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小田切博に関するgenesisのブックマーク (2)

  • 2008-06-08

    はっきりいってマジャール語の解読してるほうがはるかに楽しいんだが、石のほうも一段落するはずなので、いちおう義理を果たしておく。 私見では件の『ユリイカ』「マンガ批評の新展開」で「表現論vs社会反映論」の図式が出来上がった背景にはこれと前後してネット上でおこなわれた『思想地図』1号掲載の伊藤論文「マンガのグローバリゼーション」(とそれを遡ること2年半前のユリイカの前マンガ批評特集)を巡る伊藤剛と紙屋高雪の論争(のようなもの)がある。 以下に時系列順にその経緯を示す。 紙屋研究所での伊藤『テヅカ・イズ・デッド』論 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』 大塚英志・大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』ふたたび 伊藤による思想地図論文と紙屋への言及 『思想地図』vol.1 伊藤剛「マンガのグローバリゼーション」 「思想地図」に論文を書きました。 紙屋の返答? と

    2008-06-08
  • 2008-06-01

    知ってるひとは知っている話で、この箱の中味を書いているのは小田切博とかいうひとなのだが、その人物が寄稿したので届いた『ユリイカ』6月号「マンガ批評の新展開」をざっと読んだら一冊全体で「表現論vs社会反映論」という図式のある特集になっていて、無責任にも「うへぇ」と思った。 まずこの特集巻頭に付された泉信行、夏目房之介との鼎談「マンガにおける視点と主体をめぐって」で宮大人は2006年1月の『ユリイカ』での特集「マンガ批評の最前線」以降「マンガとマンガ表現の外部を関連付けて論じましょうという流れが強かった」といっている。だが、実際には2006年以降出版されたマンガ関連の書籍で「マンガとマンガ表現の外部を関連付けて論じましょう」というコンセプトのだと明確にいえるのは私自身の『戦争はいかに「マンガ」を変えるか―アメリカンコミックスの変貌』(NTT出版、2007年)と永山薫、昼間たかし『マンガ論争

    2008-06-01
    genesis
    genesis 2008/06/04
    曰く,「私はこの特集で結果的に構築されている「最近になって表現論と反映論の対立が起きてきた」というプロレスでいう「アングル」はまったく根拠のない無責任な虚構だと思っている」
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