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ブックマーク / hadbap.tea-nifty.com (3)

  • 音楽の力とは? - アカショウビン通信

    何度書いても書き尽くせないのが音楽を聴いて、それを文字にすることだ。ネットを彷徨っていたら以下のブログの文章に遭遇した。引用されている一文が全集の中に収載されているかどうか不明。しかし、一人の音楽好きの一端が明らかになっている。失礼して転載させて頂く。この一文を介して小林秀雄という稀有の批評家の姿を垣間見る思いがする。 昭和二十六年の秋、ユーディ・メニューインは、戦後初の大物演奏家として初めて日を訪れた。ヴァイオリニストとしては、昭和十二年一月に訪れたミッシャ・エルマン以来、実に十四年ぶりの出来事であった。彼を招聘した朝日新聞の当時の記事を追っていくと、来日決定を知らせる第一報が昭和二十六年二月十八日の朝刊に出て以降、九月十六日の羽田到着まで、再三にわたって、メニューインの近況を知らせる記事や、彼から寄せられたメッセージなどが伝えられており、主催者側の報道とはいえ、日の聴衆が如何にその

    音楽の力とは? - アカショウビン通信
  • 小林秀雄の語り - アカショウビン通信

    昨年パソコンが暴走し別なブログを作ったのだが、そちらへの書き込みが出来なくなったので、こちらに少しずつ転載していく。最近は物忘れがひどく持病に加え痴呆症も進行している気配も感じる。ブログが更新できなくなる前に思考をできる限り継続していけるように別ブログでの昨年の書き込みを再掲する。 小林秀雄の講演集を聴いた。「信じることと考えること」と題された昭和49年8月5日の鹿児島県霧島でのものだ。柳田国男の「山の人生」の序文を引用して話す、二人の子供を殺した炭焼きの囚人の話にはあらためて慄然とする。文章でなく小林秀雄のナマの言葉として聞くとさらに。 柳田は当時の自然主義の作家たちが他愛ない恋愛小説の如きものを書いて得意になっているのをみて彼らに「柳田さんは、何をしているんだ諸君は、と言いたかったんだと思うよ」と小林は言う。これが人生なんだ、自然主義文学なんか単なる言葉じゃないか、と小林は激し吐き棄て

    小林秀雄の語り - アカショウビン通信
  • 歴史的仮名遣い - アカショウビン通信

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