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ブックマーク / gureneko.hatenadiary.org (2)

  • 葛兆光教授講演会 「“中国”とは何処か?」 - gurenekoのメモ(終活中)

    東京大学東洋文化研究所に、「“中国”とは何処か?」という講演会(http://www.asnet.dir.u-tokyo.ac.jp/zh-hans/node/7044)を聞きにいきました。 東洋文化研究所という場所と、この講演会の題名から、私は参加するまでは、てっきり講演者は『『春秋』と『左伝』―戦国の史書が語る「史実」、「正統」、国家領域観』(中央公論新社・2003)等の著作でお馴染みの平勢隆郎氏の見解に対して賛成または反対の論を展開しに来るのだろうと、勝手に思い込んでいました。 しかし実際には、現代において中国史を研究する際に、多義的な「中国」という概念をどう扱うべきなのか、という話でした。 一般の中国人の、国際的に見て特異と言わざるを得ない領土概念については、日では批判の的です。しかし士大夫と民の知力の差の大きさは中国の伝統の一つです。葛教授は、旧来型の中国のナショナルヒストリー

    葛兆光教授講演会 「“中国”とは何処か?」 - gurenekoのメモ(終活中)
  • もっと海に着目しましょうよ、網野善彦先生。 - gurenekoのメモ(終活中)

    網野善彦著『「日」とは何か』(講談社・2000)の92ページに、紀淑光という参議が「日」という国号の由来を『日書紀』の講師に質問したという話が登場する。講師は最初は『隋書』東夷伝の「日出づる処の天子」を引用するが、この国から見れば太陽は国の中から出ないという再度の質問に対し、唐から見て東だからと答えたそうである。 著者はこの講師の最終見解をほぼ全面的に採用してしまったらしく、「このように、この国号は「日」という文字に則してみれば、けっして特定の地名でも、王朝の創始者の姓でもなく、東の方向をさす意味であり、しかも中国大陸に視点を置いた国名であることは間違いない。」と書いている。 果たして当に「間違いない」と言い切れるだろうか? 遣隋使が持参した国書において、「日出づる処の天子」は「日没する処の天子」との対比で登場している。「日没する処の天子」とは隋の煬帝である。よって「日出づる処の

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