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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/gooogami (14)

  • SURROUNDINGS について・・・・1 - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    「環境」という立派な日語があるのに、surroundings という英語で表記するのは、「環境」という語が、来の意味をはずれ「うす汚れて」しまっているからです。 environment という surroundings 同様の意味を持つ英語もありますが、この語も「うす汚れて」しまっている気配があります( environmental design などという「不埒な」使い方さえあります)。 そこで、専門家を含め、多くの人が使わない(多分、学術的ひびき がないからだと思いますが)「きわめて平凡で、字義どおりに意味が分る」 surroundings を使って書くことにします。 註 環  たま、たまき、環形の玉。めぐる、めぐらす、わ。 境  さかい、領地、領内。特定のところ、場所。特定の状態、またその場合。 [白川 静 著「字通」] 環境 めぐりかこむ区域。あるものの周囲にあるもの、また、その

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  • 建物は「平地・平場」でなければ建てられないか? - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    [註記追加 15.10][文言追加 24日 9.41][註記追加 25日11.17] 東北のある県知事が、「津波に襲われた狭隘な海岸縁の一帯以外に平地がなく、仮設住宅を建てるにしても、山を切って造成しなければ敷地が確保できない」というようなことを語っていました。 おそらく「建物は平地・平場でなければ建てられない」、あるいは「傾斜地は平らに造成するものだ」、という考えが「常識」になって染み付いているのだと思われます。 たしかに、鉄骨の仮設住宅、通称プレファブを何棟も並べるには平地がいい、と言うより、仕事が楽です。 しかし、「山を切崩し平地をつくる」という発想は、重機万能の時代の発想に思えます。 もし重機がなかったなら、どうするのでしょうか。人力で山を切り崩して平地をつくるのでしょうか? 昔だって、とりあえずの建屋を建てなければならない、という状況はあったはずです。 そのとき、平地がないからだ

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  • 「基準」がないと、良いものができないか・・・・むしろ「基準」は技術を衰退させる - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    [文言追加(末尾追記) 15.22][文言追加改訂 26日 3.43][文言追加 26日4.03] ここに2枚の「絵」があります。 どちらも19世紀中頃、イギリスでつくられた鋳鉄製鋼管で架けた橋を描いた絵です。 上は1846年、下は1858年の構築。写真がない時代ゆえに絵で描かれています。 ちょうどこの頃は、ウィリアム・フェアバーン( WILLIAM FAIRBAIRN )たちが、鉄の活用のために、事前の計算で部材の形や構築物の強度を確認する方法:「材料力学」「構造力学」の端緒にたどりついた頃です(下註参照)。 註 「鋳鉄の柱と梁で建てた7階建のビル・・・・世界最初の I 型梁」 ですから、この橋梁は、「構造力学」に拠ったのではなく、設計者の「想像力」「創造力」に拠ってつくられたと言ってよいと思われます。 ともに Engineer:I.K.Brunel による計画。どのような方であるか、分

    「基準」がないと、良いものができないか・・・・むしろ「基準」は技術を衰退させる - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
  • 道・・・道に迷うのは何故?:人と空間の関係 - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    ◇「地理に明るい」とはどういうことか 先回、道に迷った話を書いた。なぜ迷うのか。あたりの地理を知らない、地理に明るくない、つまり分からないからである(地理=地にきざまれている理屈:その土地の様子)。 地図を見れば分かるではないか、という人もいるかもしれない。最近なら、カーナビを使えば一発だ、と言われるだろう。 しかし、地図を見るにあたっては、先ず、「今どこにいるのか」を知らなければならない。 原野のまっただなか、どうやって今いる位置を知るか。それには、現在位置が分かるところまで、戻るしかない。 カーナビなら、現在位置などすぐ示される。そうかもしれない。 しかし、それは「分かったこと」ではない。「分かった」と言えるのは、同じ場所へ、カーナビにたよらなくても、次からは迷うことなくすいすいと行けた場合のことだろう。 カーナビの場合、人はあたかもベルトコンベアーに乗せられた荷物のように、「指示」に

    道・・・道に迷うのは何故?:人と空間の関係 - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2008/07/18
    「「案内板:サインで分かりやすくなる」と思っているようだが、それは大きな誤解」
  • 続・設計の「思想」・・・・「京都駅」ビルは駅か? - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    駅の話、駅の設計について書いたので、その続き。 新しい「京都駅」ができた翌年であったか、京都・奈良を訪ねる機会があった。 そのとき通過した新「京都駅ビル」には、真底驚いたことを覚えている。 この設計者は、「駅」という場所を何と心得ているのか、と思わざるを得なかったのである。 註 新京都駅ビルについては、その高さや外観とかについて いろいろな「評論」がなされていたと思うが、その際、 「駅」としての当否はまったく語られなかった、と記憶している。 上掲の図は、「JR時刻表」に掲載されている「京都駅構内図」である。説明のた めに手を加えてある。 私はいつも、京都駅では地上レベルを使ってきた。バスを使うことが多いからだ(その昔は市電・・・・、市電の方が分りやすかった!)。 京都に着くと、大阪側にある跨線橋を渡って0番線ホームに降り、中央口の改札を出る。乗るときはこの逆。跨線橋が「近鉄京都線(奈良行)

    続・設計の「思想」・・・・「京都駅」ビルは駅か? - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
  • 設計の「思想」・・・・「御茶ノ水」駅と「小竹向原」駅 - 建築をめぐる話・・・・・つくることの原点を考える

    [文言更改 7月10日0.25][文言追加 7月10日0.43] はなばなしく開業した地下鉄「副都心線」の「小竹向原」駅での「混乱」は相変わらず続いているらしい。 要は、その駅で、東武線、西武線そして地下鉄線が地下鉄「有楽町線」と「副都心線」とに分岐する、その分岐の仕方にあるらしい。言ってみれば、同一面上でポイントの切り替えでその分岐を差配しようという計画。 この期に及んでまだ地下鉄をつくること自体が私には不可解なのだが、それはさておき、こういう同一平面上で、ポイントの操作だけで列車の動きを操作する、という「設計」に、現代の設計「思想」を垣間見た気がした。 JR中央線には、快速線と緩行線(各駅停車)が並列で走っている。御茶ノ水で快速線:東京行と緩行線:千葉行とは分れる。 新宿駅のホームには、東京方に向って左側から番号がふられている。東京方面行の快速は一つのホームの両サイド7、8番線、高尾方

    設計の「思想」・・・・「御茶ノ水」駅と「小竹向原」駅 - 建築をめぐる話・・・・・つくることの原点を考える
  • 台風―地瓦―JIS規格 - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    [註記追加:9月8日4.00AM] 久しぶりに関東平野直撃の台風が来た。 一晩中、南東寄りの風が吹き荒れた。このあたりでは、もう少し秋が深まって、太平洋沿岸沿いの進路をとる台風の影響を受ける場合が多く、西寄りの風を受けることの方が多い。 筑波第一小の体育館竣工の年の秋、台風に見舞われ、あろうことか、壁から雨が漏った。 壁は「落し込み板壁(真壁)」。落とし込まれる板相互、柱と板壁とは、手の込んだジョイントになってはいたが、水は見事に板と板との目地を水平に走って柱際に集まり、そこから風圧に押されて室内に侵入していた。 しかし、よく調べると、水がまわったのは東面だけ。 つまり、このときの台風は、今回同様関東平野中央部を通り抜けるタイプで、南東寄りの風雨が強く、おまけに筑波山の斜面を吹き上がり、まともに壁に吹き付けたかららしい。 いろいろ対策を施したが、、最終的には「落し込み板壁(真壁)」の外側に

    台風―地瓦―JIS規格 - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/09/21
    「むしろ、規格化・標準化・合理化・・に向う前に、「なぜいろいろな形があったのか」、その理由を考える議論があってしかるべきなのではないか」
  • 「想定外」と「絶対」・・・・近・現代工学の落し穴 - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    [一部字句修正:9月6日9.10AM] たとえば、柏崎刈羽原発の設計にあたって、450ガルの揺れを想定して設計した。中越沖地震の揺れは900ガルを越えるものだった。すなわちそれは「想定外」だった・・。 浜岡原発では、1000ガルを想定して「耐震補強」を行おうとしている。これに対して、1000は小さすぎる、という見解もあるが、「調査によれば1000が最大というデータが得られている」・・。 これらの「事実」は、現在の「設計」では、ある「想定した目標」を設定し、「それに対応した設計を行う」という方法が定着していることを示している。 したがって、もしもその「想定値」を疑いだしたら、設計はできない、という方法。ゆえに、設計するためには、「想定値」は「絶対」でなければならないことになる。 しかし、この「絶対」は絶対ではない。それは、「耐震《基準》」が、ことあるたびに「改変」されることで明らかだ。それを

    「想定外」と「絶対」・・・・近・現代工学の落し穴 - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/09/21
    「「基準など設定できない」と判断するのがあたりまえではないか。私には、それこそが「科学的:scientific」な判断だと思える」
  • 厳密と精密・・・・学問・研究とは何か - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    私が当今の(建築:建物づくり、特に、いかなる空間をつくるのか、について、つまり「建築計画」の)「研究」あるいは「学問」について大きな疑問を抱いていたとき、それを解きほぐしてくれたのが、次の一文である。あるいは、私よりも、はるかに説得力のある人物の発言をもって理論武装した、と言った方がよいかもしれない。 また、自然科学とは何か、精神科学あるいは人文科学とは何か、考えるきっかけとなったのは確かである。 そして同時に、自然科学を基礎とする、あるいは応用(自然)科学を自負する「工学」のなかには、すでに自然科学の「精神」を逸脱し、それでもなお「自然科学の係累」であるとの思い込み、ご都合主義が蔓延していることに対しての異議の根拠をも与えてくれたのも確かである。今から40年以上も前のこと・・・。 なお、一部は以前に紹介したような気がする。 また、読みやすいように、原文とは異なる段落にしている。 ・・・・

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  • 住宅の低寿命化はなぜ起きたか - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    [記述、一部修正:8月11日8.13AM] 日住宅の寿命が、欧米のそれに比べて極端に短い、と言われるようになって久しい。そして、多くの場合、日住宅の大部分を占める木造建築そのものに問題がある、と言われる。 その問題の比重が大きいことはたしかであるが、一方で、まだ使える建物が「やむを得ず」廃棄される例が多いこと、その原因を考える必要があるだろう。 私が育った住まいは、昭和15年(1940年)の竣工。もうじき築70年になるが、いまのところ問題箇所はない。 建設当時は東京の郊外。周辺には山林(平地林)、畑が広がり、茅葺農家も多数あった。そういう一画が住宅地として売り出されていたのだ。だから、あたりには、同じような規模の住宅が、同じような風情で、既存の農家と共存する形で多数建っていた。大体の敷地規模は1反:300坪程度。中にはその倍程度を持ち、半分は畑:いわゆる家庭菜園にする例も多かった。

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  • 山手線はlocal線だ・・・・「地方」とlocal - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    東京など都会と「地方」の「格差」が話題になって久しい。 ところで、この「地方」という語、英語では何と言うのだろうか。 最近、茨城県では石岡と鉾田を結んでいた鹿島鉄道が廃線になった。この鉄道のことを、多くのメディアは「ローカル鉄道」と呼んだ。各地に「ローカル鉄道」「ローカル線」と呼ばれる鉄道がある。 日語の「ローカル」、その意味は多分「田舎」である。要するに田舎の田園を走る鉄道を「ローカル線」と呼ぶ「風習」が日にはある。「ローカル」の語の、このような日常的な会話での「理解」は、まあよしとしよう。 だからと言って、その日語の語源である英語“local”の意味が「田舎」であると理解してしまうと大きな禍根を残すだろう。英語“local”には、そんな意味はないからである。 ところが、あるとき、都市計画・都市工学を専攻する大学生に“local”の意味を問うたところ、大半が「地方」=「田舎」「田園

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  • 日本の建築技術の展開-30・・・・ひとまず終り - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    [補足註追加:6月1日8.24AM、記述追加8.47AM] 19世紀の初め~中頃、つまり近世の中頃までには、日の「建物づくりの技術」は、体系として完成の域に達していたこと、そして、その民間での代表的な一例として、先回、「高木家」を一例として紹介した。 これらの技術は、工人たちの間の現場での体験を基に洗練され、そして各地に広まっていったものであった。その過程を通じて、使えるものはより洗練され、使えないと判断されたものはいつの間にか新しい技術に入れ替わっていったのである。これは、特に民間にあって著しい。 来、技術の進展・展開とは、このような過程で歩むものなのであって、決してある指導者が、あるいは「お上」が指導して進むものではない。その意味で、現代のあり方は道を大きく外れている。 註 私が、現代は江戸時代以上に封建主義がはびこっている、 と言ってきたのは、現代の「お上」が、 人びとの自由な

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    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/06/01
    「現代は江戸時代以上に封建主義がはびこっている」
  • 勝手のし放題・・・・最近の建物の外観・形状 - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    一昨日、当に久しぶりに東京へ出た。今年になって初めて・・。 かつての「仲間」が30数年ぶりに会う会合。浦島太郎だ、などと言いながら集まった。 しかし、東京の街並み、家並み、というよりビル並みの方が浦島太郎だった。久しぶりの街の風景に、目を白黒するばかり。僅かな間に、乱雑さが激しくなっていた。と言うより、設計者が、ますます勝手をし放題になっているように思えた。 何よりも不快だったのは、外面にネットやフィルムを張ったような装いの建物、意味不明な曲面のガラス面を差しかけた建物の多さだ。 つくば市のある大学にも、都会の流行に負けじとつくったのではないかと思われる建物が最近建ったが、ほぼ全面、真っ向から西日を受けるつくりで、その面全体に「ネット」が張られている。どうやらそれが「デザイン」の目玉らしい。というのも、そのほかの面は、どう見ても、気配りが感じられないからだ。このネットは、西日よけのためら

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  • 「在来工法」はなぜ生まれたか-2・・・・「在来」の意味 - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    「在来工法」という呼び方は、今ではごく普通に使われている。 では、「在来」という語は、どういう意味なのだろうか。 辞書によれば、「在来」とは『これまで普通に行われてきた(ものである)こと』とある(「新明解国語辞典」)。 この解説は、この語に対して、人が通常理解する意味と変わらない。 したがって、人が、これまでの普通の日の木造の建物は、すべて「在来」であると理解して決しておかしくない。 ところが、建築用語としての「在来工法」の「在来」は、辞書の、そして常識的な理解とはまったく異なる。 1960年代、北米から導入された「新来」の「枠組工法:2×4工法」に対して、「木造軸組工法」を区別するために、「在来」の語が使われるようになったのである。 けれども、「枠組工法」に対しては「軸組工法」で十分区別できるわけだから、ここであえて「在来」と呼ぶことにしたのには、別の理由があったと考えられる。 日

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