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ブックマーク / elmikamino.hatenablog.jp (166)

  • 越境する民の記録:上方落語「代書」に聞こえる済州島方言 - 記憶の彼方へ

    上方落語に「代書」あるいは「代書屋」と呼ばれる演目がある。昭和10年代、 大阪市東成区今里の自宅で副業として今日の行政書士のルーツである代書人を営んでいた四代目桂米團治が、その実体験に基づいて創作した新作落語で、1939年4月初演された。そのなかに、済州島出身の男が駆け込んできて、大阪に紡績女工として働きに来る予定の故郷の妹のために「渡航証明」を取るのに必要な書類の代書を片言の日語で依頼する場面がある。杉原達『越境する民』によれば、なんと最後には依頼主のセリフに済州島の方言が音写されているという。 越境する民―近代大阪の朝鮮人史研究 「ハイ、チョド物をタッねますカ、アナダ、トッコンションメンするテすか」 「変ったんが来るな今日は。トッコン、ショメンて何や」 「解らんテすか。ワダシ郷里(くに)に妹さん一人あるテす。その妹さんコント内地きてボーセキてチョコーするです。その時警察(ケサツ)テ判

    越境する民の記録:上方落語「代書」に聞こえる済州島方言 - 記憶の彼方へ
  • ページの上に川が流れ、道が走り、未亡人がいることがある - 記憶の彼方へ

    和文と違って欧文の場合は単語と単語の間の空間、ワードスペースがあるため、組版の仕方によっては、白みが縦方向につながる場合がある。それまで横方向に流れていた視線が突然縦に流れ落ちる。欧文の組版の基礎的マナーとしてはそれはできるだけ回避すべき「悪い現象」とされる。面白い。 ・・・ワードスペースの白みが数行にわたって縦に入り、つながって見えることがあります。これが、トカゲが歩いた跡や川のように見えることから、リザード (lizard)、リバー (river) といいます。組版上の悪い現象で、箱組の時に特に多く見られます。また、行頭、行末に同じ単語、あるいは同じぐらいの長さの単語が続くと、やはり縦に白い線が走ることがあります。これを、ストリート (street) といいます。 高岡昌生『欧文組版』美術出版社、2010年、94頁 また段落の最終行、ページの最上段や最下段に1単語あるいは数単語が取り残

    ページの上に川が流れ、道が走り、未亡人がいることがある - 記憶の彼方へ
  • 不安な文字組 - 記憶の彼方へ

    オリジナルのカバー、表題部分 鈴木清の最初の写真集『流れの歌』のカバーに印刷された表題をはじめて見たときの驚きについて、やや空想めいたことを語りたい。その驚きは何に由来したのか。それは一見素朴に見えて実は極めて大胆な文字の組み方だった。特にセンチュリー・オールドスタイル・イタリックの小文字で二文字分のスペースを空け緩く組まれた英題「soul and soul by kiyoshi suzuki」からは、まるで6つの単語が今にも四散してしまいそうな、流れ去ってしまいそうな不安な印象を強く受けた。 ダミーのカバー、表題部分、書体指定が見える モダン・ローマン体のひとつであるスコッチ・ローマン系に属するセンチュリー・オールドスタイルは日の出版物では最もよく使われてきたありふれた欧文書体のひとつである。鈴木清はなぜセンチュリー・オールドスタイルを選んだのか? そして、なぜ題名と作者名を一体化する

    不安な文字組 - 記憶の彼方へ
  • 闘う言語学者、小島剛一 - 記憶の彼方へ

    トルコのもう一つの顔 (中公新書) 作者: 小島剛一出版社/メーカー: 中央公論社発売日: 1991/02/01メディア: 新書購入: 14人 クリック: 159回この商品を含むブログ (49件) を見る 近藤さん(id:CUSCUS)の強い勧めで小島剛一著『トルコのもう一つの顔』(中公新書、1991年)を読んだ。子供の頃、少数民族に興味があると言った私に、世界には名も無い民族もあるんだよ、とある年配の人文地理学者が教えてくれたときの驚きの感情が甦った。存在しないことになっているんだ。彼らについて書くこともできないんだ。命取りになるからね、と言ってその人は複雑な笑みを浮かべたのを今でもよく覚えている、、。知ることはできるが、迂闊に公表することはできないことがこの世界にはあることを知ったそれが最初だったかもしれない。そして国家、国民、国語が覆い隠してきたものの蠢きを感じたのもそれが最初だった

    闘う言語学者、小島剛一 - 記憶の彼方へ
  • 死刑執行 - 記憶の彼方へ

    2010年7月28日朝日新聞夕刊 朝日新聞の記事によれば、死刑制度に反対の考えを持ち、法相就任後も死刑執行に関して慎重な態度を見せていた千葉景子法相は、法務省幹部による度重なる説得によって死刑執行を決断したようだ。法務省内には昨年始まった裁判員制度に関するある危機感が強まっていたという。「市民が苦悩の末に決めた死刑が、法相の判断で滞っては、裁判員からの批判が噴出し、制度を根から揺るがしかねない」。制度ありき、の末転倒した意見にすぎないが、その背景には、確定死刑囚の増加と死刑容認派は85パーセントを超えたという今年二月に公表された内閣府の世論調査結果があったという。 記者に「変節」の理由を質された千葉法相は「職責に定められていることをさせていただいた」とだけ語ったという。苦汁の決断だったのだと推察する。というのも、千葉法相は現職法相として初めて死刑執行に立ち会ったことを公表したからである

    死刑執行 - 記憶の彼方へ
  • ページへの深い眼差し - 記憶の彼方へ

    工藤さんが大変稀少な『日の近代活字 木昌造とその周辺』(近代印刷活字文化保存会、2003年)を不要だからと言って私に譲って下さった。昼休みにわざわざ届けて下さった。なんと工藤さんはかつて印刷業界で働いていらしたという。その関係で手に入れられたそうだ。書は市販されていない。私は以前この重厚大型図書館から借出してむさぼり読んだのだった。工藤さんは、私がともすればテキストだけに目を奪われがちな傾向に抗して、活字や組版や印刷など書物の唯物的位相、つまり「ページネーション」に関する記事をある時期に連発していたのに目を留めて、嬉しくなって、ちょうど処分にも困っていたので、私に譲ってくださったのだった。こんな嬉しいことはない。 書の最後に鈴木宏光が司会を務める「書物の様式とメディア性 活版印刷によるその変容」と題した討議が載っている。討議に参加しているのは高木元、府川充男、雪嶋宏の三氏である

    ページへの深い眼差し - 記憶の彼方へ
  • 熱いデザインと冷めたデザイン - 記憶の彼方へ

    杉浦康平のデザイン (平凡社新書) 臼田捷治は、現在の日のグラフィック・デザイン、とくにブックデザインは、杉浦康平のデザインとは対照的に、痩せ細って微温的になってしまっていると述べている。 現在の日のグラフィック・デザイン、とくにブックデザインはまるで「何もつくらない」、もしくは「何もつくっていないように見せる」デザインがよしとされているかのようだ。<ミニマム・デザイン>といえば口当たりはよいが、ダイエットのし過ぎのようなデザインへと、雪崩をうつかのような画一化の道をたどっているように見受けられる。私はそうしたギリギリの、シンプルさの臨界を極めようとするあり方が分からないではない。このミニマリズムもまた私たちの琴線に触れる伝統的な美意識であるから。いうならば<引き算>の美学だが、それはいわば後戻りキップのない終着点に立っているようなもの。その覚悟をもって臨んでいる限りでは問題ないが、そ

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  • 故郷は時のなかに - 記憶の彼方へ

    『宮常一 写真・日記集成(上巻)』 『宮常一 写真・日記集成(下巻)』 『宮常一 写真・日記集成(別巻)』 『宮常一 写真・日記集成 附録』 asin:462060609X 宮常一の写真を見ながら、故郷はあるとすれば、<時間>のなかにしかない、という突飛な想いにとらわれる。それがどこであろうが、時めくような時の経過の仕方そのものが故郷である、と。その意味では日人は高度経済成長以降、時間的失郷民にほかならないのではないか、と。 asin:4582832253 2004年、宮常一の故郷、山口県の周防大島に「周防大島文化交流センター」が開設した。そこには、宮常一が昭和30年から昭和55年までの間に日列島の津々浦々で撮影した10万点あまりの写真が一枚残らず収められている。佐野眞一は、それらの写真は、日の風景と日人の生活が高度経済成長によって昭和35年(1960)を境にしていか

    故郷は時のなかに - 記憶の彼方へ
    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/12/09
    「故郷はあるとすれば、<時間>のなかにしかない」または「記憶」と云つた批評家がゐた。
  • 留魂之碑:大田静男さんの「希望」 - 記憶の彼方へ

    橋成一監督のドキュメンタリー映画『ナミイと唄えば』(姜信子原作・企画、2006年、asin:B000LV6MLO)の後半、姜信子さんとナミイおばあが、大田静男さんの自宅を訪ねるところからはじまる場面がある。大田静男さんは自宅の野趣あふれるいい感じの庭のような畑地のような場所に、「あんとんまる事件」の名もなき犠牲者たちの魂を祀る「留魂之碑」と名づけた碑を自分で建てた。彼らを喜ばす歌をぜひ唄ってもらいたいとナミイおばあに頼んだのだった。大田静男さんは「留魂之碑」の由来について次のように語る。 ここは、朝鮮の人とか、中国の人とか、そういう祀られていない人たちを祀ったと。あんとん丸という、朝鮮の船か、中国の船か、分からない船が、イリオモテ(西表)に漂着して、そしたら、軍隊に捕まれて、重労働や、もう大変な仕事をさせられて、ところが、ご飯はお粥一杯とか。そしてこの人たちは、こんなに、酷使をして、重労

    留魂之碑:大田静男さんの「希望」 - 記憶の彼方へ
  • カタカナのニンゲン - 記憶の彼方へ

    ツタ(蔦, Japanese creeper or Japanese Ivy, Parthenocissus tricuspidata) ガンジス河の河原で人間の死体が粗大ゴミのように無造作に次々と燃やされる光景を見続けたり、中洲に流れ着いた人間の死体にらいついていた犬たちに襲われて命を落としそうになる体験を通じて、藤原新也は後に「ニンゲンは犬にわれるほど自由だ。」と表現されることになる「ニンゲン観」に到達した。もちろん、実際に犬にわれていたのは人間の死体である。しかし、目の前で焼かれる死体も、犬達にわれている死体も、今生きている自分と分け隔てなくあることの衝撃が、日で育つなかで死から隔てられることでかえって衰弱した脆い生に苛立っていた人間を、死と絡み合った逞しい生を自覚したニンゲンへと脱皮させた。カタカナの「ニンゲン」。 命を大事にすることは良いことだが、それへの過大評価は人間

    カタカナのニンゲン - 記憶の彼方へ
  • 羊の角に触れよ - 記憶の彼方へ

    asin:4163685308 藤原新也が、麻原彰晃こと松智津夫の郷里八代を歩き、実兄満弘に会い、そして熊県庁の水俣病対策課への度重なる接触を通じて、オウム真理教事件の病根を「われわれの問題」として一部解いていたことを知らなかった。目に焼き付け、足に刻み付け、耳を研ぎすます佐野眞一のルポルタージュの作法を彷彿とさせる捨て身の「取材」に基づいた優れたノンフィクションを読んだ気分にさせられた。しかも、インドとチベットの旅の意味が宗教の根っこを掘り起こすように逞しく語り直される。目や足や耳の記憶は何度でも語り直され、語り直されるたびに世界の新しい地平線が陽炎のように浮びあがる。書を通して、藤原新也は人間にとって最も困難な「事業」のひとつについて意味深長に語っている。 私ははじめて出会った動物にはいつもそのようにした。見知らぬ者を目の前にした動物は警戒し、脅えている。そんなとき私は能的に目

    羊の角に触れよ - 記憶の彼方へ
  • 歴史する(doing history) - 記憶の彼方へ

    『風の旅人』 16号 - FIND the ROOT 「世界」と「人間」のあいだ - HOLY PLANET 他人事のように実体化されがちな歴史にサヨナラを告げて、親密な語りに積極的に巻き込まれながら、ぼくらは日々刻々と歴史する(doing history)存在なのだ、と主張した今は亡き特異な歴史学者・保苅実(ほかりみのる, 1971–2004)さんの声をひさしぶりに聞いたような気がした。『風の旅』のバックナンバーに目を通していて、16号に掲載された保苅実さんの懐かしいテクスト「歴史する身体と世界の歴史」に目がとまった。しかも、「SANCTUARY AYERS ROCK」と題した橋成一さんによるアボリジニの聖地であるエアーズ・ロックの神話的光景の写真12枚が、保苅さんのテクストと響き合うように、絶妙に編集されていた(35頁〜51頁)。まるで、オーストラリアの先住民アボリジニの世界を記録す

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  • 宮本常一が撮った昭和の情景 - 記憶の彼方へ

    asin:4620606391 asin:4620606405 書『宮常一が撮った昭和の情景』(上下巻)は、宮常一が昭和30年(1955)から昭和55年(1980)まで全国津々浦々を歩いて見て撮った十万枚の写真から約三千枚を選んで編集された大型の『宮常一写真・日記集成』(全2巻、別巻1)を底として再構成してコンパクトにまとめたものである。上巻は昭和30年から昭和39年(1964)まで、下巻は昭和40年(1965)から昭和55年まで。「凡例」によれば、収録点数は約八百五十に圧縮されているが、『集成」未収録の写真も若干加えられた。これで、あの重たくて大きく高価な『集成』が手元になくとも、母体である「十万枚の写真」に接近する身近な拠点ができたようで嬉しい。しかもとしての完成度が高いと感じた。凛としたの佇まいに、奥付を見たら、ブックデザインは『ページと力』の鈴木一誌とある。なるほど

    宮本常一が撮った昭和の情景 - 記憶の彼方へ
  • ナルほど - 記憶の彼方へ

    asin:4582854826 印欧語が存在と所有を表す動詞を根幹とする言語だとすれば、日語は存在と生成、とりわけ生成を表す動詞を根幹とする言語であるらしい。たしかに、「ナル」を使わなければ、まともに日語で話したり書いたりすることはできなく「なる」。ほら、もうすでに、そうでしょう? お試しあれ。個人的には特に、「なるようにしかならん」とか、「なるほど」が使えないとすれば、最近の心境はうまく表せない。困る。日語の考古学とも言うべき、木村紀子『原始日語のおもかげ』を読みながら、自分がもっとも頻繁に、しかも無意識に使っている言葉ほど、その言語の根っこに近いのだということを改めて認識させられた。頁を捲るたびに目からウロコが落ちた。特に、「ナル」に関しては、その日語の最古層へと探針を降ろした木村氏の慧眼は、狭義の言語意味論を越えて、文学論、さらには文化論にまで及んでいる。 つまりは、この世

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  • 最後の琵琶法師、山鹿良之(1901–1996) - 記憶の彼方へ

    琵琶法師―“異界”を語る人びと (岩波新書) 兵藤裕己(Hiromi Hyodo, 1950–)著『琵琶法師―<異界>を語る人びと』(岩波新書)を迷わず買った。テーマもさることながら、帯表の「演唱の実像を伝える稀少な映像DVD付き」、つまり付録に俄然惹かれた。子供の頃から付録やオマケに弱い。それにしても新書にDVD? 新書初の試みだという(書「あとがき」201頁)。カバー折り返しにはこうある。 モノ語りとは<異界>のざわめきに声を与え、伝えることである------皇族や将軍に仕える奏者として、あるいは民間の宗教芸能者として、聖と俗、貴と賤、あの世とこの世の<あいだ>に立つ盲目の語り手、琵琶法師。古代から近代まで、この列島の社会に存在した彼らの実像を浮き彫りにする。「最後の琵琶法師」による演唱の希少な記録映像を付す。 「最後の琵琶法師」? おお、8cm DVDがこうして付いている。 山鹿良

    最後の琵琶法師、山鹿良之(1901–1996) - 記憶の彼方へ
  • 雑草への愛着は何処へ - 記憶の彼方へ

    「雑草という名前の草は無い」。これは昭和天皇のお言葉らしいが、いわゆる雑草の身になって「雑草とは言わせない」などと一人前のことを口走り、書きながら、実際には相変わらず身近な雑草たちの多くをよく知らない。でも、注意して見るようになってからは、あの誰にも見向きもされない目立たない植物たちに愛着が湧いてきたのは確かだ。風にそよぐイネ科やカヤツリグサ科の雑草たちは美しい。せめて名前だけでもパッと出てくるようになりない。そう思って、体調を崩して寝込む前に、いわゆる雑草の同定に関して、口先ばかりでなく、腰を入れるつもりで注文してあったが届いた。 形とくらしの雑草図鑑―見分ける、280種 (野外観察ハンドブック) 作者: 岩瀬徹出版社/メーカー: 全国農村教育協会発売日: 2007/10メディア: 単行 クリック: 13回この商品を含むブログ (9件) を見る 日のスゲ (ネイチャーガイド) 作

    雑草への愛着は何処へ - 記憶の彼方へ
  • 原爆と写真:東松照明 - 記憶の彼方へ

    ニッポン人脈記・この一枚の物語1「終わらぬ悲惨 世に伝え」(2009年6月8日朝日新聞夕刊、文・写真:相場郁朗) → 「終わらぬ悲惨 世に伝え」(asahi.com) 上の切り抜きをこの二週間毎日眺めていた。原爆と写真の関係ということを考えていた。 余りにも有名な1961年に東松照明が撮影した被爆者、片岡津代さん(当時40歳)のケロイドに覆われた顔の写真(大)に、現在の片岡さん(88歳)の写真(小)が添えられている。それらは、1945年8月9日から1961年までの悪夢のような時の流れとそれから2009年までの神聖な時の流れの対比によって片岡さんの人生の輪郭を雄弁に物語っているように感じられた。そして相場郁朗氏が撮影した、偶然にも私が愛用しているのと同じコンパクトカメラを構える最近の東松照明さんの神々しい表情の写真は、もうひとつの時の流れ、宿命的な写真家としての人生を見事に捉えているように感

    原爆と写真:東松照明 - 記憶の彼方へ
  • 原罪の思想:緒方正人の闘い - 記憶の彼方へ

    昨日の朝日新聞朝刊に、「水俣病問題 『個の責任』に立ちかえれ」と題された緒方正人(おがたまさと)さんによる長文の意見広告が掲載された。緒方正人さんの思想と行動に深く感動した。 緒方正人「水俣病問題 『個の責任』に立ちかえれ」(2009年6月18日朝日新聞)より 自身水俣病患者であり、水俣病がたんなる政治問題として処理されることに反発し、人間としての真の解決の道を身を以て示しながら闘ってきた緒方正人さんが、この3月に政府与党が国会に提出した「最終解決」をうたった「水俣病被害者の救済及び水俣病問題の最終解決に関する特別措置法案」の欺瞞性を告発し、自身のこれまでの歩みを振り返りつつ、われわれは社会的、政治的立場や利害関係を越えて「個」の責任において「原罪」の地平によって立つべきことを強く訴えている。 私は、水俣市から車で半時間の芦北町女島[あしきたちょう・めしま]で漁師をしている。毎日、と2人

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  • 別れ - 記憶の彼方へ

    Ink-Keeper's Apprentice 作者: Allen Say出版社/メーカー: HMH Books for Young Readers発売日: 1994/10/24メディア: ハードカバー クリック: 1回この商品を含むブログ (15件) を見る 16歳のキヨイは身近な人たち、そしてそれまでの自分と別れる準備を進める(第19章、最終章の後半)。 キヨイはスケッチブックだけを残して、アパートの部屋をいったん引き払った。荷物はすべて祖母の家に運び、帰国するまで預かってもらうことにした。最後の数日を祖母の家で過ごした。孫のアメリカ行きを快く思っていない祖母は最後までキヨイに日人であること、日語を決して忘れるなと忠告し続ける。 キヨイはReikoとは二度と会うことはなかった。オルゴールのプレゼントは郵送したのだった。Michikoには金のピンと木炭画を直接手渡した。Michiko

    funaki_naoto
    funaki_naoto 2009/06/08
    「一番大切なのは、師のもとを去るタイミングを知ること」
  • 時間持ち - 記憶の彼方へ

    鹿児島の南九州市川辺町の土喰(つちくれ)というすごい名前の村に「変な」アメリカ人が暮らしている。肩書きは民俗学研究者兼土喰小組合長のジェフリー・アイリッシュ(48歳)。シリコンバレーで育つも、17歳のときに黒澤明の『影武者』を見て日に興味を持ち、大学では日史を専攻し、卒業後清水建設に入社し、ニューヨークで現地法人を設立し副社長になるも退職し、その後鹿児島の下甑(しもこしき)島で定置網の漁師になり、いったんハーバード大大学院で民俗学を学び、京大留学を経て、結局、土喰(つちくれ)に根を下ろした。村はずれの家畜見張り小屋に住み、共同作業に率先して加わり、伏す老人を見舞い、寄り合いの口論にじっと耳を傾け、小さな畑を耕し、わずかな稼ぎで生計を立てる。そんな彼の言葉。 お金持ちではないが時間持ちです。 ……生きていることは当たり前とは思えません。与えられた時間は貴重です。お金なら企業で役員をしてい

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