しかし、政治家の責任はそれで済むとは思わない。少なくとも西松側は小沢氏の地元のダム工事などの受注に際し何らかの期待があって献金したと供述している。便宜供与の有無はともかく公共事業に絡んでカネが動いたのは確かだろう。 利権をめぐりカネと票が動く。これこそ政官業の癒着の本質であり、古い自民党の族政治そのものの構図ではないのか。しかも小沢氏はそんな自民党政治の打破を掲げて離党し、政権交代可能な2大政党制の実現を目指してきたはずだ。 小沢が打倒を目指していたのは、官僚制度と普遍に見えるかのような一党の体制。そこには国民の政治意識が不在になるシステムがあるということ。 そして、利権をめぐりカネと票が動くのが民主主義というもの。ルールをどこまでやるかということだ。超越的な正義が降臨して気まぐれに権力を振ることではない。