「シスジェンダー」という言葉をご存知でしょうか。 あるいは「墨字」はいかがでしょう。 「シスジェンダー」とはトランスジェンダーではない、体と心の性が一致している状態のこと。 「墨字」とは点字ではない(今私が書いている)文字のことです。 これらの言葉はどちらも、少数派が多数派に対してつけた呼び名です。 そして多くの場合、私たちは自分が多数派であることに関して、その名前を知りません。 私は、これが「ふつう」の正体なのではないか、と考えています。 ふつうとは、その環境での多数派であり、その名前が無い、あるいは名前が意識されていない状態(=本人にとって無い)こと。 そして「ふつうじゃない」存在が現れて初めてあらわになることなのではないか、と私は思うのです。 ここで面白いのは、多数派が「非トランスジェンダー」「非点字」などではなく、「シスジェンダー」「墨字」といった全く別の言葉で呼ばれていることです