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思想家・太田竜氏の「革命」一代 妄想家か、辺境の擁護者か 2009年7月23日14時38分 太田竜氏 5月19日に78歳で亡くなった思想家・太田竜氏は、その振幅の大きい活動で人々を戸惑わせてきた。新左翼の革命理論家から、「ユダヤの支配」を糾弾し、「爬虫(はちゅう)類的異星人が地球を支配している」と説いた陰謀論者へ。変転を突き動かしたものは「妄想」か、それとも「辺境」への視点だったのだろうか。 10代から左翼運動に身を投じた太田氏は1957年、革命的共産主義者同盟結成に参加する。中核派、革マル派などの前身である。その後、第4インターナショナル日本支部委員長に、さらに分派し、それも脱退した。創設した組織を次々と割っては新組織を立ち上げ、主張はそのたびに過激に先鋭になった。 70年頃からは琉球、アイヌといった「辺境」に着目し独自の革命論を追究し始めた。三菱重工ビル爆破事件を起こした東アジア反日
♪そそっかしくて お人好し ちっとも美人じゃないけれど おふくろの味 蕎麦の味 この唄の歌詞を見て、「ああ・・・」とくる人はもう中年です(笑) これはTBSの人気ホームドラマ『肝っ玉かあさん』の主題歌です。 日本の四大お母さん女優と呼ばれた京塚昌子。 (ちなみに残りの3人は森光子、山岡久乃、加藤治子) 森さん、加藤さんは現役バリバリですし、山岡さんは最近異様なまでにウィキペディアに情報が載っています(割と正確な記事です)。 でも、京塚さんの話は「杉田かおるをいじめてたオバサン」だけ…。 それじゃあんまり。 ということで、実は以前調べたことがありました。 …正直言って壮絶でした。 何とも複雑な…あの明るい、人のよさそうな人が実は・・・というような。 でもそれが人間、いや女優なのかもしれません。 そう思うしかなかったのを覚えています。 ちょっと幾つか記事をもとに書いてみました。 よかったら読ん
二人の歌人(2) 平田豊 「本のある暮らし(20074)」 [ 文学・読書 ] 正確に言えば、彼は歌人ではありません。 もの書きともいえないでしょう。 高校生の頃短歌作りに没頭して歌人の前登志夫さんに認められるも 都会での生活への誘惑やみ難く入門の誘いを断って上京し、 さまざまな職を転々とした後、 HIVによって亡くなった人です。 関連図書は2冊あります。 「あと少し生きてみたい」は本人の手で完成しましたが 「それじゃあグッドバイ」は病状が進んだために口述筆記の形をとっており、 彼の死後出版されました。 短歌は高校生の頃作ったきり止めていたものを、 HIVを発症してから再開したのだそうです。 同性愛の性感染からHIVを発症した人を自業自得と言うのは簡単です。 私の中にも、性感染によるHIV患者を薬害エイズや母子感染の患者と 区
週刊文春2009年6月4日号P145 http://www.bunshun.co.jp/mag/shukanbunshun/index.htm >はるな愛をオンナにした「赤ひげ先生」秘められた死 バラエティ番組に引っ張りだこのタレント・はるな愛(36)には、今年三月に出版された自伝本にも記されていない「悲しい過去」があった。彼女の性転換手術を執刀した、“生みの親”和田耕治医師が、二年前に不慮の死を遂げていたのだ。 はるな本人が振り返る。 「私が大阪のショーパブで働いていた頃、先生が病院のスタッフと打ち上げに来たのが最初でした。当時は男の子の体だったので、美容外科の先生と聞いて、それからは必死に手術をお願いしたんです。一年たって、やっと『僕の自己責任で手術をしてあげる』と了解してくれたときは、感激しました。私が先生の第一号で、お店の後輩が二号、三号と続いています」 国内で性転換手術に対応でき
キヨシローさんが亡くなったことは凄くショックだったし、キヨシローさんの功績や人物を伝える記事がバンバン出ていることにも否定的な感想は抱いてないんだけど、高英男(こう・ひでお)さんの訃報がキヨシローさんの陰に隠れてしまっているのが非常に残念な藤嶋です。 まあ、今の時代、高英男さんの名前を知らない人のほうが多いだろうから、仕方のないことなんだろうけど……。 「雪の降る街を」シャンソン歌手・高英男さん死去(読売新聞、5月4日13時58分配信) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090504-00000411-yom-ent Queer Music Experience.でも藤嶋ブログでも未だに詳しくは紹介していないんですが、高英男さんは、日本で初めてのシャンソン歌手です。そして、雑誌『それいゆ』などで有名なイラストレーターであり、日本初のマルチ・クリエイター
♪劣等生のこのぼくに すてきな話をしてくれた――2日に58歳で亡くなったロックシンガー、忌野(いまわの)清志郎(きよしろう)さんには終生慕う先生がいた。東京都立日野高校で担任だった小林晴雄さん(77)。初期のヒット曲「ぼくの好きな先生」のモデルになった。必ず闘病生活を乗り越える。先生と級友はそう信じてきた。 3日、都内で営まれた清志郎さんの通夜に、小林先生は参列した。ひつぎの中の教え子は穏やかな顔をしていた。「十分がんばってきたんだ。ゆっくり休め」。心の中で声をかけ、花を手向けた。 《十八になる私の子供はギターのプロになるのだと申します。私どもには何が何だかわからなくなりました》 69年11月、朝日新聞にこんな身の上相談が載った。清志郎さんの母からだった。 「大学に行っても4年遊ぶんだから、4年は好きなことをやらせてあげましょう」。気をもむ母を説得したのが、小林先生だった。 清志
坂本龍一 & 忌野清志郎 - い・け・な・い ルージュマジック
ファッション誌『GINGER』特集で明らかにされた愛さんの思い 昨年12月24日に都内の自宅マンションで亡くなっているのが見つかった元タレントの飯島愛さん(享年36)。ゲイの間でも世間でも、その早すぎる死を悼む声がたくさん上がりました。23日創刊の女性ファッション誌『GINGER』に「真実の飯島愛 ~ココロの天才が命を削って伝えたかったこと」という、ご両親や付き人の方などのインタビューを集めた特集が掲載されています。その中で、飯島愛さんがゲイについての物語を絵本&アニメとして世に発表しようとしていたことが明らかになりました。飯島愛さんという方がどれだけゲイのことを思っていたか、追悼特集をお送りしたいと思います。 昨年12月24日に都内の自宅マンションで亡くなっているのが見つかった元タレントの飯島愛さん(享年36)。ゲイの間でも世間でも、その早すぎる死を悼む声がたくさん上がりました。 2
映画評論家で「日曜洋画劇場」の解説者としてもおなじみの顔だった淀川長治は、晩年の栖(すみか)を東京六本木の全日空ホテル34階の一室で過ごした。ひとり暮らしをするうえでホテル住まいが何より便利で快適だったこと、そのホテルが当時番組の解説をしていたテレビ朝日のすぐ近くにあったことから、約10年あまりをそこで過ごしたのだった。晩年彼の口癖は「もうすぐ死にますから、何でも聞いてください」で、死に際は「映画館で映写が終わったのに、まだ座っている老人がいる。従業員が『お客さん、もう終わりましたよ』と声をかけると、死んでいた。そんな最期が最高」と願っていた。映画は映画館で見るのがベストというのが彼の持論だったそうだが、テレビで映画解説を引き受けたことについてはこう語っている。 正直申してジョン・フォードの『駅馬車』をテレビで見るのはしんどい、つらい。だが、見ないよりはいい。それもテレビでやると、いつもは
ウニタ書舗の元店主遠藤忠夫さんの訃報があった。 エリカっていう神田の薄暗い喫茶店で、よく話を聞いたなあ。 あの店、まだあるのかしら。 20年前の当時のぼくは警視庁の公安担当で、遠藤さんには取材で会う必要があったのだけれど、この歴戦の目撃者は妙にひょうひょうとしていてタバコなんぞをくゆらしながら新左翼の連中を温かく批判していた。当時は彼がゆいいつ重信房子なんかの日本赤軍とのパイプ役で、「こないだ重信に会いに行ってきたんだけど」と彼の語るベカー高原だとかゴラン高原だとかは、いまよりもはるかに少ない情報の中で妄想に近い地形となってぼくの頭の中で黄土色の風を吹かせていた。 そういえば彼は北朝鮮の赤軍の連中ともパイプを持っていた。あの大韓航空機爆破事件の蜂谷真由美こと金賢姫の一件でもずいぶんと裏の話を聞いた。あのころの公安は丸岡の逮捕とか泉水の逮捕とか、中核の圧力釜爆弾とか革労協のロケット弾とかスパ
2007年6月20日、コロンビアの首都ボゴタ(Bogota)で行われた抗議デモ中にキスをするゲイカップル。(c)AFP/Mauricio DUENAS 【4月10日 AFP】デンマークの首都コペンハーゲン(Copenhagen)にある、童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen)が眠る墓地の一角に、ホモセクシュアル専用の区画が設けられたことが分かった。プロジェクト発起人が8日、明らかにした。 プロジェクト発起人のIvan Larsen氏はAFPに対し、「『Regnbuen(虹)』という組織を立ち上げた。目標はゲイやレズビアンが隣り合って埋葬されることだ」と語る。 この組織はアシステンス(Assistens)墓地に、最大45人を埋葬できる区画を借りた。1区画の賃貸料は2500クローネ(約5万4000円)。この墓地はアンデルセンのほか、哲学者ソー
挽歌(2) 二月の真夜中 ふとめがさめて ねがえりをうつと 叔父のねどこはもぬけのからだった うつらうつらしながら待っていたが もどってこなかった 北風がぴゅうぴゅうなっていた しだいにむねがどきどきして 便所へいそいだ いなかった うらの納屋へまわってみたら 便所の窓のあかりのなかで 叔父が立っていた なにしてなさると手をかけたら ぐらっとうごいた まだすこしぬくみがあったと 叔母は手をみつめていた わからん なんで死んだんか とんとわからん と眼をふせた たぶん じぶんでじぶんがいやになったんでしょう そういうときがある 男にはある としとった家長にはある ひとの世がいやになったのではない 生きているのがくるしいのでもない いつもだれかにうごかされていたにんげんは さいごにじぶんでうごかしたくなる じぶんのゆびで じぶんじしんを あっちの方へ (一九七〇) * 山口英さんが亡くなったと
最近、朝起きると「酒が飲みたい」と思うことがよくある。実行しないように心がけたいと思う。(2005年4月17日) それに、英文学者の仕事はリジッドな研究論文を書くことだけではない。英語圏の文化事情の紹介や、新作小説の翻訳、どれも英文学者が期待されて担ってきたことだ。学会はこれまで、そうした仕事はジャーナリズムにまかせて、「研究」のみを扱ってきた。それはそれで一つの見識だったし、学問としてのレベルを高めたと思う。でも、一般読者はもちろん、英文学者自身ですら、学会発表以上に『英語青年』や『ユリイカ』といった雑誌、あるいは翻訳のあとがきや新書を注目して読んできたはずだ。しかしそうした仕事の多くは学会で話題にされることがなかった。輸入学問の宿命として、英米人が書いたものの話はしても、目の前の日本人が書いたものは読まない、あるいは読んでも公に語らない、というねじれた風潮も消えてはいない。英文学業界が
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