小文字の r g n m あたり、Futura の初期型の字形が使われていてちょっと新鮮です。ふつう見かける Futura は、落ち着いた一般的な字形ばかりのものが多いわけですが、最初の発想はけっこうトガっていた。
![Futura の初期型 | ここにも Futura](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/a8b9f317f7c573bc3ccae19d7b8115b009c24544/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpds.exblog.jp%2Fpds%2F1%2F201802%2F18%2F64%2Ff0144064_17590762.jpg)
昨年末に購入した本『Just My Type』です。書体デザイン関係のコンファレンスの雑談で聞く話を集めたような本。コラム数22で、それぞれの話題が数ページくらいの短い話になっていて、気軽に読めます。 他に、「ドイツのフォントとかユダヤのフォントってあるの?」というコラムがあります。読んでみたら、だいたい この著名人達の証言 にもあるような内容でした。 ナチスは最初ブラックレターを使っていたけれど1941年に使用を禁じて、そのときの表向きの理由は「ブラックレターはユダヤの書体」ということだったけれど、本当の理由は、実用面からローマン体とかサンセリフ体に切り替える必要があったからだ、という話です。
読者の DAYLIGHT さんから、メーカーによって書体のデザインが違うのはなぜかという質問をいただきました。 MyFonts.com で調べたところ、 Futura という名前で手に入る書体はたくさんあります。その中から、Extra Bold のウェイトに限定して比較するだけでこんな風に違いがあります。一番上が Futura ND です。同じポイントサイズでの比較ですが、大きさにも違いがあります。 そうなったのにはいろいろ事情があって、それこそメーカーよっても書体によっても様々なケースがあるので推測の域を出ませんが、こんなふうに考えてください。 メーカーによってデジタル化の次期や担当者が違います。版権を持っている活字会社からライセンス契約して原図(清刷)を借り受けてデジタル化したとしても、作業担当者が違えば最終的にできあがるものもとうぜん違うわけで、 Futura のように金属活字書体と
雑誌『デザインの現場』に「書体 Futura は欧米やイスラエルで普通に使われている」という記事を書いたのが2004年10月号です。それまで日本だけで聞かれた「Futura はナチスのイメージがあるので使用に注意」という噂はオカシイよ、と声を上げてからもうすぐ5年ですが、その噂はいいかげん消えつつあるんでしょうか、それともまだ深く残っているんでしょうか。『デザインの現場』2004年10月号が今は手に入りにくくなっていると思うので、その噂についてそのときインタビューした世界各地のタイポグラフィ界の方たちの意見をここでも紹介します。 なお、雑誌の記事にしたときには字数の制限があって短くせざるをえなかった意見もありましたが、ここではそれより長く載せます。インタビュー転載については『デザインの現場』の了解を得ました。この場を借りて感謝いたします。 スティーブン・ヘラー氏 (Steven Helle
studio ひいるすさんの「その都市伝説のソースらしきものに出会いました...」というコメントについて、さらに付け加えます。日本の出版物の内容に変化が生じてきたかもしれないというお知らせです。 studio ひいるすさんのおっしゃっているのと同じ本かどうか分かりませんが、きわめて似た内容の書かれている本の著者に私の知り合いが尋ねています。きょう、その知り合いから以下の返事がありました。 「この話の出所を著者に会って確認したところ、この著者はある雑誌に載っていた話を覚えていてそれを書いたものだということが分かった。その雑誌に載っていた話自体も、日本での伝聞話を書いただけのもので客観的に信頼できるものではないことを確認してもらった。そのうえで、訂正した内容の改訂版を出すことになっているらしい」 そんなわけで、改訂版にご期待ください。 しばらくご無沙汰してしまっておりました。 おぉ、そうだ!と
Jan Tschichold(ヤン・チヒョルト、1902-74)はライプチヒに生まれたタイポグラファです。 パウル・レナーに招かれて1926年にミュンヘンの学校で教壇に立ちますが、1933年にナチスによって職を追われて、その後ドイツを離れてスイスのバーゼルに移ります。大戦後もイギリスのペンギン・ブックスのリデザインを任されるなどブックデザイナーとして活躍して、1966年にSabon という優れたローマン体も残しました。 先日、勉強のためにチヒョルトの本『Erfreuliche Drucksachen durch gute Typographie』を買ったところ、組版の例のいくつかが Futura で組まれていました。日本でささやかれている「Futura はナチス」関連の噂話では、「チヒョルトは Futura を避けていた」みたいなのもあるそうですが... チヒョルトは良い組版の例を示すのに
2週間ほど前、オランダの書体デザイナーが会社にきて、ちょっと打ち合わせをしました。仕事の話が一段落してからお茶を飲むときにたまたま他の社員がお茶の用意などしていて二人っきりになったときに、チヒョルトの話になりました。それから発展して、私は日本での Futura の噂の話をしたら、文字通り目をまん丸くしてそのあと顔をしかめて「変な話だな! レナーが反ナチだったのは誰でも知っていることじゃないか!」といって驚いてました。ついでに、日本では変な話が他にもあって、「Univers はオランダを連想させる書体だ」という話もインターネットで見たよという話をしたらそれにも目を丸くしてました。そんなの全然ちがうって。 パーティなどでそういう「日本での Futura の噂」をちょっとした話の種にすることがある。たいてい相手は書体デザイナーか、デザイン学校の先生か、または書体デザインのことを勉強している学生さ
よけいなお世話なんだけど.... そんなわけでニューヨークに到着してから1時間の間に、外に出なくても Futura に2回出会ったことになります。 ニューヨークは寒かったので、TDC に歩いて行く途中にペンシルバニア駅の地下通路を通りました。これはそこで見た案内板。Futura です。 ちょっと脱線です。10月に日本に出張していた時、Krispy Kreme という名前のドーナツ屋さんを新宿で見た。小田急センチュリーサザンタワーに泊まっていたので毎日その前を通っていたが、店の前から高島屋に続く跨線橋の上まで長い行列ができて、「1時間20分待ち」とかいう立て札が出ていた。最初は何を売っているのか知らなかったので、行列の整理係の人に聞いてはじめてドーナツ屋だということが分かった。ドイツ人の同僚とその前を通るたびに「うわーまた並んでる」といって驚いていた。土曜日も朝の7時半からもう「30分待ち」
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