アニプレッションの 「なぜ、幼馴染ヒロインは負けフラグとなったのか」 http://anipression.doorblog.jp/archives/51380219.html と アルファベータさんの 「一体いつから──幼なじみが正統派ヒロインと錯覚していた?」 http://d.hatena.ne.jp/alphabate/20130204/1359992971 にインスパイアされて。 ヒロイン論争みたいなものは古くからあるが、 その中で思い出したのがこれだった。 幾原 安彦さんと富野さんは、絶対に相容れないだろうと思う。 なんでかっていうと、安彦さんの作品っていうのは、必ずいわゆるマザコンの極致であったりするわけですよね。 例えば、『アリオン』にしてもそうだし『ヴィナス戦記』にしてもそうなんだけど、 いつも主人公の傍らにいる幼なじみの女の子と最後に結ばれたりするでしょ? アレってよ
●「現代思想」ニーチェ特集の郡司ペギオ幸夫のテキストがすごい(「不動点としての永遠回帰・内在平面としての永遠回帰」)。郡司ペギオ幸夫のテキストとしてはわりと分かり易い方で、一回読んだだけでだいたい何を言っているのかは分かった(気にはなれた)。出てくる数理的なモデルもシンプルなものなので、数学に弱いぼくでもついてゆけた。しかし、シンプルなモデルをいくつか組み合わせただけで、こんなにすごいことが言えるのか、と驚くというか、すかんと何かが突き抜けた感じにさせてくれるものがある。使われているモデルは抽象的なものだけど、このテキストが言っているのは、「超人って普通に成れちゃうものだから、なっちゃおうよ」ということだとも言えて、とても実践的なテキストであるようにも感じた。 ≪脱構築された永遠回帰を、自然科学、数理科学の文脈で展開する。それこそが、現代においてなされるべきことだ。生成=存在は、絶えず意味
特集に、量子ゲーム理論という怪しげな言葉が踊っていたのでw 思わずチラ見 特集:量子ゲーム理論 何となく分かったような分からないような まあそれは量子うんちゃらというものに必ずつきものなんですが、今回記事が2つで、片方がサイエンティフィック・アメリカンの記者、もう片方が高エネ研の人だったのも要因なのではないかと思わないこともない。日経サイエンスって、わりと専門にしている科学者自身が書いている(記事の訳)というイメージがあるのだが。 一つ目の記事では、コンドルセのパラドックス、アローの不可能性定理、センの自由主義のパラドックス、囚人のジレンマがまずは紹介される。 センの自由主義のパラドックスっていうのだけ知らなかったんだけど、個々人の選好の順序を優先して決めると、個々人の選好の順序を最適に組み合わせた順序(?)にならない、みたいな話? 囚人のジレンマを実際に実験してみると、相手の戦略が分から
Using Science Fiction As a Lens on Today’s Events Science fiction is a genre of literature, film and television that combines elements of fantasy with future technology. It is often considered a subculture of its own. The first science fiction magazine was Amazing Stories, founded in 1926 by Hugo Gernsback. It was the precursor of a number of other digest magazines in formats ranging from bedsheet
… abさんご [著]黒田夏子 〈読む〉とはどのような行為なのか? 画面をありのままに見ることの困難さを繰り返し述べてきた国際的な映画批評家・蓮實重彦氏が映画について述べたことは、文学にも当てはまる。我々は読んでいるつもりで何も読めていない。『abさんご』を読むとは、我々のまなざしが文字に触れることを妨げる思い込みから自由になることなのだ。 なるほど本書は日本語小説とは思えぬ佇(たたず)まいだ。芥川賞受賞作は横書きで、句読点ではなく、コンマとピリオドが使われる。頁(ページ)は左から右に読まれる。ただそのような形式的な面白さはこの小説の魅力のほんの一部でしかない。 スマホやネットの発達で文字が未曽有なほど日常に溢(あふ)れるいま、我々はなぜか言葉は透明だと疑いもしない。言葉(a)は物語内容(b)を運ぶ記号であり、これが気にならず、すっと読めるのがいい小説と思い込んではいないか。a=bの誘惑は
GoogleとMozillaは、HTML5の「WebRTC」プロトコルの新たに開発された機能のデモを行った。その機能を利用すると、2つの異なるブラウザを使用するユーザー同士がサードパーティー製アプリを使わずに会話することが可能になる。 現在、「Chrome 25」ベータ版と「Firefox」の「Nightly」版のみで利用可能なこのWebRTCの新機能は、複数のグループの開発作業によってもたらされた。それらのグループには、World Wide Web Consortium(W3C)やInternet Engineering Task Force(IETF)のメンバー、さらにGoogleとMozillaのエンジニアが含まれる。 Chrome担当プロダクトマネージャーのSerge Lachapelle氏とFirefoxメディアプロダクト部門トップのMaire Reavy氏は共同でブログ記事を執
榊正宗@BlenderQuiz @megamarsun ディズニーのpapermanの技術が、分かりにくいという意見が多いようですが、トゥーンシェードをやってる人間にとってはよくわかります。いくつかの技術の複合ですが、メイキングを観る限り最も重要なのは二次元補完(モーフィング)を3Dに追随させる部分です。 #Paperman 2013-02-03 19:57:00 榊正宗@BlenderQuiz @megamarsun 新技術を開発してまで、なぜ通常のトゥーンシェードではなく手で描いた線をモーフィングさせる必要があるのかというと、3Dで出した輪郭線の中割りをよく確認すると線と線の間を補完してないからです。3Dの絵は中割りがない。全部原画なのです。 #Paperman 2013-02-03 20:00:28
1992年は、『クレヨンしんちゃん』と『美少女戦士セーラームーン』の放映が開始された年である。 『しんちゃん』は、『サザエさん』『ちびまる子ちゃん』と並ぶ3大ファミリーアニメのひとつとして、今日まで続く長寿作品となった。原作は臼井儀人。後ニ者との違いは、本作が大家族ではなく、親子3人(後に4人)という核家族を描いた点にある。本郷みつる、原恵一、水島努、ムトウユージら歴代監督は、庶民的な視点に寄り添う形で彼らの喜怒哀楽を追い、家族愛を描き続けた。また、大人びた言動と可愛らしさを兼ね備えた主人公・野原しんのすけも強烈な個性を発揮した。主演の矢島晶子は、独特の発声によってそこに生命を与え、アニメーターたちは、よれよれの描線で造形された自由度の高いデザインをもとに、競うように動きの魅力を追求した。 『セーラームーン』は、東映動画伝統の“魔法少女もの”に、『キューティー ハニー』の“戦う変身ヒロイン
再び京極監督コンテ やっと、京極コンテの圧倒的スピード感にもついていけるようになってきた。 人間の適応力というのは凄いものだ。 そして、この話数のクライマックスになぜか凄い感動というか感情が掻き立てられてしまった。 なぜだろうと考えたときに、 5話は劇伴が凄い印象に残っていたことに気がついた。 例えばアバンだけ取ってみても、 回想明けから、不審者の脚までは無伴奏 ↓ 不審者の脚からほのかが転ぶまでは緊張感をあおる劇伴 ↓ 転ぶと再び無伴奏 真ん中の劇伴が凄く印象に残るし、ニコの台詞も強調されるし、 OPへの緩急もつくし、一石三鳥 特に劇伴のオンオフによる緩急がこの話の演出の肝のように感じた。 もうちょっと分析的に見てみてると、 ニコに焦点が当たる時に無伴奏である時が多い アバンもニコの顔が出るところは無伴奏だし、 次の登場シーンも 無伴奏。 その次のハンバーガー屋のシーンもニコが身を潜めて
第35回 2013年2月 大島渚について私が知っている二、三の事柄 その一 鈴木創士 『大島渚著作集 全四巻』 現代思潮社編集部『サド裁判 上・下』 ボーヴォワール『サドは有罪か』 ロラン・バルト『神話作用』 1 大島渚は着物がよく似合った。テレビ映りもよかった。 先日、政治家で三流作家でしかないさる有名人に噛みついて話題になった芥川賞作家の暮らしぶりが、もうテレビでとってつけたように放映さていたが、この人は着物が似合っていなかった。笑ってしまった。テレビのあまりにも稚拙で安易な企画のほどもさることながら、普段から着物を着つけていないのがかなり丸わかりのように見えたからだ。どうせテレビにやらされたのだろうが、作家といえば着物、という最近のテレビの想像力のなさに唖然とするだけではなく、もうすでにこの作家も結局は話題作りの猿回しに操られているのかと思うと、それでも幻滅を味わわされることになった
海外で話題となった複数の事件を、公開されている法廷映像を素材にしてドラマ化し、裁判の進展をゲストタレントに推理させる趣向のバラエティ番組。フジテレビ系列の土曜プレミアム枠で放映された。 http://www.fujitv.co.jp/fujitv/news/pub_2013/130125-029.html (1)逆襲の天才ストーカー裁判 事件概要 1995年、米・ジョージア州で、キャビンアテンダントが自宅で絞殺された。息子も18カ所刺されたが一命はとりとめた。警察は被害者のルームメイトをストーカーしていた男の犯行と見て逮捕。が、ストーカー罪で起訴することしかできなかった。その後、遺体に付いていた毛髪が被告のものだと判明し、再逮捕。 法廷 この法廷では、前代未聞、被告自らが「弁護人」となり、無罪を主張。被告がストーカーをしていたルームメイトも「証人」として法廷に登場。検察が次々に繰り出す、証
都市はなぜ魂を失ったか ―ジェイコブズ後のニューヨーク論 (KS社会科学専門書) 作者: シャロン・ズーキン,内田奈芳美,真野洋介出版社/メーカー: 講談社発売日: 2013/01/12メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 1人 クリック: 58回この商品を含むブログ (4件) を見る ニューヨーク論。基本的な主張はもう単純で、ジェントリフィケーションいくない! 気に入らない! スタバだめ! おされなカフェとかブチックとかいやいや! どろくさい移民街みたいな貧乏人ががんばってなんか地区の特性が自然にできたのとかがいいの! ということ。 で、彼女はジェイン・ジェイコブズを非常に意識する。ジェイコブズは、マンハッタンのグリニッジビレッジあたりの再開発や道路開発に反対して、ここには住民と商業と街路との有機的な関連があって、それが都市の活気と安全をもたらすんだ、と論じた。大規模再開発はそれを単
音楽リズムの距離と形質状態に基づく系統推定の論文: Godfried T. Toussaint, Luke Matthews, Malcolm Campbell, and Naor Brown Measuring musical rhythm similarity: Transformation versus feature-based methods Journal of Interdisciplinary Music Studies, volume 6, issue 1, art. #12060102, pp. 23-53, spring 2012 Journal Website: http://www.musicstudies.org/ Paper pdf: http://www.musicstudies.org/Toussaint_JIMS_12060102.pdf [open a
ハゲてしまう事はその殆んどが本人の責任ではありません。どっちかと言うと遺伝的な問題の方が多いと思っています。ちなみに私は父方がハゲる傾向があり、母方はハゲない傾向があります。これも実は複雑で、曽祖父母の代まで遡るとミックスが色々あってなんとも言えない気はしています。今のところ、白髪は目立ってきていますが、ラッキーな事にハゲるまで至っていません。ちょっと薄くなってる気もしないでもないですが、なんとか頑張っているの感じでしょうか。 私の事はともかく、男性への最大の侮蔑の言葉としてハゲは厳然と存在します。たとえば2/2付朝日新聞ですが、 「ハゲ」と言われ平手打ち 神奈川の教諭、生徒16人に 神奈川県小田原市教育委員会は2日、市立中学の50代の男性教諭が生徒から「死ね」「ハゲ」などと暴言を吐かれたことをきっかけに2年生の男子生徒16人を平手打ちする体罰があったと発表した。教諭は生徒や保護者に謝罪、
前回はこちら 「志賀理江子 螺旋海岸」会場風景 撮影:志賀理江子 画像提供:せんだいメディアテーク 写真は、光が感光物質や受光素子に残した「痕跡」である限りで、ある物理的な直接性をもつとともに、それが何の痕跡であるか(この写真は何の写真か)を写真からだけでは一義的に決定できないという、原理的な開放性をもっている。直接的でありながら開かれているというこの本質ゆえに、写真は、その意味を確定しアイデンティファイしようとする数多の言葉を誘発する。そうした言葉に対して写真は無防備であるが、反面、どれほど言葉を動員しようとも(*1)この恐るべき開放性が充填されることはない。だから、写真を作者の個人的状況や被写体を取り巻く文脈についての説明文で代替したり、写真を「語り得ぬもの」の座(*2)に押し上げた上でそれに対する思想哲学を述べたりするディスクールは、すべて言いっ放しのお喋りであって、写真自体について
時代劇と議論映画を不器用に合体させ、暗い画面の多用で登場人物が粒だたないどころか見分けさえつかないと酷評された、大島渚(創造社)の唯一の東映作品にして興行的な大失敗作とされる『天草四郎時貞』(62)を初めて観る。60年安保以後の民衆的政治運動の逼塞を、島原の乱に仮託して綴るアレゴリカルな立脚だから逼塞も当然といえそうだが、同じテーマで加藤泰は同様の逼塞を爽快かつサブカル的に撮った『真田風雲録』(原作は福田善之の戯曲、佐藤慶も出演している)の演出に成功していて、その意味では『天草四郎時貞』の逼塞は手法選択の問題によるところが大きい。『真田風雲録』にあきらかなように、東映と革命暗喩が完全に背反するということでもないのだ。 冒頭、作品背景を綴る字幕が映されたあと、農家の一室に都合20人程度が蝟集して、過酷な年貢米の取り立てがもう限界、それにキリシタン禁制が加わっては蜂起しかないと会議する場面が映
The StrictlyVC roadtrip continues! Coming off of sold-out events in London, Los Angeles, and San Francisco, we’re heading to Washington, D.C. for a cozy-vc-packed, evening at the Woolly Mammoth Theatre…
(2013年2月2/3日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 中国や米国といった国々が自国通貨の為替レートを操作するのはなぜなのか? 答えは簡単。操作することができるからだ。 では、そのほかの国々が「通貨戦争」だと大騒ぎし、為替操作についてひどく不平を言うのはなぜなのか? それは、為替を操作することができないからだ。 直近の「通貨戦争」の戦場を見渡す際には、この点をちゃんと頭に置いておく必要がある。日本は現在、信用危機が最悪期を迎えた2008年から人為的に高く押し上げられていた円相場を安くしようと積極的に取り組んでいる。 急激な円安・ウォン高に苦しむ韓国 年末からの急激な円安に批判の声も上がっているが・・・〔AFPBB News〕 多くの国々がこれに反発しているが、それも無理からぬことだ。円が安くなれば日本から輸出される製品はさらに安価になり、外国市場における競争力はさらに高まるからだ。 そ
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