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Ludologyに関するgentoのブックマーク (4)

  • ゲームプレイの定義についての対話 - 9bit

    先々週くらいに、ゲームプレイの定義について井戸里志さん(@kan_jiro)とTwitterのDMでいくらかやりとりした内容が有意義だったので、転載します。 背景 まず背景を説明しておきます。きっかけは以下のツイート。 ゲームとは、プレイヤーにゲームプレイをさせることを意図して作られた仕組みである。 ゲームプレイとは、以下の条件をともに満たす思考または行為のことである。 1]ある目標の達成を意図している 2]楽しさがともなう ルールやインタラクティビティは質ではない。 — 井戸 里志 (@kan_jiro) September 23, 2015 最初の文で井戸さんは、ゲームを〈ゲームプレイさせるもの〉として定義しているわけです。つまり、「ゲーム」概念は「ゲームプレイ」概念によって定義されると主張している。これは、ある意味で「ゲーム」よりも「ゲームプレイ」のほうがより質的な(より分析のす

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  • ゲーム研究と「形式」 - 9bit

    遅まきですが、七邊信重さんによる日デジタルゲーム学会2013年度年次大会での発表資料を読みつつ思ったことなど。 140310 digra_japan_presentation ゲーム研究者の日常(Daily Life of Game Researcher): 学会発表「『形式』から『文脈』へ―イェスパー・ユールのゲーム学再考」をアップしました。 ゲーム研究において「形式」(form)、「形式的」(formal)、「形式主義」(formalism)といった言葉がつかわれる場合の留意事項をまとめたあとで、七邊さんの発表資料についてちょっとだけコメントします。 「形式」のいろいろな意味 「形式」という言葉それ自体がそもそも膨大な用法(専門的であれ日常的であれ)を持つが、ゲーム研究でもそれは同じである。あいまいな用法は除外してそれなりに明確な意味をもってつかわれている場合にかぎっても、かなりのバ

    ゲーム研究と「形式」 - 9bit
  • 【コラム】なぜゲームにおけるエンジョイ勢とガチ勢は分かり合うことができるのか。 - 非電源ボードゲームで未来のゲームを妄想する

    ボードゲームを遊ぶ際の仲良くやるための方法や手引きを示すわけではないです。ゲームとは、むしろそういうものではないか?ということについて、主に書こうと思います。 ボードゲームをはじめ多くのアナログゲームでは、ガチ勢とエンジョイ勢の対立というテーマが話題になることがある。この問題は、ボードゲームに限らないのかもしれない。インターネットを通じたマルチ対戦のビデオゲームにおいても同様の問題は発生するだろう。およそ人と人が交流する時には付いてまわる問題であり、あらゆる娯楽や趣味の世界においても取り沙汰されてきた問題のように思う。 このコラムでは、ゲームという世界の中に限り、この対立する両者は、むしろ既に分かり合う糸口に立っているのではないか、ということを示したいと思う。それはまさにゲームというものの特徴が、その対立を包み込んでしまうのではないか、ということだ。そんなわけはないとの反論もあるだろう。そ

    【コラム】なぜゲームにおけるエンジョイ勢とガチ勢は分かり合うことができるのか。 - 非電源ボードゲームで未来のゲームを妄想する
  • ゲーム研究と「ナラティブ」 - 9bit

    「ナラティブ」(narrative)という用語がゲーム研究や周辺領域において使われる場合の留意事項いろいろ。たぶん偏っています。 以下、カタカナにする意味もあんまりないので「物語」で通します。 「物語」のいろいろな意味 イェスパー・ユールは、著書 Half-Real のなかで、「物語」という用語が「かなり細かく特定しないかぎりは実践的に無意味」になるくらい多様な用法を持っていることを指摘したうえで、そのうちの主要な用法を6つ挙げている(Juul 2005: 156-157)。 複数の出来事の提示(presentation)としての物語。これは、この言葉の原義かつ文字通りの意味、つまりストーリーを語ること(storytelling)である(Bordwell 1985; Chatman 1978)。 固定され(fixed)あらかじめ定められた(pre-determined)出来事連鎖としての物

    ゲーム研究と「ナラティブ」 - 9bit
    gento
    gento 2013/09/03
    先行研究まわり。分かってるつもりでいても、奥は深い。
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