今日の朝日新聞朝刊に《新常用漢字表をよむ 上 「書く」から「打つ」に対応》といふ記事が出てゐた。新常用漢字表(正式名稱未定)は、かなり制限色の薄まったものになり、なにかと柔軟になるやうなのだが、この記事を讀んでゐてちょっと氣になったことがある。それは 「私」の訓「わたくし」に「わたし」が追加されるのは意外だった。「わたし」の方が実際にはよく使われているから。二つの訓の入れ替えも検討されたが、現状では難しく、併記することにした。 「世界中」とか「町中」と言う時の「中」の音「ジュウ」は、実は常用漢字表になかったので追加される。 「十」の音も「ジュウ」と「ジッ」だけで、「ジュッ」はなかった。常用漢字表の約束事だけに従えば、「十回」は「ジュッカイ」とは読めないわけだ。新常用漢字表では「ジュッ」という音も認めることを備考欄に注記する。 といふ部分。「私」や「中」の方には特に異論はないのだが、「十」の
どことはいはないが、私が目を通してゐるとあるブログで漢字の字體のことがちょっと話題になった。そこに次のやうなコメントがついた。 〈引用ここから〉 私は、あまりいろんな漢字を区別して使うことに反対です。たとえばわたなべさんという苗字は、以前は渡辺か渡部の2種類が書けたらよかったのに、このごろは渡邊とか渡邉とか、とても憶えられないような漢字をつかいます。(コンピュータだから書けるので手では書けない。私は辺で勘弁してもらってます)この2字の違いはルーペがないとわからないので、老眼には、ジジハラとしか思えません。こんな苗字のひとは渡辺に換えなさい。そのほうがトクですよ。 日本は戦争に負け、民主的な世の中にするため、漢字を簡略化しました。「恋」は戦前は 糸言糸+心 と書いた(わかりますか)。「体」は昔、 骨豊 と書いた(うまい)。ずっと便利になった。ところが、君が代や日の丸を強制する反民主主義勢力が
前項で“mixiニュースの「このニュースに關する日記を書いた人」ぢゃないんだから。”と書いたら、ふと思ひ出した。 數日まえ、mixiニュースで「日・韓・中・台が漢字の字体統一を決定、主体は繁体字に」といふ記事(提供元はRecord China)を讀んだ。趣旨は4箇國の學者が字形の統一をすすめていく、といふことのやうだ。まあ、學者が決めても、それぞれの國(政府)が採用するかどうかはわからないが、基本的には結構なこころみだと思ふ。もっとも、事實上漢字を放棄した韓國がどうしてかかはるのかはよくわからないが。 繁體字といふのはおもに中華民國で使はれてゐる字體のことだ。くはしくは知らないが、所謂康煕字典體と大きくはことならないのではないかと思ふ。それを主體にするのであれば、たいへん結構なことだ。ただし、漢字には多くの異字體がある。豫と預、國と圀、高と髙、島と嶋と嶌の類だ。かういふものを無理に統一する
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く