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ブックマーク / nipponica-vla3.hatenablog.com (5)

  • 日本洋楽外史(その3)大正時代 - ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

    『日洋楽外史』第3章は「大正時代」。第一次大戦、ロシア革命、外来演奏家、日の留学生などなど、大きな時代のうねりがあります。 ■日洋楽外史 : 日楽壇長老による体験的洋楽の歴史 / 野村光一,中島健蔵,三善清達(ラジオ技術社,1978) 第3章 大正時代 第一次世界大戦と視野の拡大 …74 イギリス新進作曲家の紹介 …77 ロシア革命と亡命音楽家 …79 セルゲイ・プロコフィエフ …81 大田黒・堀内・野村コンビの誕生 …85 帝劇・ストロークによる外来演奏家の招聘 …87 レオポルド・ゴドフスキの来日 …89 帝劇音楽会のオモテとウラ …91 ローシー盛衰記−ローヤル館時代 …95 浅草オペラ盛衰記 …98 浅草オペラと永井荷風 …102 音楽外々史−永井荷風 …105 音楽の周辺つれづれ …109 第一次世界大戦と自然主義 …111 ドイツ派からフランス派へ …113 交響楽運動

    日本洋楽外史(その3)大正時代 - ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ
  • 日本洋楽外史(その2)明治から大正へ - ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

    『日洋楽外史』第2章は「明治から大正へ」。オペラ、山田耕筰、奏楽堂、音楽雑誌、軍楽隊などが話題にのぼります。 ■日洋楽外史 : 日楽壇長老による体験的洋楽の歴史 / 野村光一,中島健蔵,三善清達(ラジオ技術社,1978) 第2章 明治から大正へ 今日は帝劇・明日は三越 …49 よもやま話 …53 頭デッカチの文化人たち …57 音楽出版−<音楽と文学> …62 軍楽隊 …66 追悼−東海林太郎 …68 三浦環(旧姓柴田) …70 以下、この時代は野村光一氏の独壇場です。 野村「〜(帝国劇場は)歌劇部というのをこしらえ、清水金太郎とかそういう人たちを集めてオペラをやろうとした。けれども、すぐにはできないので、しかたなくオペレッタを始めたんですよ。そのためにイタリアからローシーという演出家を呼んできたんだけれど、これがどうもうまくいかない。それで歌劇部の連中の首をみんな切ってしまった。だ

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  • 日本洋楽外史(その1)明治時代 - ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

    ニッポニカ第33回演奏会は「アカデミズムの系譜」と題していますので、参考になるを探していたら『日洋楽外史』というのを見つけました。音楽評論家の野村光一(1895-1988)、フランス文学者の中島健蔵(1903-1979)、NHKディレクターの三善清達(1926-、三善晃の兄上)が、それぞれの体験を踏まえて語り合ったものです。すこぶる面白いので何回かに分けてご紹介します。音楽史のおさらいにしばしお付き合いください。なお野村光一は『名曲に聴く』というレコード批評のをだしていますが、「あらえびす」の筆名で『名曲決定盤』を出した野村長一(胡堂、1882-1963)とは別人です。 ■日洋楽外史 : 日楽壇長老による体験的洋楽の歴史 / 野村光一,中島健蔵,三善清達(ラジオ技術社,1978) 第1章 明治時代 はじめに …1 日洋楽原始時代と体験的洋楽事始 …1 日洋楽の開祖・幸田延先生

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  • 石井眞木『西の響き・東の響き』目次 - ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

    石井眞木先生のです。文は日語・ドイツ語英語が併記されています。そして数々の写真と楽譜がちりばめられています。 西の響き・東の響き 石井真木の音楽-二つの音世界からの創造 / 石井眞木編著 東京 : 音楽之友社, 1997 279p ; 31cm 目次: 序 / 石井眞木 …9 「西の響き・東の響き」-二つの音世界からの創造・苦渋と幻影 / 石井眞木 …12 ―幻影を追うのか― / 私と西洋音楽 / 仄暗き記憶 / 12音技法 / 幽し響き / 思索と技法 / 聲明との出会い / 東の聲 /ライオン狩り / 西洋楽器への導入 / 伝統楽器の拉致 / 出会いの旅 / 困惑の形式 / 統合へ / 意識の変革 / 伝統音楽と現代 / 打楽器 / 陥穽 / 日太鼓 / 和太鼓の拡がり / コンポジションと世阿弥 / <序破急> / 第三のイメージ 石井真木-多層的時間の総合 / 佐野光司 

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  • 高橋アキと作曲家たち - ニッポニカ・ビオラ弾きのブログ

    高橋アキ『パルランド:私のピアノ人生』には多くの作曲家との交流が記されています。目次に出ている名前の外にも、文中にある作曲家をいくつかピックアップしました。 「Part2 (2) ドロップ・サウンドの快感」より …芸高のソルフェージュの授業に宅孝二先生がいらしていてね。戦前パリで勉強された先生。でもめったに学校に来ない。ほかにもソルフェージュは毎週の授業があったけど、ボヘミアンみたいな宅先生はすごく人気があってね。(中略)あるとき、授業中に[サティの]《梨形の小品》を連弾でやろうということになって、宅先生と私が弾いて、こんな洒落たすてきな音楽があるんだとびっくりした。(p48-49) 「Part4 (5) 挑戦、現在進行形」より …あと、静岡音楽館の企画委員も、今年で辞めましたけど、九六年からずっとやっていましたね。 <インタビュアー:間宮芳生さんがチーフの。> そうです。最初の十年間は

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