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ブックマーク / gushou.blog51.fc2.com (9)

  • 愚慫空論 魂の経済学

    魂にも経済があるはずだ、と考えてみた。 定義1:魂とは生命の来的運動である。 という話は、以前に何度も取り上げた。ここから経済学を構想してみる。 経済学の基礎は価値説だ。マル経なら労働価値説。近経なら(そうはいわないけど)貨幣価値説。 定義2:魂がその運動を維持するために消費するリソースを〈価値〉と定義する。 魂は運動である。だとするなら入力と出力とがあるはずで、その入出力を〈価値〉と定義してみれば経済学になるんじゃないの? という安直な発想。 で。魂の運動には、物的な側面と精神的な側面とがある。魂は、物的あるいは精神的な価値を消費することで、維持される。 魂の運動の維持ということを身体においてみてみる。魂の物的側面は、端的に身体だから。身体は、日々物を摂取し、新陳代謝を行なって身体を維持している。なので、身体にとって物は〈価値〉ということになる。 また、長期的に見れば、身体は発育す

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    gruza03 2012/06/15
    従来の一般的な経済的常識からすれば、赤ん坊は消費するだけで、なんら価値を生み出すことをしない。価値生産能力はないとみなされる。魂は、物的あるいは精神的な価値を消費することで、維持される。
  • 愚慫空論 脱原発の勇気と希望の先

    結論から先に行こう。 脱原発の「勇気」と「希望」の先には何があるのか。 エネルギーの自治。の自治。技術の自治。 シンプルでいて豊かな社会。 そこへ至る過程としての勤勉革命。 もちろん私の勝手な空想ではあるけれども、そういった空想を描く者は何も私一人だけではない。他にはたとえば、エルンスト・フリードリッヒ・シューマッハーとか。 イギリス石炭公社の経済顧問であった著者は、来るエネルギー危機を書で予言し、それは第一次石油危機として現実化した。また、大量消費を幸福度の指標とする現代経済学と、科学万能主義に疑問を投げかけ、自由主義経済下での完全雇用を提唱した。経済顧問として招かれたビルマで見た仏教徒の生き方に感銘を受け、仏教経済学を提唱した。 ここで言われる「自由主義経済」「仏教経済学」がどのようなものかは立ち入らないが、原発危機はでエネルギー危機であることは間違いないわけ。エネルギー危機を早く

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    gruza03 2012/05/24
    複雑怪奇な欺瞞話法(東大話法etc)で支えられてきたに過ぎないということは、もはや明らか。/この時点で、「はあ?」。ある経営者、東大生も簡単に心理陥穽に落ちてた。見たいモノだけ見たい第三者否定心理の肯定の提示
  • 愚慫空論 消費増税法案に造反明言

    統治機構の転換をはじめとする大改革を断行して公正な仕組みをつくることが先決。それがない増税論議は筋道が違う。経済政策としてもおかしい。 正論。だが、まだ表現は生ぬるい。 民主党は政治主導を実現するためにマニフェストなるものを掲げて政権を取った。ところが今の民主党政治はマニフェストにないことばかりやっている。小沢一郎の主張は民主党の政権公約であるにすぎない。 その小沢一郎が官僚機構の一部である検察と検察と一体になったマスメディアの攻撃を不当な攻撃を受け、政権の主流から外された。その結果、政治主導のはずが官僚主導に舞い戻った。そんなはずではなかったと多くの国民は思っているが、官僚組織とそれにぶら下がるメディアに騙されたわけだ。 既得権益者である「やつら」の考えはこうである。 国家の資産はわれわれのもの。国の借金は国民のもの。 まさかと思うかもしれないが、冗談ではない。気でそう考えているとしか

    gruza03
    gruza03 2012/02/05
    高橋洋一嘉悦大学教授が明確に指摘している。/リフレが絶対に実施させないようにしているとしか思えない。ムラ=共同体主義批判が新自由主義への傾倒という面を有する。東大話法=法学部批判へと密接に繋がる。
  • 愚樵空論 錆びついてゆく世界

    今回もを紹介するところから始めたいと思います。 松岡正剛著『誰も知らない世界と日のまちがい』です。前回の『銃・病原菌・鉄』の続きという位置づけです。イギリス・エリザベス一世以降の近代が取り上げられています。 ◆「まちがい」「老化」「錆び」 書は『17歳のための世界と日の見方』の続編という位置づけになっています。ですから書も“17歳のため”ということになるのでしょうけど、17歳に読みとけるだとは思えません。正直、私が17歳のときにはムリだったでしょう。ですが、面白く読めたとは思います。 歴史とは、そのつどの「異質の発生」との出会いなんですね。現代を語るなら、われわれのごく近傍の歴史にも異質や異例や異人があったことを、ちゃんとみていく必要があるんじゃないでしょうか。そうすれば、うんと大きなしくみだって、じつは変なところがいろいろあることにも気がつくんではないか。そこで、近代から今日

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    gruza03 2011/02/14
    “貨幣を苗代にして社会を豊かにする”ところがキャピタリズムは貨幣が直播きになり、マルキシズムではそこへ「進化」の図式を持ち込ちこまれために、直撒きキャピタリズムと直撒きコミュニズムの「競争」になった。
  • 愚慫空論 社会にもアンチエイジングが必要

    新年が明けてもう半月も経ってしまいました。昔々、「月日は百代の過客にして、光陰矢のごとし」なんてのを教わった頃はまったく実感がなかったのですが、いまでは実感しまくり(^_^;  焦らずボチボチと思いはすれども、この実感は如何ともし難くて... 唯「環境」史観? 『銃・病原菌・鉄』を読みました。面白かった。オススメのです。 銃と軍馬―― 16世紀にピサロ率いる168人のスペイン部隊が4万人に守られるインカ皇帝を戦闘の末に捕虜にできたのは、これらのためであった事実は知られている。なぜ、アメリカ先住民は銃という武器を発明できなかったのか?彼らが劣っていたからか?ならば、2つの人種の故郷が反対であったなら、アメリカ大陸からユーラシア大陸への侵攻というかたちになったのだろうか? 否、と著者は言う。そして、その理由を98年度ピューリッツァー賞に輝いた書で、最後の氷河期が終わった1万3000年前から

    gruza03
    gruza03 2011/02/14
    『銃・病原菌・鉄』社会=文明を生命体になぞらえ、唯「環境」史観から文明崩壊の法則を探るというスタンスです。/シュタイナーの社会有機体三分節化論/無縁社会と有機体融合。伝播とコミュニティズム
  • 愚慫空論 尖閣諸島が中国の領土だとして

    素朴な疑問です。 もし仮に尖閣諸島が中国の領土だとして、いったいどこに不都合があるのか? 正直申し上げて、私個人としてはべつに何の不都合もありません。 もうひとつ正直なことを申し上げますと、不快感はあります。間違いなく。“中国に領土を取られる”という不快感。 ですが、私は自覚は持っているつもりです。この不快感は、私自身が生みだした不快感に過ぎないという自覚。尖閣諸島が日の領土だなどというのは、私の思い込みに過ぎません。 もちろん、私だけの思い込みではないことも知っています。多くの日国民が共有する共同幻想です。 “尖閣諸島が日領である”という思い込みは共同幻想であるがゆえに、“中国に領土を取られる”という不快感は容易に周囲と共有されることになります。そしてここに“不快感が共有される”という快感が生まれる。いつものように途中経過を素っ飛ばして結論してしまうと、この「快感」がナショナリズム

    gruza03
    gruza03 2010/10/13
    もし仮に尖閣諸島が中国の領土だとしていったいどこに不都合があるのか?“尖閣諸島が日本領である”という思い込みは共同幻想/資源が日本国中国に所属しようが私自身が消費できるかどうか安価で購入できるかどうか
  • 愚慫空論 ベーシックインカムの難点

    といったようなタイトルでエントリーをあげるとベーシックインカム反対派だと思われるかもしれませんが、それは違います。私は基的にはベーシックインカムが目指す方向性には賛成です。 賛成なんですけれども、手放しというわけではない。ベーシックインカムには、見過ごせない難点があるように思う。今回はそこらあたりのことを話してみたいと思います。 私が感じるベーシックインカムの難点とは、ズバリいうと“隷属の二乗になる”ということです。 方々のベーシックインカム賛成派の議論を眺めてみて思うのは、この「隷属」についての視点が欠落しているように思うのです。 では、隷属とはいったいどういうことか? その1は、「貨幣への隷属」です。 私たちが暮らしていくためにどうしても必要な経済は、現在の日ではほぼ100%貨幣によって支配されています。私たちの労働は貨幣によって価値が測定され報酬が支払われる。報酬とした得た貨幣と

  • 愚慫空論 貨幣は必要か?

    実はタイトルは少し舌足らずです。今の社会において“貨幣は必要か?”と問うてみても、その答えは決まり切っています。もし今の社会から貨幣がなくなれば、社会は社会の体を為さなくなるでしょう。貨幣は間違いなく必要です。 私が問いたいのは“今の社会において”ではなくて、“未来の理想社会において”。未来に理想社会などといったものが実現するかどうかは知りません。が、そういったものを夢想することができるのは人間の特権でしょう。そしてその特権を行使しつつ現在を問うことは、こちらは今を生きる人間の義務です。 未来の理想社会において貨幣は必要か? 私の答えは必要である、です。 ただし、その貨幣は現在の貨幣とは異なります。たびたび取り上げる「減価する貨幣」もその答えのひとつですが、それだけではないかもしれません。私が考える未来の貨幣はあくまで「属人的な貨幣」です。 現在の貨幣は属人的ではありません。よく“きれいな

  • 愚慫空論 贈与経済のもうひとつの始め方

    ここでは贈与経済=「減価する貨幣を基軸とする経済」と考えることにします。 まず触れておくべきは“もうひとつ”というところでしょう。“もうひとつ”というからにはすでにひとつということです。減価する貨幣に関心がおありの方はすぐピンと来ると思いますが、それは地域通貨です。減価する通貨は地方自治体や地域の任意の団体が自主的に発行する地域通貨とセットで語られることが多いです。 では、“もうひとつ”とは何なのか? いえ、実はこちらの方もすでに方々で語られていまして、それは電子マネーです。減価する貨幣と電子マネーとが親和性が高いということも、減価する貨幣に関心のある方はすでにご存知のことだと思います。 実際に企業が発行している電子マネーには有効期限があったりして、簡易的ながら減価する貨幣として機能しているものもあります。 しかし、そういった電子マネーが贈与経済を実現させているかというと、そうはなっていな

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