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2010年9月4日のブックマーク (2件)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 「偶有性」忌避という「風土病」

    生きる中で、将来がどうなるかわからないということ。自分たちが置かれている状況に、何らの必然性もないこと。このような「偶有性」という名の時代精神を象徴するモンスターから、日人は目を逸らそうとしている。だからこそ、不安になるのである。 「偶有性」は、近代以降の日人にとって慣れ親しんだメタファーを使えば、まさに「外国」から来た「黒船」である。インターネットの登場によって、世界は「偶有性」のダイナミックスの中に投げ込まれようとしている。長い間固定されてきた秩序、システムが崩壊し、新しい、よりフレキシブルなものに取って代わられる。このような変化は、好むと好まざるとにかかわらず、一つの歴史的必然である。 世界中の人が、「グローバリズム」という「偶有性の海」に飛び込み、大競争し、胆力を鍛える。そんな時代に、日人は「偶有性」というモンスターに背を向け、惰眠をむさぼっている。当は、不可避な変化がすぐ

    guerrillaichigo
    guerrillaichigo 2010/09/04
    「偶有性」の忌避こそが、現代日本にはびこる「風土病」であるとも言える。
  • ビークルとしての中央銀行 - 備忘録

    ※脚注を追加しました。 柄谷行人『世界史の構造』への感想の中で、以下のように記述した。 金位制の時代とは異なり、現代の世界貨幣である主要通貨は不換紙幣である。それは、その素材そのものに価値はないが、国家の負債としての裏付けを持つものである。中央銀行は、この見方からするとビークル(導管)のようなものとなろう。ただし、それは金利と貨幣量の調整を通じて、経済そのものに影響を及ぼし得るような意志を持つ「ビークル」である。不換紙幣が「金や銀」と置き換わることで、世界経済は貴金属の量によって制約されることはなくなり、一方、一国の経済は国家(中央銀行)の政策によってグリップされることになる。 これは、「貨幣が成立する根拠は、それをまた誰かほかの人が貨幣として引き受けてくれることが期待できるという事実」(岩井克人)であって、貨幣そのものは価値の根拠をもたないという見方を否定するために用いたたとえである。

    ビークルとしての中央銀行 - 備忘録