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ブックマーク / marginalreview.cocolog-nifty.com (17)

  • 20世紀中期の1960年代、東京オリンピック以降グラフィックデザインが「商業」に支配された所有物となる。 - マージナルレビュー

    20世紀中期の1960年代、東京オリンピック以降グラフィックデザインが「商業」に支配された所有物となる。 ずいぶん長い間、グラフィックデザインが《創造行為》である、ということを忘れていたような気がする。ここ20数年、私にとってのグラフィックデザインは常に《メシのタネ》であり、商品であり、依頼主の期待に答えるものして、テキストを蠱惑的に翻訳すること、そしてそれらによって次の《メシのタネ》へ繋ぐものであり続けてきた。それがプロのグラフィックデザイナーだと何の疑いもなくそう思ってきた。 だが先日の大竹誠氏の《すべてのひとのためのデザイン――自由デッサンのひろがり》に触れ、久々に「グラフィックデザインは《創造行為》である」ということを思い出させてもらったように思う。 3月29日からは銀座の《ヴァニラ画廊》というところで《キムラ・グラフィック《ルビ》展》という故・木村恒久氏の回顧展が催される。なぜ訪

    20世紀中期の1960年代、東京オリンピック以降グラフィックデザインが「商業」に支配された所有物となる。 - マージナルレビュー
  • デザイン最終講義からの始まり 1 - マージナルレビュー

    《決闘写真論/写真=篠山紀信+文=中平卓馬/朝日新聞社》。奥付を見ると《発行日 1977年9月20日 第1刷》となっている。私が19歳の頃だ。これは下北沢の古屋で手に入れた。だがそれがいつの頃だったのかどうにもハッキリしない。今のと下北沢で同棲を始めた頃だとすると24、25年前のはずで、そうであれば発行されてから7、8年が過ぎていたことになる。それがどうにも解せない。 このを手にするまで私はこの《決闘写真論》が連載されていた月刊誌《アサヒカメラ》のバックナンバーを、神田のビジュアル専門の古書店《源喜堂》に通って集めていた。ほぼ集め終わりかけたところでこのを見つけて、嬉しいながらも無駄な努力に落胆したものだったが、私が中平卓馬にぞっこんになっていたのは二十歳前後であったから、そうだとすればと下北沢で同棲する以前の話になって(は7歳年下だから13歳ってことになる、んな馬鹿な……)

    デザイン最終講義からの始まり 1 - マージナルレビュー
  • 魅惑する文字。4 - マージナルレビュー

    仕事と文字以外のことは考えないようにしている(日々の雑事はあるにしても)。時々そうやってリセットしないと自分が拡散して、踏ん張りが効かなくなる。情報はほっておくと勝手に流れこんできて思考の集中を妨げる。「とてもアイロニーなことなのですが、社会の問題点を雄弁に論評できる人ほど、自分自身の問題をまったく解決できない。」というモーリーさんの言葉は自戒を含めそのとおりだと思う。反原発であれ、反放射能であれ、自分自身の問題(不安)のはけ口として社会運動を利用すれば、それはまず失敗する。香山リカさんが反原発はオタクが多いといったばかりに逆切れされて袋叩きにあってしまったが、まあそういうことだ。 情報に溺れていることと情報を自らのものにしていることとは違う。どんな情報に対しても批判的に見つめられることが必要だ。信じ込めば足元を掬われる。処理能力に個人差はあるだろうが、無限に流れこむ情報を整理できる人など

    魅惑する文字。4 - マージナルレビュー
  • 「読ゴ」発見! - マージナルレビュー

  • 誘惑する文字。3 - マージナルレビュー

    友人からモリサワの『光朝』の仮名が『かな民友』であることを知らされ驚いだ。『光朝』は故・田中一光氏がボドニーのような明朝体としてデザインしたという話はモリサワのアナウンスで知ってはいたが、その個性の強さから一度も使ったことがなかった。そんなわけでその仮名が『かな民友』であったことには全く気づかなかったのだ。モリサワのHPを見ても、手持ちのFont発表時のチラシを探してみてもそんな情報は一切なかった。 『基語活字見集成』を調べてみると、『かな民友』とほぼ同じ仮名には、フリーフォントの『もじくみ仮名』以外にも、『游築初号仮名』と『築地体初号仮名』と『解築初号かな』があった。これに『光朝』が加わる。どれも元をたどれば築地活版書体になるらしい。つまり民友社の仮名書体ということではなくて、築地書体の初号仮名という方が正しいのだろう。 上の3が『かな民友』、つまり『築地初号』系。デジタルフォ

    誘惑する文字。3 - マージナルレビュー
  • 誘惑する文字。2 - マージナルレビュー

    写植文字の可能性を徹底的に追求したのが杉浦康平氏。杉浦氏は「文字に何が可能なのか」をほとんどやり尽くしてしまったと言っても大げさではない気がする。杉浦氏を筆頭に、その後に続くエディトリアルデザインの精鋭たち(戸田ツトム、羽良多平吉、鈴木一誌、松田行正……)によって70年代から90年代初頭にかけて生み出された、実験的で斬新な文字組の数々が、実際の書籍や雑誌となって巷にあふれるようになり、文字組そのものがデザインの領域であることが理解されるようになっていった。同時に活字ではありえなかった「読みにくい文字組」というものも増えていったのだ。だがその読みにくさとは活字が育んだ「読みやすさ」を否定するものではなくて、新しい「読みやすさ」を求めた結果と言い換えることもできそうだ。あるいは「読む」ことの多様な意味、重層的な意味が意識され、表現されるようになったということなのかもしれない。読むことに劣らず「

    誘惑する文字。2 - マージナルレビュー
  • デファクトスタンダード、中明朝体。 - マージナルレビュー

    ここで試みていることは写植時代の文字組を再現することもあるが、現代の文字に対する考え方がどのように変化していったのかを実際の作業で検証してみることにも繋がっている。写植時代の雄であった写研はすでにない。いや正確にはなくなったわけではないが、一般のデザイナーが触れられる場所からは消えてしまった。DTPの黎明期(1990年代)、多くのデザイナーが写研の文字が使えなくなってしまっことを嘆いたわけだが、今となっては当時写植を使っていたデザイナーでさえ写研の文字がどのようなものであったかを忘れてしまっている。それはもちろんデジタルフォントの世界が写植時代の文字を凌駕するほどの隆盛とクオリティを持ったことのあわられでもあるのだが、しかし活字から写植に変わったことの変化ほどにはデジタルフォントはグラフィックデザインの文字組に大きな変化を与えていないこともまた事実なのだ。 さて題へ戻ろう。 『石井中明朝

    デファクトスタンダード、中明朝体。 - マージナルレビュー
  • 誘惑する文字。1 - マージナルレビュー

    鉛で作られていた文字「活字」が、1960年代に一般化し始めた写真の文字「写植」に移行したあたりから、文字(文字組)の「可読性」「読みやすさ」ということが問題とされるようになったと考えられる。それについて若干の考察を試みたい。 金属の塊である活字は予め用意された文字の大きさ以外のものは使えないし変形させることもできない。ゆえに正方形の文字を単位とした垂直水平の正確なグリッドから逸脱することはなく(若干の調整はできなくはないが原則的に)、文組用の文字、見出し用の文字、タイトル用の文字はシステマチックに製作されていた。それは同時に、活字はすべての人にとっての「読む文字」「読める文字」の常識として了解されいたはずだ。そこに「読みやすい、読みにくい」の問題が発生する余地はなかったと考えていい(他にないのだから)。 一方、写植はその「文字の制度」から文字を開放し、自由な形と組み方を可能にした。だがそ

    誘惑する文字。1 - マージナルレビュー
  • 電子書籍時代のブックデザイン 98●アナログ的方法の復権 1 - マージナルレビュー

    写真を印刷物にするためには「網点による写真の分解」という作業が必要になる。印刷用インクそのままでは写真の諧調を表現することができない。そこでコンタクトスクリーン=網点と呼ばれるグラデーションのドットでできたフィルムを使って、写真を大きさの異なる点の集まりに変換し、擬似的に写真の諧調を再現するのだ。詳しいことは専門書なり印刷について解説している専門サイトで調べてもらうとして、その網点を使ってさまさまなデザイン=模様を生み出すことができる。いわゆる「モアレ」と呼ばれる規則的なパターンのことだ。 シアン、マゼンダ、イエロー(スミは色が濁るので使用しない)の3色の網点を少しずつずらすことで偶然生まれるその模様を、デジタルでシミュレートしてみることで、過去のものと思われているアナログ的方法の可能性を探ってみようと考えた。 まずは基的なパターン。 各版22.5度ずつずらしている。この規則的なパターン

    電子書籍時代のブックデザイン 98●アナログ的方法の復権 1 - マージナルレビュー
  • 電子書籍時代のブックデザイン 28―InDesignの文字組はiPadではどのように見えるか 2《書体》 - マージナルレビュー

    電子ブックのブックデザインや装丁をテーマにした話題にはあまり遭遇しないが(ないわけでもないが)、ブックデザインやグラフィックデザインを生業とするものなら、必ずや「電子ブックに相応しいデザイン」とはどんなものであるべきかを考えているはずだ。その中でも「文字組の美しさ」はすべてのデザイナーに共通するもっとも基的な課題であるはずで、それはインタラクティブであるかどうかの、以前の話だろうと思う。 最終形態が紙であろうが、液晶画面であろうが、デバイスのシステムにインストールされている書体のみで良い、などと、少なくともデザイナーであればそのような考えは持たないだろう。残念ながら現状のどの「電子ブックリーダー」でも、日語書体をいろいろと選択できるといったレベルにはないが、それでもiPadにインストールされているヒラギノゴシックとヒラギノ明朝は美しい書体だからまだ救われている。 ただ考え方として電子ブ

    電子書籍時代のブックデザイン 28―InDesignの文字組はiPadではどのように見えるか 2《書体》 - マージナルレビュー
  • 電子書籍時代のブックデザイン 83●MdN刊[よくわかる電子書籍の作り方、売り方]を読んでの雑感 - マージナルレビュー

    ざっくりとだが最後まで眼を通してみた。先に書いたように丁寧に電子書籍の現状から制作の仕方、販売までを判りやすく解説してあり、このだけで今の日電子書籍がどういったものかは十分にわかると思う。そういった意味では電子書籍版の290円也(但し10月23日までのキャンペーン価格)は大変お買い得。 ただ紙のを作り続けてきた者のひとりとしては、残念に思われる点もなくはない。それはこのブログでも言い続けてきたことだけれど、長い年月をかけて培われてきた「のデザイン」というもの、とくに組版やレイアウトの美しさと、それが[内容]=[テキスト]にとってどれだけ大きな意味を持つか、ということについてほとんど触れられていないことだ。このにおいても、あいかわらず「電子書籍であることの機能性」が「であることの意味」よりも優先されている。 ……今後とくに重要なのが「デバイスにあわせたレイアウト」だと思っていま

    電子書籍時代のブックデザイン 83●MdN刊[よくわかる電子書籍の作り方、売り方]を読んでの雑感 - マージナルレビュー
  • 電子書籍時代のブックデザイン 52―出版2.0 - マージナルレビュー

    記憶には確かに存在するが、書棚のどこを探してもみつからず、かわりに2001年5月に発行された「デジタルデザイン、迷想の机上 電子思考へ……/戸田ツトム・著/日経済新聞社」というが目にとまった。「まえがき」にこんなことが書いてある。 ……コンピュータが入ってさえ来なければ、グラフィックデザインの世界はそれほど刺激的な事件も、問題意識の掘り起こしも表面化せず牧歌的な世紀末を迎えるはずだった。疾風怒濤に見えるデジタルデザインの十数年において、それに先導されてきた様にも見えるグラフィックデザインは何を変化させたのか、どのようにデザインの認識は進化したのか……。 ……当初デジタルデザインに感じられたrough and iceな感覚、安価で早くて美しいなどという粗雑で馬鹿げた期待と印象にこそ惹かれたDTPやデジタルデザインへの憧れ、個人的(パーソナル)であることこそメディアへの対抗力を発揮すると

    電子書籍時代のブックデザイン 52―出版2.0 - マージナルレビュー
  • 電子書籍時代のブックデザイン 49―デザイナーは文字へのこだわりを放棄しちゃいけないよ - マージナルレビュー

    ほとんど《PDF HD》の広報サイトのような記事ばかりを書いているが、それもこれもこのアプリが唯一「個人の表現を支援している」ように思えるからだ。 iPadが日国内で発売されてから2ヵ月余り、その間ずっと電子ブック(書籍というよりこのほうがしっくりくる)とは何か、電子ブックの可能性とはどんなものかを考え続けてきた。さまざまなフォーマットが開発され、それらにインタラクティブな機能が盛り込まれ、電子ブックは「」とはかけ離れた様相を見せてきている。その一方で個人個人は自由な電子ブックを模索し、自分でを裁断して電子ブック化する「自炊」なる言葉まで生まれ、それを事業とする会社まで現れた。 動的な機能が盛り込まれた電子ブックも、をただスキャニングしただけの電子ブックであっても、それぞれにそれぞれのメリットがあって、そういったフレキシビリティこそが電子ブックの特質だろうと思われる。電子ブックの広

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  • 電子書籍時代のブックデザイン 45―インタラクティブPDF(ダイナミックPDF)はブックデザイナーにとっては理想の電子書籍だ - マージナルレビュー

    電子書籍時代のブックデザイン 45―インタラクティブPDF(ダイナミックPDF)はブックデザイナーにとっては理想の電子書籍だ 何のことはない、《PDF HD》というPDFリーダーでインタラクティブPDF(ダイナミックPDF)が機能することがわかった。つまり、PDFに埋め込まれたリンク機能が使えるのだ。これで従来のInDesignを中心としたブックデザイン制作の手法を生かしたまま、電子書籍にインタラクティブな機能を盛り込むことができる。 どういうことか簡単に説明すると、InDesignはドキュメントにハイパーリンク、ブックマーク、ページ効果、ボタンなどといったインタラクティブな機能を付加することができ、それをそのままPDFに埋め込むことができるようになっていて、AcrobatなどのPDFリーダーでひらけばその機能がそのまま反映されるのだ。つまり、目次の見出しとそのページをリンクさせておくと、

    電子書籍時代のブックデザイン 45―インタラクティブPDF(ダイナミックPDF)はブックデザイナーにとっては理想の電子書籍だ - マージナルレビュー
  • 電子書籍時代のブックデザイン 39―私が出版にこだわる理由 - マージナルレビュー

    30年ほど昔、デザインを教わっていた恩師の紹介でアルバイトとして勤めたのが、この写真の「木の事典」を出版した「かなえ書房」(有限会社編集室77)だった。学生の身ではあったが、実家は要介護の祖父母を抱えていて(母一人に介護が押し付けられていた)、暢気に学生生活ができるなど無理な話しであったから、自分のい扶持は自分で稼がなければならなかった。 そこで私は、写植を打ち、現像をし、版下を作り、修正し、出来上がった版下を印刷会社へ入稿し、刷り上がった「カード」(木の事典は90枚前後のカード式の事典)を、仕事場であったマンションの一室のリビングに広げ、手作業で丁合を取り、袋詰めし、それをケースに詰め、倉庫代わりの押し入れに山積みし、注文がくれば「取次ぎ」に出荷した。それと平行して、この「木の事典」のダイレクトメールを作り(もちろんこれもデザインから写植版下までひとりでやっていた)、林業関係や学校関係

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  • 電子書籍時代のブックデザイン 17―多様であるから本なのだ - マージナルレビュー

    をデザインするのを生業としてきたから、電子ブックよりも紙のが好きなのは当然だ。二つの部屋の壁一面に並んでいるを見るとホッと落ち着く。大雑把に数えて3000冊前後ってところだと思うが、それだってブックデザイナーとしては少ないほうだろう。 紙のが無くなるか無くならないかはともかく、紙のに愛着があるから、のない空間は考えられない。 大きな、小さな、厚い、薄い、縦組みの、横組みの、古い、新しい、赤い、黒い、様々なが書棚を意味深く彩る。背を眺めているだけでかつて読んだフレーズや、その時の出来事、あのとこのが結びついて得ることのできた世界などを瞬時に思い起こさせる。は読まなくたってそれが「存在する」だけで価値がある。その多様さこそが価値なのだ。 その一方で、webで得る情報は加速度的に増えた。これをに例えたら3000冊なんてとっくに越えているかもしれない。 モ

    電子書籍時代のブックデザイン 17―多様であるから本なのだ - マージナルレビュー
  • 電子書籍時代のブックデザイン 19―文字組が固定できないことをブックデザイナーはどう思っているのか? - マージナルレビュー

    グラフィックデザイナーからの発言があまり見られないが、それは様子見ということなんだろうか? とくに矢面に立たされているはずのブックデザイナーの意見が出ててこない。私が知らないだけなのか? ひとつの《電子ブック・ファイル》……(どう呼んでいいかわからないが、のデータのこと。web系ならコンテンツのタイトルとでも言うのだろうか。アプリという呼び方は気に入らない。意味がわからない)……をサイズの違うさまざまな《電子ブック・デバイス》……(iPadなどの電子ブックのデバイス機器はこう呼んだほうがいいと思う)……に読み込んでも、それぞれの《電子ブック・デバイス》に最適な文字サイズ、行数、文字組ができるのはEPUBやHTML5.0などを使うしかない。PDFはすべて固定されていて、そんなフレキシビリティはない。せいぜい付箋を貼ったり、文字を検索することができる程度だ。それがPDFが否定的に語られる理由

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