20世紀中期の1960年代、東京オリンピック以降グラフィックデザインが「商業」に支配された所有物となる。 ずいぶん長い間、グラフィックデザインが《創造行為》である、ということを忘れていたような気がする。ここ20数年、私にとってのグラフィックデザインは常に《メシのタネ》であり、商品であり、依頼主の期待に答えるものして、テキストを蠱惑的に翻訳すること、そしてそれらによって次の《メシのタネ》へ繋ぐものであり続けてきた。それがプロのグラフィックデザイナーだと何の疑いもなくそう思ってきた。 だが先日の大竹誠氏の《すべてのひとのためのデザイン――自由デッサンのひろがり》に触れ、久々に「グラフィックデザインは《創造行為》である」ということを思い出させてもらったように思う。 3月29日からは銀座の《ヴァニラ画廊》というところで《キムラ・グラフィック《ルビ》展》という故・木村恒久氏の回顧展が催される。なぜ訪
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