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ブックマーク / nohgaku-kyodo.com (5)

  • 【レポート】金春流・観世流・宝生流による「超流派・超能楽入門」 - 能楽と郷土を知る会

    既に先月の話ですが、令和元年(2019年)7月24日(水)に、ホテル雅叙園東京で催された「能楽特別講座・シテ方四流若手能楽師によるトークセッション」に参加してきました。 これは、シテ方金春流能楽師の中村昌弘さんが年1回のペースで主催されている四流講座の5回目です。まずここでは、昼の部として開催された「超流派・超能楽入門」を一部だけですがレポートを記します。[1]なおこの記事の内容について、あくまで筆者が当日に取ったメモおよび記憶に基づいたものです。もちろん可能な限り再現したつもりですが、それぞれの話者が実際に話されたことや認識と異なる可能性があります。その場合の責任は私にございます。あらかじめ、明記させていただきます。 講師は主催の中村昌弘さん、そして観世流・武田宗典さん、宝生流・高橋憲正さんの3人。 今までは国立能楽堂の講義室で開催されてきたのですが、今回は豪華な雅叙園の会場です。中村さ

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  • 「これは常の扇。末広がりというは、末でくわっと開いたを末広がりという」 - 能楽と郷土を知る会

    7/3(日)の「お殿さまが見た狂言」で上演される狂言《末広かり》は、来「扇」の意味である「末広がり」を別のものと取り違える面白さを描いた狂言です。 「末広がり」自体は、広く扇の別名としても使われます。要(かなめ)の部分で繋ぎ留められた骨を開いて持つ、その形を「末」が広がっていると解釈するのですね。 ただし、狂言《末広かり》の中では、扇を示しながら「これは常の扇。末広がりというは、末でくわっと開いたを末広がりという」というセリフがありますので、扇といっても区別があることが分かります。 「末でくわっと開いた」末広がりは、上の図で示したもので、一般的には「中啓」と呼ばれます。この「啓」は「ひらく」の意味です。上の画像で示した通り、閉じているのに、先が開いている扇です。 「常の扇」は「通常」の意味ですから、一般的な扇ということですが、区別する必要がある場合は「鎮め扇」と呼ばれています。 中啓は、

    「これは常の扇。末広がりというは、末でくわっと開いたを末広がりという」 - 能楽と郷土を知る会
  • 節分は「豆をまく」?「豆を囃す」? 狂言から - 能楽と郷土を知る会

    江戸時代後期の儒学者、平賀蕉斎の随筆『蕉斎筆記』(寛政12年[1800]ごろ成立)を読んでいたところ、豆まきの掛け声について記した部分に“節分の夜、豆をはやす”[1]『百家随筆』3(国書刊行会、1918年)による。とあるのを見つけました。現在、豆に対して“囃す”とはまず言わないので、面白く感じていました。 すると昨年(2017年)、狂言方大蔵流・善竹忠亮さんが狂言《節分》を初演(披キ)される前日に“豆は『囃す』もの”とTwitterに書いてらしたのを見つけました。 へぇ・・ こういう考え方もあるのか。 明日[節分]の披き。 豆は「囃す」もので 終曲部ではガッツリ「ぶつけ」られますがね。 https://t.co/yLN6dbZ8vF — 善竹 (茂山) 忠亮 (@TadaakiZenchiku) 2017年2月4日 どうやら“豆を囃す”のは決して珍しい言葉ではないようです。このことをTwi

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  • 古典は変わらずとも、読みは変化する―『百人一首』の持統天皇歌から - 能楽と郷土を知る会

    『百人一首』の2首目は持統天皇「春過ぎて夏来にけらし白たへの衣ほすてふ天の香久山」。 これは『新古今和歌集』からの収録です。 でもこの歌、元の『万葉集』では「春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天の香久山」と少し異なります。この差異を、私は今まで『新古今和歌集』撰者[1]源通具・六条有家・藤原定家・藤原家隆・飛鳥井雅経・寂蓮の6人。また『新古今和歌集』編纂の院宣を下した後鳥羽院自身も、かなり積極的に関与した。による、新古今風への改変・改作として理解していました[2]私はこの『百人一首』と『万葉集』の差異を初めて知ったのは、永井路子さんのエッセイ『よみがえる万葉人』(文春文庫、1993年)のp69「女帝サマはお腹立ち」でした。以下のように記されているのを、無批判に信じ込んでいました。「たしかに大分違う。いまなら著作権問題で裁判になりかねないところだ。が、女帝サマ死後、約五百年たった『新古今

    古典は変わらずとも、読みは変化する―『百人一首』の持統天皇歌から - 能楽と郷土を知る会
  • 能が好きすぎて大変なことになったお殿さまの話 - 能楽と郷土を知る会

    先日、播磨学研究所/編『世界の遺産 姫路城』(神戸新聞総合出版センター、1994年)を読んでいたら、歴史作家の故・黒部亨さんの講演録「榊原政岑と高尾太夫」で面白い話がありましたので、紹介したいと思います。 榊原政岑(1715-1743)は江戸中期の姫路藩主。しかし、将軍・徳川吉宗が出した倹約令を無視して贅を尽くした結果、享保の改革に対する抵抗と見なされました。強制的な隠居と蟄居を命じられ、領地も越後高田へと移されます。将軍吉宗との政治的対立はともかくも、贅沢だったことから、姫路の歴代藩主の中でもあまり評判のよい人物ではありません。 ただ、政岑は政治よりも趣味に生きた人物だったようで、将棋や三味線などとともに、能楽も非常に愛好しました。能楽の中でも特に神聖視される《翁》についての秘伝「翁之大事」を、江戸時代の神道を統率した京都の公家・吉田家から受けている記録がありますから、数多い趣味それぞれ

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    funaki_naoto
    funaki_naoto 2018/06/07
    たしかに寝床だ。
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