J1柏ネルシーニョ監督が辞任の意向 2013年8月31日 J1柏のネルシーニョ監督が31日のJリーグ、鹿島戦後に辞任の意向を述べた。会見の席上で「私にとって最後のゲーム」と切り出し、試合後は選手とのミーティングで伝えたという。 さらに、「きょうの試合で決めた訳ではない。9、10位にいてはいけない。首位にならなくてはならない」と辞任の理由を説明した。突然の辞任を知らされた柏のエース・工藤は「僕の口からは何も言えない」と話した。
文部科学省は、日本の主力ロケットH2Aの後継機の開発に乗り出す。衛星打ち上げビジネスへの本格参入を目指し、打ち上げ費用はH2Aの半分をめざす。来年度予算の概算要求に設計費など70億円を盛り込んだ。日本の大型主力ロケット開発は18年ぶりとなる。 トピックス「H2Aロケット」 液体燃料を使う3段ロケットで、中型から大型の衛星打ち上げが可能。開発期間は7〜8年、開発費は計1900億円を見込む。宇宙航空研究開発機構(JAXA)などによる「H3」の構想をもとに開発する。 また、来年に打ち上げをめざしている小惑星探査機「はやぶさ2」の開発費126億円も盛り込む。 続きを読む関連記事たった0.07秒に翻弄 イプシロン、再挑戦は9月早々8/30イプシロン打ち上げ「9月の早い時期に」 下村文科相8/30イプシロン打ち上げ「9月1日以降に決定」 JAXA8/28イプシロン、姿勢異常示す信号 打ち上げ直前に
【動画】佐賀市の業者と佐賀大が「発光ジェル」を開発=大野宏撮影「発光ジェル」の説明をする発光技研の小島社長=佐賀市 【大野宏】蛍光色に光る「発光ジェル」の開発に成功したと、佐賀市の発光技研(小島十一社長)と佐賀大が30日、発表した。発光する原理はコンサート会場などで使われるケミカルライトと変わらないが、ジェル状にするのが難しかったという。災害時やアート、教育での活用が期待されるという。現在、国内特許を申請中。 発光技研は、酸化剤と蛍光剤を混ぜ合わせ、化学反応を起こすことで発光する溶液を扱っている。ただ、溶液は壁面に塗ると垂れ、土砂や枯れ草には染みこんでしまうのが難点だった。 7年ほど前からジェル状にしようと取り組んできたが、粘性を増やす薬剤を混ぜて発光性を保つのは容易ではなかった。 続きを読む最新トップニュースこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログイ
連載・ブラジルW杯を狙う刺客たち(6)~鈴木大輔(柏レイソル) 「自分は客観的に物事を見る方というか、たぶん、疑い深いんだと思います」 東アジア杯で代表デビューを果たした鈴木大輔(柏レイソル) 鈴木大輔(柏レイソル、23歳)は落ち着いた話し方をする。老成しているのか、対話においては猜疑心の強さも感じさせるが、そこに狷介(けんかい)さはなく、陰気でもない。生来的に思慮深い青年なのだろう。ただ、熱っぽいタイプが多いサッカー選手たちに混ざると、どこか大人びた印象がある。 「失点シーンを振り返るのは結果論の面もあるんです。でもディフェンダーとしては、"同じようにやられないように"とは常に考えていますね。飛び込みすぎて入れ替わられた、寄り過ぎちゃった、とか、敵や味方との間合いには気をつけています。距離感はすごく大事。そこでの判断の積み重ねが結果に大きく作用してきますから。なので、試合が終わると、頭が
トウカイテイオーが急死 25歳、急性心不全か 1年に及ぶブランクを乗り越え、1993年有馬記念を優勝したトウカイテイオー(右)(左は2着ビワハヤヒデ) 無敗で1991年の皐月賞、ダービーを制し、93年有馬記念での奇跡の復活Vなど、数々のドラマを演じてきたトウカイテイオー(牡25歳)が30日、種牡馬としてけい養されていた北海道安平町の社台スタリオンステーションで死んだ。原因は急性心不全とみられている。同馬は、G1・7勝を挙げた父シンボリルドルフの最高傑作として競馬ファンを魅了。95年から、種牡馬生活を送っていた。 競馬史上に残るスーパーホースが、この世を去った。30日午後3時半頃、社台スタリオンステーションの放牧地から厩舎に戻ってきたトウカイテイオーは、馬房の中で倒れ、そのまま息を引き取った。 原因とみられるのは、急性心不全。詳細については、病理解剖で後日明らかになるが、種牡馬生活で病気にな
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トウカイテイオー逝く…25歳、心臓まひ 3枚 91年ダービーでシンボリルドルフとの父子制覇を達成するなどG1・4勝を挙げたトウカイテイオーが30日、心臓まひのため急死したことが明らかになった。25歳だった。けい養先の北海道・社台スタリオンステーションでは今年も種付けを行っており、関係者によると特に前兆もなく、それまでは元気だったという。 現役時代は安田隆行騎手(現調教師)とのコンビでデビューから進撃を続け、無傷の6連勝で皐月賞とダービーを制覇。ダービーのレース中に骨折したため父(84年)に続く3冠制覇の偉業達成はならなかったが、同年の年度代表馬に輝いた。 メジロマックイーンとの一騎打ちに沸いた翌92年の天皇賞・春で5着に敗れ初黒星を喫したあとは、度重なる故障によりレースを走ったのは4戦だけ。同年のジャパンCで復活Vを成し遂げたが、次戦の有馬記念は11着に惨敗するなど成績は浮き沈みが大きかっ
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