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労働とメンタルヘルスに関するfuji_hajimeのブックマーク (4)

  • 余りに典型的な「がんばり過ぎて潰れちゃった人」を眼前で見た。: 不倒城

    隣の部署だけど。 どうすれば良かったんだろうなあ。というか、私にはどうにか出来たんだろうか。 元気の良い挨拶をする人だった。歓迎会の飲み会の席ではあちこちに酒を注いで回っていた。年は、正直よく知らないが、多分私と同じかちょい下くらいか。20代だと思う。 隣の部署の部長さんに、「役員から振られた仕事、期間に対して決してNOといわない」「それをそのまんま部下にブン投げする」という傾向があるのは前から分かっていた。余計なことだろうなあと思いつつ、割と面と向かってその辺を指摘したこともあったが、返ってくるのは苦笑だけだった。自覚がない訳がないし、その人にはその人の事情があるのかも知れない。だからいいって話でもないが。 ある程度その辺の事情を把握している隣の部署の部下の人々は、適度に「無理です」を返して自分の裁量内で仕事をバランシングしていた。残業時間が社内トップな部署であることに変わりはなかったが

  • 休まない、休ませない - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

    ああ、嫌なものを読んだ。 クラス全員、欠席させない――。千葉県立一宮商業高(一宮町)から県立勝浦若潮高(勝浦市新官)に1日付で赴任した鈴木幹男教諭(36)のモットーだ。一宮商で一昨年度担任した3年生、昨年度の1年生と2年続けてクラス全員1年間欠席ゼロを達成。勝浦若潮高でも「学校を休むな」と指導するという。  「社会に出ると、少しぐらい体調が悪くても仕事を休めない。学校で休まないことを身につけさせたい」 http://www.asahi.com/edu/news/TKY200904200295.html まず思い出したのは夫のことだ。うつ病をやみ、数ヶ月の通院加療の後、どうしても耐えがたくなった夫はある日意を決して上司相談した。うつ病のことを打ち明け、病気休暇を取り、自宅で療養したいといった。少なくともわたしは彼からそう聞いている。上司はいった「なあ、もうちょっと頑張れんか」。 一週間後に

    休まない、休ませない - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake
  • 大学院はてな :: うつ病発症から3年の休職を経てなされた解雇の可否 - 博物士

    研究会にて東芝〔うつ病・解雇事件(東京地裁判決平成20年4月22日労働判例965号5頁)を検討。 液晶工場で働いていた技術者Xがライン立ち上げの責任者となり,約5か月間にわたり法定時間外労働が月70時間に及ぶ長時間労働に従事した。会社Yはこのことを関知しうる状況にあり,産業医によって実施される「時間外超過者健康診断」をXは複数回受診していた。 平成13年の夏になってXは頭痛を訴えるようになり,「抑うつ状態」と診断されて療養に入った。Y社には業務外の疾病について長期欠勤の制度があり,Xの場合は15か月の「欠勤」+20か月の「休職」を利用した。 Y社では「メンタル不調者の職場復帰プログラム」が策定されている。Xの場合,おおむね3か月に1度の割合で上長と面談をし,約3年間の間に20回以上に渡って臨床心理士のカウンセリングを受診させる機会を設けていた。 平成16年6月,Yの産業医は「復帰プログラ

    大学院はてな :: うつ病発症から3年の休職を経てなされた解雇の可否 - 博物士
  • メンタルヘルスの知識がない上司が壊した部下の心 | 会社で心を病む | 東洋経済オンライン

    私がある企業で産業医として働き始めた頃は、今ほどうつ病が社会的に認知されていませんでした。「精神がたるんでいるからだ」とか「気合いが足りない」など、根性論が当たり前のように語られていました。また、当の人も自分がうつ病ということを認めたがらないことが多々ありました。 そんな時代に、私が経験したあるビジネスマンのお話を紹介しましょう。彼は30代後半のビジネスマン。大学時代はラグビーをしていたというだけあって、仕事のやり方も体育会系。「やればできる」の精神で仕事をこなしていました。そんな彼に栄転の話が舞い込みました。大阪支社から東京社への異動と同時に、課長に昇進するというものです。と幼稚園に通う娘の3人で東京に引っ越し、新たな生活が始まりました。 社に勤務して半年もした頃でしょうか。彼の様子がおかしくなったのです。朝なかなか起きられず、新聞も読まなくなった。土日もベッドにもぐり込

    fuji_hajime
    fuji_hajime 2007/06/27
    「俺はなったことないけん、よーわからんけどな」とはウチの上司のコメント。会社そのものが倒れることはないだろうけど、今に総崩れ起こすぞありゃ。
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