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ブックマーク / trushnote.exblog.jp (6)

  • 現代語訳 『鈐録外書』 ~近世最高の軍オタ荻生徂徠が戦国合戦と江戸兵学を論じる~ | とらっしゅのーと

    これは江戸時代の軍学書である荻生徂徠著『鈐録外書(けんろくがいしょ)』の現代語訳である。 荻生徂徠の兵学は、江戸時代において軍事学を志す者の基礎教養としての地位を占めたが、中でもこの『鈐録外書』は時代に応じて戦争術を発展させる必要性を、広い視野と分厚い知識を元に論じた、進歩的かつ実際的な書で、軍学者のみならず蘭学者からも絶賛を受けている。この書は日の知識人に進歩的実践的な軍事的教養を叩き込み、後に、日がスムーズに洋式兵学を受容し軍事的に近代化するための、知的基礎を整えたとさえ言うことができよう。 このような意味で軍事史上の重要文献である書であるが、また戦国期の軍事の入門書としても、なかなか有益である。荻生徂徠は代々軍事に詳しい家系の生まれで、戦国期の実戦経験者の言葉を、実戦経験者自身から直接、あるいは実戦経験者の親類から間接に聞く機会に恵まれていた。そのため書には、江戸期の多くの軍

  • 文豪・森鴎外は語る「文芸の種類に貴賤はない、詩の延長だ、高級芸術だ」~渋江抽斎と周辺人物の事情~ | とらっしゅのーと

    あけましておめでとうございます。年もよろしくお願い申し上げます。 さて、昔に比べると、漫画・アニメといった娯楽文化の社会的地位はかなり向上したと言ってよいでしょう。しかしながら、残念ながらこれら娯楽文化に対し、低俗等の評価で卑しめる風潮が後を絶ったわけではないようです。今回は、その手の問題について、権威づけのため近代文豪の言葉を引用してみようかと思います。 近代文学を代表する作家といえば、森鴎外は必ず名が挙がる一人といって良いでしょう。その鴎外が晩年に徳川期の学者たちの生涯を追った史伝ものを残している事は、御存じの方も多いかと思います。そうした史伝ものの代表とされるのが、今回取り上げる『渋江抽斎』です。 『渋江抽斎』は弘前藩の侍医で考証学者でもあった渋江抽斎とその一族や同時代人たちの事績を様々な史料・証言を基に丹念に掘り起こし、鴎外自身が彼に興味を持った切っ掛けからその思考の跡まで丁寧に

  • 森鴎外が回想する、明治初期の色々~文学といえば漢詩、休暇は藪入り…~ | とらっしゅのーと

    改めて申し上げるまでもなく、明治期は日の色々な物事が大きく変化した時代です。それだけに、明治が終わった時点では明治以前のあれこれが世間からは忘れられつつあったようです。 中里介山の人気小説『大菩薩峠』は大正二年(1913)から書き始めた一大傑作。傑作だけに、時代考証については「どうでもいいと思って書きなぐったのでなくて、真面目に書いている、間違ったのを承知して書く、というようなところはない」と評されています。しかしそれでも、徳川期を知る人からすれば「言葉遣いや何かの上には、おかしいところがある。それから武家の生活ということになると、やはりどうもおかしいところが出てくる。」という状況であったようです(いずれも三田村鳶魚『中里介山の『大菩薩峠』』より)。 大正初期からすれば、徳川期なんて約半世紀前ですし色々と風俗も変わりました。だから、当時を覚えていない人の方が多くなるのもむべなるかな、と思

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  • きんだいのかんじはいしうんどうについて~漢字と日本語~ | とらっしゅのーと

    一つ前の記事で紹介したライトノベルシリーズ『僕の妹は漢字が読める』の世界では、二十三世紀の日においては漢字が使われなくなり、ひらがなを中心とした簡略な文章が書かれているという設定になっています。そして、文学の主流は「萌え」作品。なんでも、漢字が使われなくなった契機は二十一世紀後半に出された『おにいちゃんのあかちゃんうみたい』(略称『おにあか』)なる漢字をほとんど使わず書かれた文学作品にあるとか。その作品がないIf世界では二十一世紀前半と同様な世界が二十三世紀にも保たれていたことからも、その影響力が知られます。 とはいえ、この設定に関しては気になる点もあります。仮に『おにあか』の影響で漢字を用いない文章を書く人間が増えたとしても、教育やそれを司る政治における変化がない限りは公的文書等で漢字が消滅することはないのではないかと思います。でないと実務レベルで混乱をきたしますし。知識層をも巻き込ん

  • <過去記事案内>江戸小咄からちょっと思うこと | とらっしゅのーと

    十八世紀後半になると、文芸の中心は上方すなわち関西から江戸へと移り始めます。そうした中、江戸で流行した笑話をまとめた書物が見られるようになります。代表的なものが幕臣であった木室卯蚤による「鹿の子」であり、それに倣って多くの書が編纂されました。まあ、正直言ってどこがおかしいのか分からないものも多いのですが、落語の原型になったものも多数見られます。今回はそれらの中から面白い面白くないは別にして気になったものを選りだしてコメントする事にします。 ○話の落ち着き先は下ネタ 「下司咄屎果以古語、先此巻是切」(下種の話は糞で終わるという古語で、とりあえずこの巻を終わる) 「鹿の子」は、この一文で終わっています。「下司咄屎果」とは、身分低い人間の話は、最初は上品でも最後は下品な話題で終わるという意味だそうです。最後に収められているのが歴史上の偉人のウンコネタだった事と、書全体への卑下(というか謙譲

    <過去記事案内>江戸小咄からちょっと思うこと | とらっしゅのーと
  • 「あっちが神ならこっちは女神だ」~日本の王権について民俗学的に考える~ | とらっしゅのーと

    90年代の「週刊少年ジャンプ」黄金時代を支えた作品の一つに、「幽☆遊☆白書」というのがあります。この作品は予定外の交通事故死を遂げた少年・浦飯幽助が生き返るための試練を霊界から受ける話として始まりました。しかしジャンプ漫画の宿命か、幽助は早々に復活し霊界探偵として妖怪たちの起こした事件の解決に奔走したり、闇世界の武術会に出場する羽目になったり、人間に絶望した男達が魔界から強力な妖怪を召喚し人間界を滅ぼそうとするのを阻止するため戦ったりするようになります。その末には幽助は魔族の血に目覚めて魔界へ戦いに赴くのですが、作者・冨樫義博先生の事情からか途中で話を打ち切るかのように人気絶頂のうちに作品自体が終了しました。「幽遊」は蔵馬・飛影といった美形キャラが多数登場したためか女性読者を中心に熱狂的な人気を誇りましたが、個人的には幽助の喧嘩友達で義理人情に篤い桑原が一番好きでした。あと、幽助と幼馴染の

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