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2007年6月7日のブックマーク (19件)

  • 極東ブログ: 死者を悼むということ

    私の父が死んだのは私が三十一歳の時。父は六十二歳だった。早死の部類だなとも思ったが、息子が三十歳を過ぎたのだから死だっていいだろう、自由にさせてやろう、許してやろう、と今では思う。もっと若い日に子どもを残して無情にこの世を去る父親だっているのだ。 死なれてから二十年近く経つ。男なんてものは死んで悲しい生き物でもないと言いたいところだが、残されたものに悲しい思いはある。が、自分の番もそう遠くないなと思うと悲しみは少し薄れる。私の父の人生スパンが私のそれであるなら私は後干支を一巡して人生が終わる。そのくらいでいいかとも思ったり、ちょっと物足りないというか寂しい感じもするし、もうちょっと生きてみたい気もする。幸運にももうちょっと生きられるかもしれない。そもそも五十歳まで生きていると青年期には思ってもみなかったしな。 そんなことを思ったのは、今週6・13ニューズウィーク日語版の投稿コラム「遺族を

  • キェルケゴールの『畏れとおののき』におけるディレンマの問題

  • 新・お言葉ですが… | Web草思

    ——はじめにちょっと「水五訓」の話のつづき。 前回おわりに、さいたま市の名尾良泰さんが、源田實『海軍航空隊、発進』に「水五則」が出てくると御教示くださったことを書いた。そこには、昭和四年ごろの雑誌『キング』に「水五則」が掲載されていた、とあった。 するとたちまち、京都市の堀部功夫さんが、『キング』昭和四年二月号のコピーをお送りくださった。よくこんなにすぐ現物が見つかったものだ。 一ページだけのコラムである。右に水車小屋の絵があり、左に文章がある。内容は現在おこなわれているものとおなじだが、これが原型だと思われるので、極力忠実にしもにうつします。 繪入教訓 水(みづ)五則(そく) ◇ 自(みづか)ら活動(くわつどう)して他(た)を働(はたら)かしむるは水(○)なり ◇ 常(つね)に自己(じこ)の進路(しんろ)を求(もと)めて止(や)まざるは水(○)なり ◇ 障害(しやうがい)に

  • http://www.kierkegaard.jp/masugata/juyoshi1.html

    はじめに 明治以来キェルケゴールは様々な形で日に受け入れられてきたが、その 受容の仕方がどの様なものであったかを跡付ることは、とりもなおさず、我々 のキェルケゴール研究の方法に反省をもたらさざるをえず、今日の状況に於て 如何にキェルケゴールを研究すべきかの示唆を与えてくれるであろう。論で は、特に明治時代に於けるキェルケゴール受容を詳しく論じ、明治以降に関し ては書の各論文でも関連してくるので、ごく簡単に事項報告に留める。 1 日におけるキェルケゴール受容の時代区分 明治時代から現代までの日におけるキェルケゴール研究の時代区分を提示す るとすれば、先ず明治20年代初期から明治三9年までのキェルケゴール受容 前史とも言える黎明期。この時期にはキェルケゴールの名前はある程度知られ ていたと思われる。次いでキェルケゴールに関する記述が一挙に出てきたこと から、キェルケゴール研究元年とも

  • 字游工房さま訪問

    先日のBS朝日、STYLE BOOK で僕の前にインタビューが流れた鳥海さんにお会いしました。 鳥海さんは字游工房の社長でヒラギノをデザインされた偉大なタイプデザイナー。 でも、とても気さくで、モノづくりの何たるかをしっかりと持っておられ、おまけにお酒もご馳走してくれてとても楽しい時間を過ごせました。 ヒラギノ誕生の秘話だけでもお腹いっぱいでしたが、それ以外にもたくさんお話を伺うことができて、とても有意義な訪問となりました。 この写真はヒラギノ明朝 W8の原画?なんだけど、一枚に2つのグリフってことはAdobe Japan1-5の20317グリフのためにこれが1万枚以上あるってこと!すごい地道・・・

    字游工房さま訪問
  • 2007-06-04

    も読んだ。 斎藤環 斎藤環は、この前アメリカであった乱射事件を紹介。この犯人を「イタイ」と思いながら共感した人も多かったのではないか、と論ずる。 「社会的にこうあるべし」という命令と、その命令を守ることができないこととの軋轢 そういう軋轢を感じている人は多いのではないか、という話。 その軋轢が表現されたもっとも新しい例として、『ぼく、オタリーマン』を紹介する。 滝竜彦なんかから始まる、こういう軋轢、イタイ話を描くタイプの作品というのは、確かに面白い。しかし、その軋轢なんかもう越えちゃったよ、という話も読みたいな、という締め。 これを読んで思い出したのがこの記事 「宇野常寛氏の「ゼロ年代の想像力」を読んで、この「サバイヴ感」「決断主義」こそが、5年ほど時代遅れの感性だと感じてしまった(純粋なココロ 2.0)」 宇野常寛の文章はネットでちらちらレビューを見るくらいで、ちゃんとは読んだことがな

    2007-06-04
  • 書籍*『リマーク 1997-2007』池田晶子[著](トランスビュー・2007年7月刊)

  • Apple、Mac OS Xのファイルシステムに「ZFS」を採用 | パソコン | マイコミジャーナル

    AppleMac OS Xのファイルシステムに「ZFS (Zettabyte File System)」を採用する模様だ。6月6日(米国時間)にSun Microsystemsが米ワシントンDCでSun Blade 6000 Systemの発表イベントを開催した。その中でSunの社長兼CEOであるJonathan Schwartz氏がZFSコミュニティの広がりについて説明する際に、「Worldwide Developers Conference (WWDC)において、AppleMac OS XのファイルシステムにZFSを採用することを明かすでしょう」と述べた。WWDCは6月11日〜15日の日程で米サンフランシスコで開催される。主役は今年秋リリース予定のMac OS X "Leopard"だ。Appleが昨年8月のWWDCで、Leopardの新機能として「Time Machine」を披露

  • 聴く耳を持たない(片方しか) - はてなてぬぐい欲しい!

    思わず膝ポンの素晴らしいアイデアの はてなアイデア - はてな新ロゴデザインが「青海波」に似ていて実は和風なので「はてなてぬぐい」を作るといいと思います。「しなもん」柄などのバリエーションもあったらきっとかわいい! なるほど、確かに新しいはてなロゴは和柄にアレンジしたらマッチしそうですね。 はてなてぬぐいといった和装のグッズがあれば欲しいですし、またシリコンバレーの米はてな近辺に持って行ってもきっとウケるだろう、とも思いました。というわけで、このアイデアは是非とも実装して欲しいなぁ、というところ。 で、こんな手拭いがあったらいいよなー、というのを頼まれてもいないけれどいくつか勝手にスケッチしてみました。もちろん、はてなロゴの派生物なので、クリエイティブ・コモンズで公開します。 表示 - 非営利 - 継承 - Creative Commons まぁ、あくまでアイデアスケッチなので、完成度は低

    聴く耳を持たない(片方しか) - はてなてぬぐい欲しい!
  • 国語教育について - 内田樹の研究室

    大学院のゼミでは国語教育について論じる。 国語力の低下が子どもたちの学力の基盤そのものを損なっていることについては、すでに何度か言及した。 何が原因なのかについては諸説があるが、「言語のとらえかた」そのものに致命的な誤りがあったのではないかというラディカルな吟味も必要だろうと私は思う。 「いいたいこと」がまずあって、それが「媒介」としての「言葉」に載せられる、という言語観が学校教育の場では共有されている。 だが、この基礎的知見そのものは果たして妥当なのか。 構造主義言語学以後(つまり100年前から)、理論的には言語とはそのようなものではないことが知られている。 先行するのは「言葉」であり、「いいたいこと」というのは「言葉」が発されたことの事後的効果として生じる幻想である。 とりあえずそれがアカデミックには「常識」なのだが、教育の現場ではまだぜんぜん「常識」とはされていない。 私が何かを書く

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/06/07
    「湯煙夏原ハウンドドッグ」
  • あこがれの(?)営業さん (スタイルノート 池田茂樹) | 版元ドットコム

    いまから何年前のことだったか。はじめてのバイトが書店員でした。採用が決まったとたんに店長から「明日大丈夫だったら来て欲しい」との連絡。日曜日の朝で荷物は来ないしお客さんも少ないその日。他のバイトが来れなくなったのです。確か開店と同時の朝9時頃。小さな店なのですぐ実践体験です。レジの基的な操作法を覚えたところで店長が「あ、すぐ戻るからちょっとレジにいて」と店を出ていってしまいました。 生まれてはじめての格的店員経験。「いらっしゃいませ」と口に出すのも勇気がいる状態のレジに十数冊の文庫を持ってお客さんが来ました。僕にとってはじめてのお客さん。その人が発した一言がパニック状態を発生させます。 「全部カバーかけてください」 僕が働いていた店は、地域の老舗で、創業者がデザインしたオリジナルのブックカバー用紙にはさみをいれて1冊ずつ丁寧にカバーをかけていく店でした。悪いことに、僕はそのカバーのかけ

  • 十七年寝太郎(素数ゼミ) - 東京永久観光

    http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/science/update/0604/TKY200706040260.html 「17年ゼミ」と聞くと予備校浪人の反復年数みたいで、いくらなんでもそこまで…といった妙な悲哀がかきたてられるのだが、それはさておき。 ふと考えこむ。 Q. あなた(17年ゼミ)は素数が分かるのですか? A. 少なくとも、あなたがた人間の脳が素数を理解する時のようなカンカクは、吾輩(17年ゼミ)の脳には現れていないのです。したがって吾輩に素数が分かるとは言えませんな。 Q. それなら、あなたの体や遺伝子のほうは「素数が分かる」のですか? G. G…GG…G……… そもそも素数とは何処に在ると言うべきなのだろう。すなわち素数は人間が発明したのか発見したのか。ぜんたいに「数学は人間の発見なりや、発明なりや」。この問いが

    十七年寝太郎(素数ゼミ) - 東京永久観光
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/06/07
    「私たちが知っているこの数学は普遍的なのだろうか」
  • 山手線はlocal線だ・・・・「地方」とlocal - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        

    東京など都会と「地方」の「格差」が話題になって久しい。 ところで、この「地方」という語、英語では何と言うのだろうか。 最近、茨城県では石岡と鉾田を結んでいた鹿島鉄道が廃線になった。この鉄道のことを、多くのメディアは「ローカル鉄道」と呼んだ。各地に「ローカル鉄道」「ローカル線」と呼ばれる鉄道がある。 日語の「ローカル」、その意味は多分「田舎」である。要するに田舎の田園を走る鉄道を「ローカル線」と呼ぶ「風習」が日にはある。「ローカル」の語の、このような日常的な会話での「理解」は、まあよしとしよう。 だからと言って、その日語の語源である英語“local”の意味が「田舎」であると理解してしまうと大きな禍根を残すだろう。英語“local”には、そんな意味はないからである。 ところが、あるとき、都市計画・都市工学を専攻する大学生に“local”の意味を問うたところ、大半が「地方」=「田舎」「田園

    山手線はlocal線だ・・・・「地方」とlocal - 建築をめぐる話・・・つくることの原点を考える    下山眞司        
  • http://www.aozora.jp/aozora10/detail.html

  • 父の幸福を祈る(1) 過去を変える | digi-log

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/06/07
    因果
  • ナス・インプロビゼーション - コールスロー

    「あのさ、ジャガイモって、なに科の植物か知ってる?」 「突然なに? 知らないけど」 「ナス科なんだ。トマトもおなじナス科」 「へえ」 「だからね、ナス科の植物がなくなったら、イタリア人は大弱りだよ」 「あはは、そうかもね」 「ほかに知ってる? ナス科の植物」 「ん〜、ナス!!」 「ピンポーン!! 大正解!! よくわかったねぇ」 「ワレ、バカにしとんのかい」 「まあまあ。ほかにもね、ほら、トウガラシとか、うん、ピーマンもシシトウもそうだよ。あと、このタバコもナス科」 「なんだ、ナス科の植物が消えちゃったら、あなたが一番困るじゃない。禁煙しなさいよ」 「ええと、かわったところでは、チョウセンアサガオって知ってる?」 「スルーかよ」 「麻酔作用があるんだ。華岡青州が日で最初の麻酔外科手術に使ったの」 「ふ〜ん。ナス科って、なんだか節操ない感じする」 「それがさ、こうやってならべてみると、人間に

    ナス・インプロビゼーション - コールスロー
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    funaki_naoto
    funaki_naoto 2007/06/07
    「「変わらないことが売りの理屈」と、「変わることが宿命である人間」というのは対立するもの」