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ブックマーク / yamagushiku8888.seesaa.net (2)

  • 戦争を見切った小林秀雄

    私のブログは極めてマイナーである。1日に数万人が訪問するというタレントや著名人のブログとはまるで違って、まあ300PV程度に過ぎない。なおPVとは、Page Viewであり、アクセス数のことである。まあついでに見ておくかと、1人で数記事読む人もいるだろうから、訪問した人となると更に少なくなる。 シャワーを浴びながら、何となく自嘲的気分で、別に読んでもらわなくても結構などと、強がるような気分に陥った。途端に、小林秀雄の言葉が浮かんでくる。「世捨て人とは世を捨てた人ではない。世が捨てた人である」か。これは論理の言葉ではない。小林らしい感情の詩的表現だ。「世捨て人を気取ってんじゃねえよ。くだらねえ」と。 鋭敏な自意識を持つ小林秀雄には、世捨て人を気取れるという脆弱な自意識が我慢ならないのだ。それを逆説的表現で切り捨てているにすぎない。だから、なぜかは知らないが、世の中からあまり処遇されない優れた

    戦争を見切った小林秀雄
  • 小林秀雄という鎧

    人生における重要な出会いを語ることには、たぶん人も気づかない偏移があるに違いない。その出会いを、強い感情とともに記憶している場合、その感情は、実際の出会いを、正の方向、あるいは負の方向に、引き寄せてしまいがちだから。 だが、そんな歪みを恐れて、内なる感情を抑圧して記憶を検証することは、果たして可能だろうか。既にその記憶自体が、ある強い感情とともにあるのであって、それはもはや不可能なのではないか。逆に、人生における重要な記憶が、そのような歪みを持ち、ある強い感情の色合いに染められていることこそが、その人なりの生きてきた命の輝きなのだ。千人いれば千の人生があり、まるで異なる千の思い出がある。そんな存在の仕方こそ、文学の永遠の土壌だと思う。 高校3年、現代国語の教科書に載った「歴史について」(『ドストエフスキーの生活』序文からの抜粋)が、小林秀雄という私における業病の始まりだった。何よりも、私

    小林秀雄という鎧
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