タグ

2006年1月9日のブックマーク (7件)

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    帰省、寿司、陶芸体験 8/13(火) の実家の墓参りへ行き、俺の実家へ帰省。風呂に入る前に子供達と外で水鉄砲で水を掛け合いびしょ濡れになる。最後のほうはどうにでもなれと思い、ホースやバケツで直接水をかけ合う。久しぶりの大胆な遊び方に子供たちは大声をあげながら騒いでいるが、田…

    はてなブログ | 無料ブログを作成しよう
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2006/01/09
    「死者に対する呼びかけと、今この場にいない者に対する呼びかけと、いったい何が違うというのか。」
  • やまいだれに合わせろ ~ 熟語部首統一作戦 ~

    やまいだれに合わせろ ~ 熟語部首統一作戦 ~ 芥川龍之介著『侏儒の言葉』を読んでいたら「麻痺」を「痲痺」と表記してあるのを見つけまして、「これだ!」と漢字好きの心が沸き立ったわけです。やはり部首が合わせてあると熟語としての見栄えもよくなるというもの。 例えば「膨張」よりも「膨脹」とか、「発酵」よりも「醗酵」とか。あと工場の看板などで「板金」を「鈑金」と書いてあったりとか。 探してみたところ、以下の例が見つかりました。 愛欲 → 愛慾 隠滅 → 湮滅 温和 → 穏和 海里 → 海浬 壊滅 → 潰滅 活発 → 活溌 肝心 → 肝腎 境界 → 境堺 訓戒 → 訓誡 決壊 → 決潰 肩甲骨 → 肩胛骨 鉱石 → 礦石 枯渇 → 涸渇 骨格 → 骨骼 混交 → 混淆 根底 → 根柢 砂漠 → 沙漠 死没 → 死歿 車両 → 車輛 集荷 → 蒐荷 巡回 → 巡迴 船倉 → 船艙 台風 → 颱風 暖炉

  • 踊り字 - Wikipedia

    漢字のように見えるが、あくまで反復記号の一種であって漢字ではなく、固有の読みはない。 同じ漢字を重ねるときに、2文字目以降の文字の代用として用いられる。 時時 → 時々(ときどき) 刻刻 → 刻々(こくこく) 明明白白 → 明々白々(めいめいはくはく) 赤裸裸 → 赤裸々(せきらら) 代代木 → 代々木(よよぎ) 複複複線 → 複々々線(ふくふくふくせん[注釈 1]) 小小小支川 → 小々々支川(しょうしょうしょうしせん) 「公演会々場」のように使われることもある。特に、結婚や葬式に関しては、同じ漢字を直接繰り返すことは、再婚や不幸の繰り返しを連想させ縁起が悪いため、「結婚式々場」、「告別式々場」と表記することが多い。 二字以上の熟語を重ねるときにも使うこともある。 部分部分 → 部分々々 後手後手 → 後手々々 一歩一歩 → 一歩々々 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏 → 南無阿弥陀仏々々々々々

    踊り字 - Wikipedia
  • ジテンフェチの漢字Blog:《17》「々」

    和製漢字の鉄人ジテンフェチが漢字の蘊蓄を話します。ブログの内容が硬いので、デザインぐらいは、かわいいのをと思い、変更してみました。GoogleRank4の漢字ブログです。 この字は、何と読むかというような質問があるたびに回答するとともに、他のサイトでも度々引用されてもいるので、これ以上触れる必要がないかと思っていたところ、漢字の雑学で、明治時代に作られたなどといっていたので、取り上げることとした。 何と読むかなど基礎的なことを知りたい方は、前半の方を、江戸期までに実例があることを知りたい方は、後ろの方を見ていただきたい。 同じ漢字が続くときに使われる記号。苗字や地名にも使われるが、特定の読みはなく、和製漢字(国字)とはいえないであろう。『大漢和辭典』に「同一文字疊用の記號」、『中華字海』に「音義待考。字出《北大方正漢字内碼字典》」とある。北大とは、北京大学のこと。日向けの書籍に使われる

  • http://hccweb1.bai.ne.jp/~hci59701/ukiyoarekore/tyon.html

  • 福島中央テレビ ちょっと便利帳 - 記号の種類・名称

  • もじくみ仮名・ご使用になる前に

    好むと好まざるとにかかわらず、明朝体は日語組版の基書体としての地位を保っています。 明朝体という書体様式は、木版印刷用の書体として中国の明あるいは宋の時代に開発されたものだと思います。中国の木版用書体を、最初に近代活版印刷術にのせたのは開発国の中国ではなく、十九世紀のヨーロッパの東洋学者やキリスト教宣教師たちでした。漢字を活字化するにあたって彼らは中国での正統的書体である楷書を採用せず、それよりももっと形式化された明朝体(この名称が使われだしたのは明治九年ごろで、それまではただ活字とよんでいたと思います)を使ったのは、彼らの基書体であるローマン体と似かよった書体様式であったからだと思われます。 東洋学や伝道活動の進展にともなって組版に必要な各種サイズの明朝体が次々に開発され、それらは欧米人の中国進出拠点の一つである上海に集積されていきました。上海に集積された明朝体は、明治二年一一月美