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ブックマーク / hayabusa.jaxa.jp (4)

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年7月9日 私の選ぶ「はやぶさ」最高の「その時」 探査機運用班長、スーパーバイザー、イオンエンジン担当 西山 �

    2010年7月9日 私の選ぶ「はやぶさ」最高の「その時」 探査機運用班長、スーパーバイザー、イオンエンジン担当 西山 和孝 「はやぶさ」の応援をしてくださった方々やプロジェクト関係者の皆さんにとって、最も印象的で記憶に残った「その時」は7年間の「はやぶさ物語」のどの場面でしょうか? おそらく、「はやぶさ」がさまざまな苦難に立ち向かう場面を思い浮かべる方が多いことでしょう。プロジェクト関係者ですら記憶にないことかもしれませんが、私はあえてイトカワ到着の4ヶ月ほど前の2005年5月10日から17日にかけての一週間を最高の名場面、「その時」としてあげたいと思います。 2010年6月13日、一時は「強制終了」かとも思われた7年間(2592日間)にわたる「はやぶさ」探査機運用のラストシーン(最終追跡運用)を私は最終スーパーバイザーとして完成(管制)することができました。全ミッション期間の探査機追跡は

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン

    2010年6月23日 「はやぶさ」から 元宇宙研広報委員長 的川 泰宣 「はやぶさ」のカプセルが相模原に帰ってきた。6月18日午前2時過ぎである。深夜の宇宙科学研究所の正門前には大勢の人が歓呼の声を挙げて出迎えた。入口左に「夢と希望をありがとう はやぶさ」と大書した横断幕。7年間の長旅を経た「はやぶさ」の、戦地からの「引揚者」はこれだけである。「隊」は華々しくオーストラリアの夜空に散った。 6月13日の夜、上空に出現した光の点がみるみるうちに輝きを増し、すぐに人々の影が地上に見えるほどの明るさになった。と見る間に太い光の帯はほどけて、おそらくは体のあちこちを溶かしながらバラバラとそれぞれの個々の大きな真珠に姿を変じていく。やがて真珠は小さな小さな粒になって大空に消えていった。ふと見るとその黒い虚空のすぐ下に懸命に走り抜けている弾丸走者がいる。「はやぶさ」の消えた闇をただ一人生き抜いて生還

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年5月27日 ひとつの探査機の最後 カプセル方探2班 班長 関 妙子

    2010年5月27日 ひとつの探査機の最後 カプセル方探2班 班長 関 妙子 6月にオーストラリアに直接出向く回収隊メンバーは、年齢も経歴も専門分野も、実に様々な人々で構成されています。「はやぶさ」プロジェクトに最初から関わっていた方もいれば、回収フェーズになってから参加したメンバーもいます。かく言う自分も、ほんの一年前までは外野から応援する一人のファンにすぎませんでした。スイングバイ、タッチダウン、通信途絶、そして救出…大きなイベントのたびにプレスリリースを見ては、一喜一憂していました。まさか、回収隊の一員となって頭にヘルメット、足には安全、脚立に上り、片手にレンチを持ってアンテナを組立て、真夜中のウーメラの砂漠で「はやぶさ」の届け物を探すことになるとは、思ってもいませんでした。ふとしたことをきっかけに得られる、またとない経験。人の縁というのは不思議なものです。 「はやぶさ」がM-V-

  • 関係者からのメッセージ│はやぶさ、地球へ! 帰還カウントダウン | 2010年5月10日 ほんとうに帰ってくる... はやぶさカプセル 山田 哲哉

    2010年5月10日 ほんとうに帰ってくる... はやぶさカプセル 山田 哲哉 カプセルの再突入というのは、いつも最後にやってくる。だれも打ち上げの最初に再突入させたりはしない。カプセル屋としては、そういうものがあっていいと思うのだが、打ち上げの時に再突入するのはだいたい失敗であるし、そうかといって千年先まで再突入して来ないカプセルもうまくない。いずれも経験してきた。それが、今回はもうすぐ当に「はやぶさカプセル」が帰ってくる。ああ、ついにこの瞬間が来るのだ。 中学生の時のクラス対抗リレー。バトンを渡された。アンカーに引継ぐ係だ。夢中で走った。競っていたと思う。自分は速いつもりだった。でも、コケた。あろうことか、番で。 去年の11月のことだ。 「ダメだ。どうも命もここまでだ。ワリぃな。ワルかった。カプセルまで届きそうもない。」 いつも偉そうなK先生に謝られちゃうと、事実の認識ができずに頭

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