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efと+構造論に関するgenesisのブックマーク (1)

  • CLANNADが善意で出来ているとすると、ef - a tale of memories.は悪意で出来ている サイオンジ探偵社

    作画崩壊って単純には表現できない感情を何とか表現しようとした果てでもあるよね ずいぶんと前の記事だけど、これは素晴らしかった。 なのはの『作画崩壊』の話から、ギャルゲー的なキャラは造形上から表情が乏しいということが書かれている。 私は絵を描ける人間ではないので、こういう視点がとても斬新で面白かったです。 もし読んでない人がいたらぜひ。 で、このなかの一節にこういうことが書かれている。 思うにいわゆる神作画というのは、これまで「アニメの女性キャラの作画で、普段と違って情報量の多い作画の時に使われた言葉」とか、「キャラ表から外れないで動作が丁寧な作画」みたいなニュアンスで使われてきたけど(作画オタの人が言う神作画についてはここでは触れない)、それに加えて「手塚治虫の言うマンガ記号論的な喜怒哀楽の表情から外れない程度に、情報量が多くて丁寧な作画」という側面があるのではないか、と。 手塚治虫のマン

    genesis
    genesis 2007/12/07
    曰く,「CLANNADのキャラに対する姿勢が全き善意だとしたら、ef - a tale of memories.にあるのは悪意だ。悪意という言葉が悪いとしたら批評性とでも言っていい。」
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