『タイポグラフィ論攷』 板倉雅宣著 B5 判 112ページ 並製本 図版多数 定価:本体2000円+税 ISBN978-4-947613-94-3 【詳細 : 朗文堂ブックコスミイク 】【 アマゾン通販:ダイレクトサイト 】 ────────── 〔主要内容〕 目 次 から まえがき 本木昌造の呼称 本木昌造 長崎ゆかりの地 『學問のすゝめ』活字版 グーテンベルクが作った活字の高さをめぐって ギャンブルがつくった日本語かな活字 マージナルゾーンの語源を探る [史料]中国の母型と活字に関するホフマンの報告 日本語訳 <板倉雅宣 タイポグラフィ論攷 フライヤー PDF 1.92 MB> 長崎オランダ商館長 ── 1855年9月30日の記録 下部に本木昌造の自筆サイン・捺印がある。 ほかの文書に見る本木昌造の自筆サイン・捺印の例 朗文堂 担当者様 板
同じ言葉でも「誰が言ったか」で印象が格段に変わることがある。重みが違うのだ。 例えば、「音楽に力はない」という意見は、一流の音楽家と私が発したものだと説得力がまるで違う。一流の人が発する本質を目の前に、素人はうなずくことしかできない。 東浩紀さんの最新作『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる』は、まさに「この人に言われてしまったら、もう反論できない」と思わされる一冊だった。 "クリエイティブ勢"本書は、哲学者として第一線を走ってきた東浩紀さんが、2010年に自身の会社「ゲンロン」を立ち上げ、失敗を繰り返しながら創業10年を迎えるまでの話が綴られている。 記事のタイトルに"クリエイティブ勢"という単語を持ってきてしまったが、これは本書を読んで私の頭に浮かんだもので、東さんはこの言葉を使っていない(ので、不本意な解釈かもしれない)。ここで言う"クリエイティブ勢"は、広告とかアート、音楽や映像とい
紹介 中世ヨーロッパは古代ローマとイタリア・ルネサンスに挟まれた暗黒時代だった?狡猾なカトリック教会の言いなりで、迷信を好んで科学を拒み、野蛮で不潔だった?それとも、騎士が華麗に戦い、魔法と妖精が出てくるおとぎの世界?本書は中世ヨーロッパに関する11のフィクションをとりあげ、私たちの中世観がどのように作られてきたのか、実際どうだったのかを、豊富な一次史料とともに提示する。 目次 まえがき イントロダクション 第1章 中世は暗黒時代だった 第2章 中世の人々は地球は平らだと思っていた 第3章 農民は風呂に入ったことがなく、腐った肉を食べていた 第4章 人々は紀元千年を恐れていた 第5章 中世の戦争は馬に乗った騎士が戦っていた 第6章 中世の教会は科学を抑圧していた 第7章 一二一二年、何千人もの子どもたちが十字軍遠征に出立し、そして死んだ 第8章 ヨハンナという名の女教皇がいた 第9章 中世
1 978年のマイケル・ジャクソンは次の手を模索していたという。ジャクソン5の栄光を経て72年から75年にかけて良質なソロアルバムを出したものの、時代は変化しつつあった。たとえば、Pファンク軍団やザップなどをはじめとするファンクの流行。EW&Fの天文学的成功。タイトなアンサンブル、強烈なスラップ・ベース、派手なシンセサウンド。70年代的なソウルがソフトに感じるほどのインパクトとパワーがあったことは想像に難くない。 また、たとえば77年にはドナ・サマーの「I Feel Love」がチャートのトップに躍り出る。シーケンシャルなベースがうごめき、シンセがきらめくサウンドを耳にしたブライアン・イーノが、「未来の音楽だ」と言った発言は有名だが、ドイツのジョルジオ・モロダーが生み出したゆらめく電子音が延々と浮き沈みするようなサウンドは、クラフトワークと同じくポップミュージックの成り立ちを不可逆的に変化
1.論文 2.筆者について 3.歴史的整理 80年代以前 「シティ・ミュージック」 80年代 「シティ・ポップ」 00年代 「シティ・ポップ・リバイバル」 テン年代 新しい「シティ・ポップ」 4.結論 5.重要概念 間メディア性 6.感想・個人的に面白かったところ “間メディア性”の有効性について ヤマハ人脈 シティポップ、意外と都市のこと歌ってない問題 『ロンバケ』問題 7.概観 1.論文 モーリッツ・ソメ『ポピュラー音楽のジャンル概念における間メディア性と言説的構築ー「ジャパニーズ・シティ・ポップ」を事例にー』 下記リンクにてpdfをDL可能↓ https://musicologyosaka.wordpress.com/2020/10/28/gakuho1617/ 2.筆者について モーリッツ・ソメ (Moritz Sommet) はスイス、フリブール大に勤務する日本学の研究者。200
先日、勤務先で教員向けに N-gramを用いたコンピュータ処理による古典研究法の講習をし、例として三経義疏の分析をやってみました。文系のパソコンおたく仲間である漢字文献情報処理研究会のメンバーたちで開発したこのNGSM(N-Gram based System for Multiple document comparison and analysis)という比較分析法に関しては、2002年に東京大学東洋文化研究所の『明日の東洋学』No.8 に簡単な概説(こちら)を載せ、その威力を強調してあります。それ以来、宣伝し続けてきたのですが、文系の研究者には処理が複雑すぎたため、まったく広まりませんでした。 ところが、一昨年の暮に、上記の主要な開発メンバーであった師茂樹さんが、私の要望に応えてきわめて簡単で高速な形に改善してくれました。その結果、大学院の私の演習に出ている院生たちは、1回講習したらほと
「明日の東洋学」 東洋学研究情報センター編 各号の内容をご覧になりたい方はPDFファイルをダウンロードしてください。 PDFを読むにはAcrobat Readerが必要です お知らせ:№8(2002年10月)のPDFファイルは改訂版に更新しました。 -目次- NO.40 (2019年3月)PDFファイル(3389KB) 「東方文化学院の講演スライド・其の他関連写真」 平㔟 隆郎 NO.39 (2018年3月)PDFファイル(2874KB) 「ペルシャ文庫蔵ガージャール朝期 ペルシャ語文書コレクションについて」 ハーシェム・ラジャブザーデ(著) 水上 遼(訳) 森本 一夫(編) NO.38 (2017年10月)PDFファイル(3886KB) 「中国学文献資料の現在」 はじめに 大木 康 四庫系列叢書から見える知の景観 成田 健太郎 明清史研究のデータベース 村上 正和 韓国所蔵漢籍の検索およ
世界屈指のクライマー山野井泰史・妙子夫妻によるギャチュンカン登頂の記録を、沢木耕太郎が描いたノンフィクション『凍』が、この春新たに登場した音声コンテンツサービス「SPINEAR」にて連続ドラマとなって配信開始された。配信を記念して、Coyote no.65(特集 一瞬の山 永遠の山)に掲載した山野井泰史の貴重なロングインタビューを全3回にわけて特別公開。(2018年5月取材) 山野井泰史は妻の妙子と二人、土地に根ざしたシンプルな暮らしを続けている。 これまで数々の困難な高所登山、クライミングを成し遂げ、 その代償として手足の指を10本失くした今もなお現役を貫く。 誰かのために登るのではなく、ただ登ることが好きだという一心な想い。 垂直の世界から学んだ豊かな叡智をここに具体的にひも解いていきたい。 写真:朝岡英輔 文:奥田祐也 クライマーの誕生 —— 自身のクライミングの原体験だと思える登攀
史上最年少でデナリ(6190m、米アラスカ州)の冬季単独登頂を果たした世界的な登山家、栗秋正寿(48)が、事実上の「引退」を表明した。九州工業大の山岳部時代の後輩である河原畑健の言葉が忘れられない。「結婚と子どもの誕生は山を辞める二大チャンス。でも栗秋さんは結局、(山へ)行っちゃいましたからね」。一流の登山家たちは命を落としかけても、再び、何事もなかったかのように山へ向かう。彼らが山を辞めるとき――。それは命を落としたときなのではないか。そんな不吉な思いにかられることがある。栗秋も同じだった。しかし、栗秋は無論、まだ生きている。彼はなぜ山を辞める決断をしたのか。きっかけは、2016年の人生初の遭難だった。(全3回/#2、#3へ) 「救助を要請するときは山を辞めるとき」 ――2016年4月、栗秋さんは、アラスカ州のデナリ国立公園にあるハンターという山で遭難し、救助されました。アラスカの山中で
新型コロナで暮らしがさまざま変わりましたが、今、全国各地の博物館が、そうした暮らしの変化を示す資料を集めています。実はこの動きは様々な反省に基づいて始められたものだということ。そこで・・・。 「森本毅郎・スタンバイ!」(TBSラジオ、月~金、6:30-8:30)7時35分からは素朴な疑問、気になる現場にせまる「現場にアタック」!!2月1日(月)は、『反省を活かして正確に伝えたい。~博物館のコロナ関連資料収集』というテーマで取材しました。 ★東日本大震災のときの反省を活かしたい まずは岩手県立博物館。専門学芸調査員の目時和哉さんに、なぜ収集を始めたのか、伺いました。 目時和哉さん 「例えば手書きの張り紙ですとか、印刷物等が、日々生まれては消えていくのを目にするにつけて、これは速やかに積極的に収集していかなければ失われてしまうということで、収集を開始した次第でした。私自身、震災直後、沿岸部の博
本来であれば昨年12月初旬には書き上げ、最速では年末には掲載予定だったのにもかかわらず、その年末が到来しても入稿できないまま越年し、さらに旬日を経過してようやく送稿する、という編集者としても出版社としても破廉恥きわまりない所業となりました。 2年前にも落としたことがあるのに、再度ご依頼くださった版元ドットコム事務局のTさん、誠に申しわけありません。恥の多い人生を送っています。これに懲りてもう二度と著者訳者にえらそうに原稿の督促なんていたしません! ☆ というように、いっぱしに「出版社をやっています」という顔をしているくせに、本当は古書に囲まれたカビ臭い部屋に引きこもって史料とくんずほぐれつしたり、美麗な本であれば頬ずりしたり矯めつ眇めつしたり、そんなことだけしながら暮らしたい……と老後を夢みているような人間にとって、昨年来のコロナ禍では飲みに出歩く機会と宿酔の時間が激減したぶんだけ、順調な
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「ミスター・ジェントルマン(MISTERGENTLEMAN)」デザイナーのオオスミタケシが1月24日、敗血症のため入院先の病院で死去した。47歳だった。葬儀は親族の意向で近親者のみで執り行われた。ブランドの今後については未定で、3月の「楽天 ファッション ウィーク東京(Rakuten Fashion Week TOKYO)」でオオスミ氏が病室で制作していた2021-22年秋冬コレクションを発表する。その後、関係者やファンとのお別れ会を開催予定だという。 オオスミ氏は1974年静岡県生まれ。ヒップホップユニットのシャカゾンビ(SHAKKAZOMBIE)として音楽活動を行う傍ら、ストリートウエアブランド「スワッガー(SWAGGER)」を井口秀浩と立ち上げた。2004年には同ブランドからソロプロジェクトとして「フェノメノン(PHENOMENON)」を始動させ、10年には東京ファッション・ウイーク
雲が行くまで待とう 音楽と本を中心にしたブログです。ブログ名はハイドンの弦楽四重奏曲第82番(ヘ長調、Hob. III: 82)の標題「雲が行くまで待とう」から取りました。 2023年11月にトップの写真を入れ替えました。Onさんからご提供いただいた伊勢志摩の安乗埼(ありのさき)灯台の写真です。 お問い合わせ プライバシーポリシー 個人情報保護方針 アインシュタインの「シューベルト」を読む(浅井真男訳、白水社)。 同じ著者の「モーツァルト」を読むが一段落したので、シューベルトについてもこの人の本で勉強したいと思った。 やはり面白い。今まで読んだシューベルトの伝記ではどうもこの作曲家の姿をつかみかねていたが、この本にはなるほどと深くうなずいてしまう。ほとんどどのページにも線を引きたくなる記述があるが、たとえば次の一節。 シューベルトは民衆性を模倣せずに、民衆性を創造し、あるいはそれに一つ
雲が行くまで待とう 音楽と本を中心にしたブログです。ブログ名はハイドンの弦楽四重奏曲第82番(ヘ長調、Hob. III: 82)の標題「雲が行くまで待とう」から取りました。 2023年11月にトップの写真を入れ替えました。Onさんからご提供いただいた伊勢志摩の安乗埼(ありのさき)灯台の写真です。 お問い合わせ プライバシーポリシー 個人情報保護方針 この連休はいろいろな曲を聴こうと思ったのが発端だった。 どこかに出かけることができるわけでもないので、読書とディスク鑑賞と料理と家事にたっぷり時間を使おうと考えた。今日で3日目、ブルックナーの交響曲とかグリンカの「悲愴トリオ」とかブラームスのバラードとか、普段聴かないいろいろな音楽を聴いてきた。リヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」をスコアを見ながら聞こうとしたときに、この曲については「永遠の故郷」に書かれていたのではないかと思い当た
綺麗な夕焼けの写真に収めようとしたら、電線が写り込んでしまいちょっとがっかり何て経験ありませんか。 美的景観を損ねるものとして厄介者扱いされており、新居に引っ越し窓の外を見ると視界にまず電線が入ってしまいがっかりしたことも。 もっとも、これくらまで存在感があれば、鉄塔も含め電線も立派な風景の一部として成立しちゃいますけどね。 日本の風景の中に当たり前のように存在している電線は、海外の人にとっては興味の対象であるようで、アニメ作品に登場する電線だけを集めたブログまであるほどです。 「Power Lines in Anime」 確かに「エヴァンゲリオン」でも電線は非常に象徴的に描かれていました。 さて、そんな電線を画家も見逃すはずはありません。電線が描かれている絵画が思った以上に存在するのです。 小林清親《従箱根山中冨嶽眺望》 明治13年(1880)大判錦絵 千葉市美術館蔵 明治維新後、文明開
講座詳細 日本の地名の中には、読み方がとても難しいものが少なくありません。その難しさを掘り下げていくと、古い日本語や日本語の発音の変化、漢字の特殊な音読み、音訓を超越した漢字の読み方など、漢字と日本語の関係を考える上で重要な、さまざまなことがらに行き当たります。この講座では、具体的な難読地名を数多く取り上げながら、日本人が漢字をどのように受け入れ、使ってきたかについてお話をいたします。 講師 円満字二郎(エンマンジジロウ) フリーライター・漢和辞典編集者 【プロフィール】 1991年より出版社編集部にて高校国語教科書、漢和辞典編集などを担当。2007年よりフリーライターとなる。著書「ひねくれ古典『列子』を読む」(新潮選書)、「漢字ときあかし辞典」(研究社)など。
江戸時代後期の儒学者、平賀蕉斎の随筆『蕉斎筆記』(寛政12年[1800]ごろ成立)を読んでいたところ、豆まきの掛け声について記した部分に“節分の夜、豆をはやす”[1]『百家随筆』3(国書刊行会、1918年)による。とあるのを見つけました。現在、豆に対して“囃す”とはまず言わないので、面白く感じていました。 すると昨年(2017年)、狂言方大蔵流・善竹忠亮さんが狂言《節分》を初演(披キ)される前日に“豆は『囃す』もの”とTwitterに書いてらしたのを見つけました。 へぇ・・ こういう考え方もあるのか。 明日[節分]の披き。 豆は「囃す」もので 終曲部ではガッツリ「ぶつけ」られますがね。 https://t.co/yLN6dbZ8vF — 善竹 (茂山) 忠亮 (@TadaakiZenchiku) 2017年2月4日 どうやら“豆を囃す”のは決して珍しい言葉ではないようです。このことをTwi
中野です。 最近、現代詩面白いなと感じはじめています。何本か記事を書きましたが、デザインの歴史を調べるとダダやシュルレアリスムも詩人が先導していたことがわかり、ますます興味が広がってきました。 明治に生まれた北園克衛は詩人でありながら、すぐれたデザイナー・編集者でもあり、装幀やイラストレーション、写真といったあらゆる表現方法にも際立った力を発揮しました。 しかし、本人はあくまで詩人であることを生涯貫き通しました。 本日はそんな孤高のモダニズム詩人・北園克衛についてご紹介してみようと思います。 大正末期から昭和初期頃、いわゆるモボモガ(1920年代)時代に北園克衛は詩を書きはじめます。この時代は、全世界的に見ても芸術家たちの大いなる実験合戦が繰り広げられた時代です。 北園克衛もその渦中で詩を選びましたが、書くだけではなく、それがどのように印刷されて人の目に映るべきか、というデザインの目をこの
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