タグ

ブックマーク / blog.goo.ne.jp/hituzinosanpo (3)

  • 坂口安吾の おもしろさ - hituziのブログ 無料体験コース

    大学1年のころ、坂口安吾(さかぐち・あんご)に はまってました。 ひさしぶりに パラよみしてみた。いろいろ「名ゼリフ」に線が ひいてある。なかでも安吾の思想が はっきり でている文章を引用します。すべて人間の世界に於ては、物は在るものではなく、つくるものだ。私はそう信じています。だから私は現実に絶望しても、生き行くことには絶望しない。能は悲しいものですよ。どうすることも出来ない物、不変なもの、絶対のもの、身に負うたこの重さ、こんなイヤなものはないよ。だが、モラルも、感情も、これは人工的なものですよ。つくりうるものです。だから、人間の生活は、能もひっくるめて、つくることが出来ます。(「余はベンメイす」より)安吾は、過去の産物や遺産、「伝統」よりも、「これから」、「未来」に興味をしめした。そして、「少しずつ良くなれ」と主張した(「続堕落論」など多数)。ことばについても「外来語是非」、「敬語

    坂口安吾の おもしろさ - hituziのブログ 無料体験コース
  • 言語帝国主義とは なにか。たなか『ことばと国家』を批判する。 - hituziのブログ 無料体験コース

    外部から批判するのは、たいていの場合、かんたんなことだ。 国語学の そとから、国語学の わくぐみを批判する。かんたんですよ。単一言語主義による「体制の言語」(その社会における支配言語、権威化された言語のこと)をもって国語とよびならわし、それを研究する。その研究は、だれのための、だれによる研究なのか。それは、「国語」から かけはなれた言語を第一言語とするひとのための研究などではない。いかに、現体制における国語のありかたが すばらしいか、あるいは、現体制以前、つまりは歴史的なありかたが すばらしかったかという視点にたち、自分にとっては価値があると おもわれる国語をよりいっそう権威化するための研究。だから だめだと。そういう批判ができる。 国語学を外部から批判する。外部からみていると その保守的性格や排他性が よくみえる。なるほど、そうだろう。 日の文脈で「国語」というものは、ひとつの規範化さ

    言語帝国主義とは なにか。たなか『ことばと国家』を批判する。 - hituziのブログ 無料体験コース
  • 「ひとつの論文」の文脈(「漢字という障害」と「漢字という権威」) - hituziのブログ 無料体験コース

    自分が かいた論文をよんでもらう。そして、感想をもらう。ありがたいことだ。発表したものであるから、おねがいしなくても よんでもらえることがある。感想まで もらえることがある。めったにないことだが、いつでも うれしいことだと おもいます。 ひとつ、おもうのです。なにか論文をひとつ かきます。その文章は、どれほどにオリジナルで あたらしい内容であろうとも、これまでの議論の蓄積のうえに なされるものです。これまでの土台があってこその、一文なのだと おもっています。だから、ひとつの論文は、それで完結するものではなくて、そこから「ひろがっていくもの」、「つながっていくもの」だと おもいます。けれども、その論文の内容に ものすごく興味がそそられるというのでなければ、読者は そこで満足をします。ひとつの論文をよんで、そこからさきへは すすみません。それが残念なことのように おもうのです。 もちろん、それ

    「ひとつの論文」の文脈(「漢字という障害」と「漢字という権威」) - hituziのブログ 無料体験コース
  • 1