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インドに関するglobalheadのブックマーク (114)

  • 突撃!インドの晩ごはん。カレーにナンにケバブまで、食欲そそる18品 - まぐまぐニュース!

    アジアのさまざまなフォトレポートが人気の無料メルマガ『素顔のアジア (たびそら・写真編)』。今回、発行者で写真家の三井昌志さんが届けてくださったのは、インドのべ物たちです。香り立つような料理写真の数々、目にした途端に欲が刺激されること請け合いですよ。 インドのべ物 なにしろ12億の人口を擁するインドですから、地方によってべ物にも大きな違いがあります。でもその地域内での差はものすごく少ない。高級レストランであろうが、安堂であろうが、メニューはどこも判で押したように決まりきったもの。ベトナム料理やブラジル料理、トルコ料理にモンゴル料理と何でも揃っている日の外事情とはまったく違います。インド人はべ物に関してはきわめて保守的で、変化を嫌うようです。 南インドの朝の定番といえばドーサ。米粉を発酵させた生地を焼くクレープ状の軽です。やっぱパリパリのプレーンドーサが最高ですね。 とん

    突撃!インドの晩ごはん。カレーにナンにケバブまで、食欲そそる18品 - まぐまぐニュース!
  • Historical Vintage Photographs of Indian Sub-Continent and Adjacent South Asian Areas (India, Pakistan, Sri Lanka, Myanmar, Nepal, Bhutan, Afghanistan and Tibet)

    globalhead
    globalhead 2016/03/22
    古いインドの写真
  • 1億人以上が集まるヒンドゥー教最大の祭典「クンブ・メーラ(Kumbh Mela)」の圧倒的な写真50枚

    2013年1月14日から3月10日までの55日間、インド・ガンジス川のほとりにある聖地アラハバードで開催されているヒンドゥー教の祭典「クンブ・メーラ(Kumbh Mela)」の写真です。12年周期で開催されるクンブ・メーラは、参加人数が1億人以上とも言われる世界最大の宗教儀式。ヒンドゥー教の苦行者サドゥーや信者が一斉にガンジス川に集まり沐浴する姿は圧巻の一言です。 12年周期で4つの聖地アラハバード(イラーハーバード、プレヤグ)、ハリドワール、ウッジャイン、ナーシクで古代から開催されているクンブ・メーラ(Kumbh Mela)。クンブ(Kumbh)とは飲むものに不死を与えるというインド神話の飲料アムリタが入った壺を意味し、メーラ(Mela)は巡礼を意味する言葉。約2ヶ月続くクンブ・メーラは、罪を浄化する聖なる川ガンジスで沐浴を行う特別な期間です。 2013年の開催場所は、アラハバード近くの

    1億人以上が集まるヒンドゥー教最大の祭典「クンブ・メーラ(Kumbh Mela)」の圧倒的な写真50枚
  • チットランゴダ/インドのオスカル - トーキング・マイノリティ

    図書館から借りてきた『インド映画完全ガイド』(世界文化社)を先日見たが、日未公開のインド映画「チットランゴダ-崇高なる願い(原題:Chitrangada:The Crowning Wish )2012年」の紹介にはこんな一文があった。 「題名のチットランゴダとは、タゴール原作の劇中、男として育てられながら、伝説的な勇者を見た瞬間、女として生きる道を選んだ姫の名である…」 この映画はチットランゴダをヒロインとした作品ではなく、ゲイのカップルが登場し、主人公ルドラは性転換手術を受ける男。しかし、男として育てられた姫といえば、多くの日人はベルばらのヒロイン、オスカル・フランソワをイメージするだろう。上の一文を見て私は、インドにも男装の麗人の物語があった??しかも書いたのがあのタゴール‼ タゴールとはアジア人初のノーベル文学賞受賞者(文学賞)、インドではグルデーブ(詩の師匠)と謳われるほどの大

  • インド歴史ドラマシリーズ「Bharat_Ek_Khoj」 : 古代世界の午後雑記(移行中)

  • マヌ法典 その一 - トーキング・マイノリティ

    先日、ヒンドゥー教の法典『マヌ法典』(東洋文庫842、渡瀬信之訳注)を読了した。渡瀬氏は巻末の解題で、この法典(ダルマ・シャーストラ)が成立した背景を次のように述べている。 紀元前6世紀頃のインドで、禁欲苦行主義の台頭により、それまでの家中心の正統的な社会が揺らぎ、社会の再編が求められた。その際、社会の再編の切り札とされたのが、社会の中核としてのブラーフマナ(バラモン)、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラの4ヴァルナ(身分)体制の確立であり、それぞれの身分への確たる行為規範を策定することであった。これがダルマ・シャーストラ編纂の始まりという。 ダルマ・シャーストラは4ヴァルナの構成員にとって、決して犯してはならぬダルマ、つまり来的で聖なる正しい生き方・あり方を定め、それを以って正統インド世界の行為規範とすることを目指した。19世紀半ばまでダルマ・シャーストラはその使命を果たし続けること

  • 現代インドを知るための60章 その五 - トーキング・マイノリティ

    その一、その二、その三、その四の続き 私的には、このの中ではやはり60章「出遅れた日」が気になった。60章では日印関係の展望が描かれており、執筆者は編集にも携わった広瀬崇子氏。最終章で広瀬氏は今後の日印関係の在り方を述べている。 1990年代以降、世界各国のインドに対する関心が急速に高まり、21世紀になると中国と並びインドが政治・経済両面で注目されるようになった。インドはアメリカと緊密な関係を構築したのをはじめ、中印国境紛争以来停滞していた中国との関係を大幅に改善する一方、ロシアとの伝統的な友好関係を維持している。また、独立以来の宿敵であったパキスタンとの間でも対話を再開している。そうした状況の中で、日はやや他国に遅れをとった感がある。 元からインドの対日感情は良かったに対し、日では主にODAの対象国として価値を見出していた。1990年代に入り、インドが経済自由化政策を採用した際、

  • サティー/焼殺される妻たち その① - トーキング・マイノリティ

    インドに関心がない方でも、この国にサティーと呼ばれる未亡人殉死の恐るべき因習があったことを耳にされたかもしれない。独立後、サティーは消滅したと思いきや、今から20年程前に「サティー復活」として衝撃を与えた事件が起きている。私も以前この出来事を新聞のベタ記事で見たが、最近その詳細を知り、改めて慄然とさせられた。 1987年9月4日、18歳のループ・カンワルは病死した夫の遺体と共に生きながら焼かれる。8ヵ月にも満たない結婚生活だった。この事件が起きたデオララ村は、俗にピンク・シティーと呼ばれる有名な観光地ジャイプル(ラージャスターン州州都)から車で90分の所にある。カンワルは死後女神として讃えられ、村は巡礼地となり、25~30万人もの人々が詰め掛けたと言われる。この村は寒村どころか、識字率も低くなく、カンワルは高卒の女性、夫は理工系大学を卒業、医師を志望していた。夫の父は修士課程を修了した公立

  • 格安薬品で業界を震撼?インド製薬会社社長が取り組む | QLifePro

    インド製薬会社社長、格安薬品で業界を脅かす。 インドの製薬業界の大物である、ユスフ・ハミド氏は10数年前世界の貧しい人たちのため格安エイズ治療薬を売り革命を起こした。そして今同じく、格安のガン治療薬を売り出そうとしている。 格安薬品で人道的支援 巨大製薬会社シプラの社長、ハミド氏は、先月、脳腫瘍、腎臓ガン、肺ガン用と、3種のガン治療薬の値段を4分の1に値下げした。 彼がフランス通信(AFP)に語ったところによると、「もっとたくさんのガン治療薬の値下げをし、格安薬品をアフリカなどの国々に供給したい。ガン治療薬の値下げは人道的行為である」ということだ。 ハミド氏は、現在76歳だが、11年前にエイズの3種混合薬を30分の1以下の1ドル以下で提供したとき、当時これらを独占販売していた西洋の製薬会社の笑いものとなった。 ハミド氏がエイズ患者の命にかかわる薬を高く売りつける彼らを「地上の連続殺人犯」と

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  • インド人の名前 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2014年12月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2014年12月) 出典検索?: "インド人の名前" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL インド人の名前は、さまざまな名付けの方法と伝統に基づいており、地方ごとに異なっていて多様である。また、宗教や社会的位置(いわゆるカースト)によっても異なる。インドという領域が、多くの言語や世界中の主立った宗教を内包しているため、名付けに関して時に微妙で紛らわしい違いを生むことになっている。 名の種類[編集] 多くのインド人は、「個人名・副名」あるいは「個人名・中間名・副名」という形の

    globalhead
    globalhead 2015/12/17
    タミル人俳優って名前だけだからそういう芸名の付け方なのかと思ってたけど、一般的にタミルは誰もが名前だけなんだ?
  • プーラン・デーヴィー - Wikipedia

    英語版記事を日語へ機械翻訳したバージョン(Google翻訳)。 万が一翻訳の手がかりとして機械翻訳を用いた場合、翻訳者は必ず翻訳元原文を参照して機械翻訳の誤りを訂正し、正確な翻訳にしなければなりません。これが成されていない場合、記事は削除の方針G-3に基づき、削除される可能性があります。 信頼性が低いまたは低品質な文章を翻訳しないでください。もし可能ならば、文章を他言語版記事に示された文献で正しいかどうかを確認してください。 履歴継承を行うため、要約欄に翻訳元となった記事のページ名・版について記述する必要があります。記述方法については、Wikipedia:翻訳のガイドライン#要約欄への記入を参照ください。 翻訳後、{{翻訳告知|en|Phoolan Devi|…}}をノートに追加することもできます。 Wikipedia:翻訳のガイドラインに、より詳細な翻訳の手順・指針についての説明があり

    プーラン・デーヴィー - Wikipedia
  • 第2次インドブーム到来、「ミセスワタナベ」の投資熱再び

    11月20日、世界で最も潤沢な資産を保有しているされる日の個人投資家、いわゆる「ミセスワタナベ」がインドに続々と復帰、インドは有望な新興国として再び投資熱が高まっている。ムンバイで2013年8月撮影(2015年 ロイター/Danish Siddiqui) インドはわずか2年前には深刻な資流出の危機に見舞われていたが、今では世界で最も潤沢な資産を保有しているされる日の個人投資家、いわゆる「ミセスワタナベ」がインドに続々と復帰、有望な新興国として再び投資熱が高まっている。 日銀の金融緩和に伴い、国内の債券利回りがかつてない低水準にはりつく中、より高い利回りへのニーズは強い。 予想される米利上げを前に、海外マネーがピークをつける兆しを見せるなか、インドにとって、日からの投資の急回復は明るい材料だ。 インドは2013年、経常赤字が過去最悪を記録したことが警戒され、通貨ルピーが最安値に落ち込

    第2次インドブーム到来、「ミセスワタナベ」の投資熱再び
  • Islamic radicals in India|軍事板常見問題 テロ別館

    c 「テロリズム別館」トップ・ページへ 「軍事板常見問題&良レス回収機構」准トップ・ページへ   サイト・マップへ ◆◆インド(含カシミール) <◆イスラーム過激原理主義 目次 <テロリズムFAQ目次 (画像掲示板より引用) 【link】 「FT」◆(2010/03/09)Suicide bomb in Lahore targets police unit 「FT」◆(2010/05/03)Mumbai gunman convicted 「FT」◆(2010/05/06)Mumbai gunman sentenced to death 「Time of India」◆(2013/03/25) 1993 Mumbai blasts case: Shiv Sena opposes move to pardon Sanjay Dutt 「USA TODAY」◆(2010/12/25)Suspec

    Islamic radicals in India|軍事板常見問題 テロ別館
  • インドの情報機関

    インドの主敵は、今に至るまでパキスタンであるため、インドの特務機関は、何よりも、同国に対して活動している。 ■歴史 インド諜報部の歴史は、植民地期に始まった。最初の現実的な諜報情報収集網は、1892~93年に英領インドに現れた。それを指導したのは、チャールズ・マクレガー(Charles McGregor)少将だった。彼は、インド軍の補給部長と同時に、情報部長の職を占めた。マクレガーの機構の出現は、この地域に明らかに現されたロシアの関心により引き起こされた。英国人は、サンクト・ペテルブルグに、東インド会社、インド国境等で働く多数のエージェントが合流する特殊諜報局が存在することを正確に知っていた。 20世紀初め、英領インド特務機関の主敵は、ロシアであり続けた。1917年の革命後、インドの情報局は、州の刑事捜索部と共に、コミンテルン、「モスクワ、欧州諸国及びアフガニスタンの陰謀」と関連又は組織さ

    インドの情報機関
  • ムンバイ同時多発テロ - Wikipedia

    ムンバイ同時多発テロ(ムンバイどうじたはつテロ)は、2008年11月26日夜から11月29日朝にかけて、インドのムンバイで外国人向けのホテルや鉄道駅など複数の場所が、イスラーム過激派と見られる勢力に襲撃され、多数の犠牲者を出したテロ事件。 概要[編集] インド西海岸沿いに位置するムンバイ 2008年11月26日夜、インド最大の都市であり商業の中心地でもあるムンバイ(旧名ボンベイ)で、同時多発的に発生した[14][15] 10件のテロ立てこもり事件は、11月29日朝、陸軍部隊がすべての立てこもり拠点を制圧して終結した[9][16]。 少なくとも172人ないし174人[3][4](うち34人は外国人)が死亡、負傷者は239人[4] にのぼることが確認されている[17][18][19]。 テロ攻撃のうち8件が南ムンバイで起こった。標的となったのは、混雑したチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス

    ムンバイ同時多発テロ - Wikipedia
  • 特集:インドびっくり経済 2015年10月27日号

    ◇人口ボーナスが育む成長力 ◇中間層拡大で巨大消費市場へ 二階堂有子(武蔵大学経済学部准教授) / 佐藤隆広 (神戸大学経済経営研究所教授) / 編集部 インド経済が世界の関心を集めている。国際通貨基金(IMF)は3月、インドの中期的な潜在成長率を6・75 %と推計した。国内規制などのボトルネックがあってなお、日の10倍、米国の2倍以上と驚くべき高水準だ。インドの経済成長は長期的に続き、1人当たり国内総生産(GDP)の米国に対する比率は現在の1割未満から2050年には3割に達する見通しだ。資源の輸出機会拡大を狙うオーストラリア政府も注目する。 世界銀行は10月公表の南アジア経済見通しで、インドの経済成長率を14年7・3%から15年は7・5%になり、16年7・8%、17年7・9%へと上昇すると示した。中国は14年7・3%、15年は6・9%に減速すると予測しており、21世紀に初めてインドが中

    特集:インドびっくり経済 2015年10月27日号
  • 【画像】インドの寺院が派手すぎると話題に : 哲学ニュースnwk

    2015年10月16日12:00 【画像】インドの寺院が派手すぎると話題に Tweet 1: ニールキック(四国地方)@\(^o^)/ 2015/10/15(木) 22:28:56.90 ID:NIcqjxFR0.net BE:284465795-PLT(12000) ポイント特典 転載元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1444915736/ ネットで拾った変な画像『手数料引かないで・福島原発立ち入り禁止区域の今 』 http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4952991.html 高さは170フィートにも及んでそびえ立ち、14の塔をもつミーナクシ・アンマン寺院は 印象的な33000もの彫刻の装飾が施されています。 その彫刻のすべては色とりどり明るい色に目立たせられています。 南インドのタミル

    【画像】インドの寺院が派手すぎると話題に : 哲学ニュースnwk
  • タミル人は長崎県に住んでいた?『日本語の起源(新版)』(大野晋著)より | INDIA GO!

    語とタミル語が似ている というお話は以前ブログに書きましたが 国語学者であった故・大野晋氏の著書 『日語の起源(新版)』 を友達が貸してくれました。 7,000キロも離れた日とインドの長い歴史の中で 2,000年以上も昔からそこに存在したであろう「物」や「精神」を調査し 37年かけて日語とタミル語の関連性を検証していく その想像を絶する研究の全貌を理解するのは簡単ではありませんが、 タミル語が公用語である南インド・チェンナイに住む日人として、 「日語の起源はタミル語にある」という仮説には 時空を超えたどこかワクワクさせてくれるロマンがあります。 著書によると、日語の同系語研究では アイヌ語、朝鮮語、満州語、モンゴル語、トルコ語などが主流で、 インドはサンスクリット語系統の言語であるヒンドゥー語が主な公用語であるために インドの言語は、長い間、研究対象にされてこなかったようで

    タミル人は長崎県に住んでいた?『日本語の起源(新版)』(大野晋著)より | INDIA GO!
  • 世界の組織犯罪という番組のインド編: 今日的見聞録

  • ムンバイ連続テロ事件の首謀者の絞首刑執行、延期要請退け

    (CNN) インド内務省の報道担当者は30日、同国西部ムンバイで1993年3月12日に起きた連続爆弾テロ事件に関連し、首謀者とされるヤクブ・メモン死刑囚の絞首刑が同日早朝に執行されたと述べた。CNNの取材に明らかにした。 執行場所は西部マハラシュトラ州の刑務所で、同死刑囚は30日に53歳の誕生日を迎えていた。 同事件では、ムンバイ市内の複数のホテル、市場や建物で計12件の爆発が連続発生し、計257人が殺害されていた。インドの検察当局は、事件の背景には狂信的なヒンドゥー教徒によるインド北部にある16世紀創設のモスク(イスラム教礼拝所)破壊があると指摘。モスク破壊に対する地下組織の報復攻撃と見ている。この事件後、宗教抗争が多発し、数百人が死亡していた。 メモン死刑囚には2007年に死刑判決が下されていた。93年の爆弾テロ事件では他の容疑者10人にも死刑が言い渡されたが、控訴して13年に終身刑に

    ムンバイ連続テロ事件の首謀者の絞首刑執行、延期要請退け