半世紀前、柏と我孫子両市にまたがる手賀沼を開発して一大レジャーランドを造る計画があった。「手賀沼ディズニーランド」ともいえる壮大な構想で、その資料が柏市郷土資料展示室(沼南庁舎)の手賀沼の歴史展で初公開されている。 この計画が持ち上がったのは1959年。手賀沼を東京五輪のボートレース場として柏市、我孫子町、沼南村(柏市)の3市町村が誘致運動を始めた頃だ。 ボート場誘致には失敗したが、翌60年に開発のための会社「全日本観光開発」が発足。会長に元都知事、社長に東京都競馬会社会長が就任し、取締役に後楽園社長や東武鉄道社長らそうそうたるメンバーが名を連ね、「手賀沼のディズニーランド」ともいえる一大遊園地計画を発表した。 事業計画書では、用地は買収予定地と埋め立て造成予定地の計約30万坪(約99ヘクタール)。ヘルスセンターをはじめ、ジェットコースターや宙返りロケットなどの娯楽遊戯施設、陸上競技
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