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ブックマーク / www.kaikou.city.yokohama.jp (2)

  • 館報「開港のひろば」第141号 横浜開港資料館

    展示余話 明治初頭横浜の印刷物と活字 横浜毎日新聞受取証 『横浜毎日新聞』は、明治3年12月8日(1871年1月28日)付で、横浜活版社から創刊された、日で最初の近代的な日刊日語新聞である。洋紙に活版で両面に印刷されており、従来の整版による冊子型の新聞とは、体裁を一新するものであった。『横浜市史稿 風俗編』には、刊行に到る経緯を、当時の神奈川県令井関盛艮が、邦文新聞の発行を主唱し、明治3年12月、横浜活版社が創設され、編集を神奈川運上所翻訳官子安峻(こやす たかし) が、印刷は長崎で木昌造の元で活版印刷の事業に従事していた陽其二と上原鶴寿が担当したとしている。前述した桜井氏の研究によると、創刊当時は木活字が使われ、564号(明治5年9月26日付)から平野富二の長崎新塾東京出張活版製造所製の三号楷書鋳造活字が使われ始め、624号(明治6年1月4日付)からは、木活字を廃し和様ひらがなの鋳

  • 館報「開港のひろば」 横浜開港資料館

    ネイサン・ブラウンによる日語聖書 右から『雅谷之書(やこぶのふみ)』(1875年)、『天毛天(てもて)・亭止(てと)・飛礼毛無(ぴれもん)』・『與波子仁安良波之太留與計無(よはねにあらはしたるよげん)』(1878年) 安政5(1858)年、幕府は日米修好通商条約を締結し、その第8条で、居留地に住む外国人の信教の自由と礼拝堂の建設を認めました。居留地以外の地での布教は認められなかったものの、布教の足がかりを得た欧米諸国のキリスト教各派は、日への宣教師の派遣を決め、安政6(1859)年以降、次々と宣教師が来日します。 安政6年10月、長老派の宣教医ヘボンが、神奈川に上陸しました。二週間遅れてオランダ改革派宣教師S・R・ブラウンが来日します。翌年の4月にはバプテスト派ゴーブルが来日しました。彼らは、神奈川の成仏寺に住み、日語の習得と伝道の基礎となる聖書の翻訳に取り組みます。 ヘボンの来日か

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