原因。三陸の浜には「津波の後5年は、海からアワビやウニが消える」という言い伝えがあり、専門家は「漁場の復旧に5~10年かかる」とみている。【奥山はるな】 「相当ひどい」。22日、大船渡湾の被害状況を調べた岩手県水産技術センターの後藤友明・主任専門研究員は船上でうなった。家屋が波間に浮き沈みし、転覆船などから流れ出た重油が漂う。漁協が数億円かけて設置した定置網に養殖いかだが絡まり、くしゃくしゃになって流されていた。 魚群探知機で海中を調べると、がれきとみられる多数の物

  • 東日本大震災:先人は知っていた 「歴史街道」浸水せず - 毎日jp(毎日新聞)

    東日大震災に伴う津波で大きな被害を受けた仙台平野で、浸水域の先端が、江戸時代の街道と宿場町の手前に沿って止まっていることが、東北大の平川新教授(江戸時代史)の調査で確認された。仙台平野は400~500年おきに大津波に見舞われており、街道は過去の浸水域を避けて整備された可能性が高いという。平川教授は「先人は災害の歴史に極めて謙虚だった」と話し、今後の復旧計画にも教訓を生かすべきだと提言する。 国土地理院が作製した東日大震災の浸水図に、平野を縦断する奥州街道と浜街道を重ねたところ、道筋の大部分と宿場町が浸水域の先端部からわずかに外れていたことが分かった。宿場町の整備後に仙台平野を襲った慶長津波(1611年)では、伊達領で1783人が死亡したとの記録が残る。平川教授は「慶長津波を受けて宿場町を今の位置に移したとも推察できるが、今回の浸水域と比べると見事なほどに被害を免れる場所を選んでいる。津

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