瀟洒(しょうしゃ)なエッセイ。読み終えた後で、向井敏が絶賛していたことを知り、随分と気をよくしたものだ。まだ二十歳(はたち)の頃の話。そういや、VANやJUNが潰れたのも同じ時期だった。 ところで、日本では、ナリフリはどうでも、リッパな心を持つことが大事だ――などという人が案外に多い。なるほど、モットモらしい言葉で、ナリフリのよさと心のリッパさと、どっちに値打ちがあるかとくらべたら、だれしもリッパな心に信頼を寄せたいはずだ。 だから言葉としては、正しいのだが、一種の観念論だ――と私は解している。また観念論なので、次元の高い言葉のように感じられるのだろう。 そういう言葉が、いつごろからはやりだしたのか知らないが、実は、むかしから、節度を重んじるサムライの社会では、服装は心構えの現れとみられていた。心とナリフリは一致していたのである。(中略)「ズール戦争」というイギリス映画があった。華麗な軍服