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ブックマーク / serai.jp (233)

  • 夏目漱石、寺田寅彦から俳句の本質について質問される。【日めくり漱石/10月2日】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    今から118 年前の今日、すなわち明治31年(1898)10月2日、漱石は熊・内坪井町の自邸に同好の士を集め、運座を開いた。漱石は当時31歳。英語教師として松山から熊五高に転任して、3年目を迎えていた。 この日、漱石邸に集ったのは11人。寺田寅彦をはじめ、厨川肇、蒲生栄、平川草江といった面々。熊五高における漱石の教え子たちであった。 寅彦が初めて漱石の私邸を訪ねたのは、これより1年前の7月。同郷(高知出身)の同級生を含む数人が学年末試験に失敗して落第しそうになっており、寅彦は「点をもらうための運動委員」に選出されて漱石にお願いにいったのである。同郷のその学生は家が貧しく人から学資を援助してもらっていたため、万が一落第するとそのまま学資の支給を断たれてしまう恐れがあったのだ。 それにしても、学生同士互いに連帯して先生の家へ請願に行き、先生の側もその学生と面談して相談にのっているあたりが

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    gui1 2016/10/02
  • 痔を手術した夏目漱石、退院許可が出るも入院延長を頼み込む。【日めくり漱石/9月28日】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    「もう今晩帰宅してもいいですよ」 医者はそう言うのだが、言われた病人の方がまだ心もとない。 「もうしばらく入院させてもらえないでしょうか」 そう申し出た。 それが、今から104 年前の今日、すなわち大正元年(1912)9月28日、東京・神田錦町の佐藤診療所における、漱石と担当医とのやりとりだった。担当医は同診療所院長の佐藤恒祐に他ならない。 2日前、漱石はこの病院で痔の手術を受けていた。前年9月に続いて2度目の手術。前回は入院するのは嫌だからと、頼み込んで自宅で処置してもらったが、今回はそうはいかなかった。 局部麻酔によるおよそ20分の手術で、肛門括約筋の一部を切除したのだった。いつも長時間、机の前に座して執筆や読書に明け暮れている漱石だから、一種の職業病といってもいいのかもしれなかった。 漱石が入院しているのは診療所の2階の病室。窓からは柳が一見えた。その柳の枝先が風にゆれていた。 こ

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    gui1 2016/09/28
  • 真田幸村(信繁)雌伏の地!和歌山・九度山周辺の「真田丸」関連スポット5選 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    NHKで放映中の大河ドラマ『真田丸』もいよいよ大詰めを迎えています。天下分け目の関ケ原の戦いで西軍にくみした真田昌幸・幸村父子は、和歌山県高野山に蟄居を命ぜられ、14年の歳月を過ごしました。その間に、父・昌幸はあえなく力尽き、その遺志は子・信繁(幸村)に委ねられることとなりました。 後に大阪の陣にて″日一の兵(つわもの)″と称えられることになる、真田幸村。その雌伏(しふく)の舞台となった地・高野山と九度山周辺には、真田ゆかりのスポットが点在しています。そのいくつかをご紹介しましょう。 ■1:蓮華定院 真田昌幸・幸村父子が最初に身を寄せたのが、高野山の蓮華定院です。鎌倉時代に開創され、長野県佐久・小県(ちいさがた)地方の豪族の崇信を受け、真田家とは宿坊の契約を結んでいました。

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    gui1 2016/09/27
  • 死の床から生還した夏目漱石、吐血時の状況を知って愕然とする。【日めくり漱石/9月25日】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    今から106 年前の今日、すなわち明治43年(1910)9月25日の朝、伊豆・修善寺の菊屋旅館内で病床についている43歳の漱石は、睡眠不足を感じていた。きのうの夜、観光で宿泊している一団が、夜通し騒がしかったため、よく眠れなかったのだ。 風呂にも、終夜、人が出入りする物音がしていたし、朝は朝でまだ暗いうちから顔を洗う音が聞こえてきていた。 午前11時頃、寝不足気味の漱石の枕頭に、友人の畔柳芥舟(くろやなぎ・かいしゅう)と門下生の岡田耕三(のちの林原耕三)のふたりが挨拶にきた。 「それでは、われわれは、そろそろ引き上げますから。先生、くれぐれもお大切に」 前日、東京から見舞いに駆けつけ1泊した両人は、これから一緒に帰京するというのだった。漱石は礼を言って、寝たままふたりを見送った。 お昼頃、門弟で朝日新聞社勤めの坂元雪鳥と長与胃腸病院副院長の杉東造、それから友人たちの計らいで漱石の診療の応

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    gui1 2016/09/25
  • 明治期の職人技の凄み!高度な工芸技術に唖然となる「驚きの明治工藝」展 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    東京・上野公園にある東京藝術大学大学美術館で、驚くべき技術で作られた明治時代の工芸品の展覧会が開催されています。(~10月30日まで) 出品作は、台湾人のコレクター宋培安(そんぺいあん)氏によって集められたもの。宋氏は漢方の薬剤師で、健康薬品の販売や生命科学の講座を開設しています。26年前に日の象牙彫刻に感動したことをきっかけに、明治時代を中心とした江戸時代末期から昭和初期頃までの工芸品の収集を開始し、今やコレクションの数は3,000点に及びます。 最も目を見張るのが、「自在置物」です。自在置物とは、鉄や銅で、龍や蛇、昆虫、鯉などの生き物を写実的に作ったもの。細かなパーツが組み合わされているため、その名の通り自在に動かして、ポーズを決められます。 江戸時代に、甲冑を作っていた職人が作り始め、明治時代には京都の専門の工房で主に輸出向けに生産されました。日に現存するものは少なく、一度に20

    明治期の職人技の凄み!高度な工芸技術に唖然となる「驚きの明治工藝」展 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
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    gui1 2016/09/24
  • しょうがの香りがやみつきに!江戸の料理書『甘藷百珍』の「衣かけ芋」【再現!江戸飯レシピ4】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    さつま芋が日に渡ってきたのは江戸時代初期で、普及したのは中期といわれています。享保の大飢饉をきっかけに、救荒物として栽培が推奨されるようになりました。 次第に庶民に普及するとさまざまな料理法が考え出され、1789 年には、さつまいも料理レシピを123つ紹介する『甘藷百珍』が発行されます。 今回ご紹介するのは、『甘藷百珍』の「奇品」部門の30番に載っている「衣かけ芋」です。芋の天ぷらにひと手間加えたアレンジレシピが2つ紹介されています。 ①衣に醤油で味付けするアレンジと、②さつまいもとしょうがを、それぞれ細切りにして前者同様に醤油風味の衣で揚げるかき揚です。では、それぞれの作り方をご紹介しましょう。 ■「衣かけ芋」の作り方 ◎材料 さつま芋 中1(半分はかき揚用) ショウガ 1片 天ぷら粉 100g 水 100cc 醤油 大さじ2 天ぷら油 適量 【アレンジ①】 ①小麦粉と水を混ぜて

    しょうがの香りがやみつきに!江戸の料理書『甘藷百珍』の「衣かけ芋」【再現!江戸飯レシピ4】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト
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    gui1 2016/09/20
  • 【江戸クイズ04】幕末に多くの偉人を輩出した「津和野藩の藩校」とは?(正解率10%) | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    時代劇は、歴史の知識を増やせば増やすほど見るのが楽しくなるもの。 そこで今回は、以前ご紹介した「江戸文化歴史検定」(通称・江戸検)の過去問題から、津和野藩についての江戸クイズをお届けします。 正解率はなんと10%! ほとんどの日人が解けない難問です。一発で解けた人は、歴史の天才と呼んでもいいレベル。さっそく挑戦してみましょう。 それでは、問題です。 「啓蒙家・教育者として知られる西周、文豪の森鴎外、紡績業の山辺丈夫、科学者の小藤文次郎など多くの人材を輩出した、津和野藩の藩校は次のうちどこでしょう?」 次の4択のなかから、「これだ!」というものを選んでください。 (い)誠之館 (ろ)養老館 (は)修道館 (に)時習館 どれが正解か、わかりましたか? ちなみに津和野藩とは、幕末に活躍した藩です。この藩の活躍ぶりを知らないと、相当難しいかもしれません……。 気になる正解は次のページで。

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    gui1 2016/08/30
  • ほとばしる強烈な個性!幕末明治を生きた鬼才絵師「河鍋暁斎」の展覧会 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    幕末から明治という大きな時代の動きの中に生きた絵師、河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい、1831-1889)の展覧会が、愛知県碧南市の碧南市藤井達吉現代美術館で開催されています。(~9月11日まで) 自らを「画鬼」と称し、流派を超えたあらゆる表現を貪欲に吸収し、その確かな技量と独創性によって生み出した暁斎の多彩な作品は、海外でも高い人気を博しています。 展の見どころを、碧南市藤井達吉現代美術館・学芸員の土生和彦さんにうかがいました。 「近年注目を集めている絵師・河鍋暁斎は、天保2(1831)年、下総国古河(現在の茨城県古河市)に生まれました。数え年2歳の頃に一家で江戸に出た後、明治22(1889)年に59歳で没するまで、幕末から明治にかけての激動の時代に、不屈の精神で自己の芸術活動に邁進した絵師でした。 わずか7歳で浮世絵師・歌川国芳に入門し、10歳からは狩野派の絵師の元で学んだ暁斎は、その

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    gui1 2016/08/24
  • 後世に残したい日本の夜!夜景マイスターが選ぶ「日本夜景遺産」新たな8つの認定地 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    夜道を照らす街灯や窓から漏れる灯り、自動車・電車・船舶のライト、歴史的建造物や近代的な造形物等を美しく照らす照明、人々を楽しませるために施されたイルミネーション……過去そして今まさに都市で暮らす人々の生活と文化が創り出した風景、「夜景」。その美しさは、ずっと眺めていても飽きませんね。 日には、三大夜景(函館、神戸、長崎)をはじめとして、数々の夜景スポットがあります。また、夜の灯り楽しむ様々な祭りがあります。 そんな日各地の美しい夜景を再発見、発掘し、観光資源として後世に残していく事を目的として企画されたのが、「日夜景遺産」です。毎年多くの候補地の中から、夜景検定1級の有資格者である「夜景マイスター」によって選定されています。 そして、今年も、2016年「日夜景遺産」の新規認定地が発表されました。今回は、その新規認定地8か所をご紹介しましょう。 山頂の展望台や小高い丘等から眺める「自

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    gui1 2016/08/16
  • 夏目漱石、妻を亡くした友人のため弔問に駆けつける。【日めくり漱石/8月16日】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    今から107 年前の今日、すなわち明治42年(1909)8月16日、42歳の漱石は朝一番で小石川久堅町の菅虎雄の家を訪れた。お産のあと7月初めから体調を崩していた菅虎雄(すが・とらお)夫人の静代が、前の日(8月15日)に病没した。その知らせを聞きつけ、ともかくも弔問のためかけつけたのだった。 菅虎雄は、学生時代からの親しい友人。漱石は大学卒業後の一時期や、熊五高に転任直後の数か月を、彼の家に同居させてもらっていた。煩悶を抱え参禅したいという漱石のために鎌倉・円覚寺への紹介状を書いてくれたり、胸の病に罹患したのではないかと心配になった漱石を北里柴三郎博士のところへ連れていってくれたのも、この人だった。漱石が朝日入りして最初の小説『虞美人草』の取材を兼ねて京都へ旅したとき、市内の寺社や比叡山へ案内したのも菅虎雄だった。 菅夫の間には子供も多かった。上の3人の子は、漱石もよく知っていた。熊

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    gui1 2016/08/16
  • 猫にだって相性がある!先住猫と新入り猫を仲良くさせる方法【猫のふしぎ第18回】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    空前のブームといわれる昨今。でも、の生活や行動パターンについては、意外と知られていないことが多いようです。人間や犬の行動に当てはめて考えて、まったく違う解釈をしてしまっていることも少なくありません。昔からを飼っているからの性格や習性を熟知していると思っていても、じつは勘違いしていたということが結構あるようです。 そこで、動物行動学の専門医・入交眞巳先生(日獣医師生命科学大学)にお話を伺いながら、との暮らしで目の当たりにする行動や習性について、専門的な研究に基づいたの真相に迫っていきます。 を飼い始めて、しばらくすると「1匹だけじゃ寂しいんじゃないか」、「友達や兄弟がいたら同士で遊ぶかな」とか考えて、2匹目を飼いたいと思うようになる人も多いかと思います。 その一方で、最初の子が新入りさんに嫉妬しないかとか、相性が悪かったらどうしようとかいった不安もあるでしょう。 そんな時、

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    gui1 2016/07/29
  • ワインリゾートの真骨頂!『リゾナーレ八ヶ岳』で味わう「野菜とワイン」の美食づくし | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    南アルプスや八ヶ岳に囲まれる『星野リゾート リゾナーレ八ヶ岳』は、国産ワインの宝庫である山梨・長野の県境に位置しており、恵まれた自然環境の中で「ワインリゾート」という旅の形が楽しめます。 今回は、そんなリゾナーレ八ヶ岳だけで味わえる、野菜とワインのマリアージュを堪能できるディナーをご紹介します。 メインダイニング「OTTO SETTE」(オットセッテ)でいただいたのは、ディナーコース「Trioni」(トゥリオーニ、9300円、税・サービス料込み)の抜粋版で、前菜(インサラータ)に「野菜・牛肉・豚肉・鶏肉の盛り合わせ」、次に「ハマグリと蕪のスパゲッティーニ」、そしてメインに「甲州ワインビーフのロースト」という構成でした。 まずは旬の野菜をふんだんに使ったサラダ仕立ての前菜(インサラータ)。なんと35品目もの野菜が盛り込まれていました。美しく彩られ、見ただけで欲をそそられます。そこに地元産の

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    gui1 2016/07/27
  • もっと大胆に生きていいんだ!夏目漱石、悩める教え子を激励する。【日めくり漱石/7月24日】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    今から110 年前の今日、すなわち明治39年(1906)7月24日、39歳の漱石は教え子に宛てて1通の手紙をしたためていた。教え子の身の上を案じ、励ます手紙だった。 手紙の相手は、東京帝国大学を卒業したばかりの中川芳太郎。社会へ出たとたん、ひどく萎縮してしまい右顧左眄(うこさべん)している感のある芳太郎の態度を慮って、漱石はこう書いた。 《学校を卒業して一日のうちに世の中が恐ろしくなったから、これから余程注意を周密にする由(よし)結構に候。しかし周密という意味に上等と下等あり。自己の智力にて出来得る限り考え、自己の感情にて出来得る限り感じ、而して相手と自己とに不都合の破綻なき様にするを上等といい。ただ人を見て泥棒の如く疑い何でもコソコソに先を制する様な事を得意にする、これを下等の周密という。(略)世を恐るるは非なり。生れたる世が恐ろしくては肩身が狭くて生きているのが苦しかるべし。余は君にも

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    gui1 2016/07/24
  • 高さ4mを超える巨大な祭壇画は圧巻!「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」展 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    15世紀から17世紀初頭にいたるルネサンス期のヴェネツィア絵画の流れを編年的に紹介する展覧会が、国立新美術館で開催されています。 日伊国交樹立150周年を記念した展覧会で、14世紀から18世紀にいたるヴェネツィア絵画を核にした「アカデミア美術館」(イタリア・フィレンツェ)のコレクションを中心に、選りすぐりの57点の名画によってヴェネツィア・ルネサンス絵画を一望できます。 自由奔放な筆致と豊かな色彩表現、大胆かつ劇的な構図を持ち味としたヴェネツィア・ルネサンス絵画の名品がそろう展。その見どころを、国立新美術館主任研究員の宮島綾子さんにうかがいました。 「展は、15世紀から17世紀初頭にいたるルネサンス期のヴェネツィア絵画の流れを編年的に紹介する展覧会です。ヴェネツィア絵画のなかでもルネサンスに焦点を絞った展覧会は、日で初めての試みとなります。 展には、ヴェネツィア派の父とも称されるジ

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    gui1 2016/07/14
  • 東洋と西洋を結婚させた陶芸家!バーナード・リーチ生誕130年を記念する展覧会 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    の民藝運動にも深い関わりをもったイギリスの陶芸家、バーナード・リーチの生誕130年を記念した展覧会が、滋賀県立近代美術館で開催されています。 香港で生まれ、3歳まで日で過ごしたバーナード・リーチ(1887-1979)は、10歳で母国イギリスに戻ると、美術学校で絵画を学びながら小泉八雲やホイッスラーなどの影響を受けて日への関心を抱き、22歳で念願の再来日を果たします。 このとき雑誌「白樺」の作家たち、なかでも「白樺」の中心メンバー、柳宗悦(1889-1961)との出会いが、その後のリーチの創作活動や思索に大きな影響をもたらしました。 リーチは柳たちが唱える民藝運動に深く関わり、六代尾形乾山から作陶を学び、1920年に濱田庄司(1894-1978)を伴って帰英。セント・アイヴスに自分の窯を築いて創作を開始します。 その後も日英往来を重ねたリーチは、自分と東アジア、とりわけ日とのつなが

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    gui1 2016/07/10
  • こんな家は御免だ!夏目漱石が「夏目家の家督」を継がなかった事情【日めくり漱石/6月23日】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

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    gui1 2016/06/23
  • 関東の一大勢力だった北条氏が一瞬にして滅びた理由 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    “敗れ去った者”に対する世間の評価は冷たく、ありもしないことまで言われてしまうのは、昔も今も変わらないかもしれない。 戦国時代の関東地方で250万石という広大な領地を有し、一大勢力を誇った北条氏(ほうじょうし)。その4代目当主・北条氏政(うじまさ、1538~1590)も実像をゆがめられている人物のひとりだろう。 北条氏政肖像画(堀内天嶺模写/小田原城天守閣所蔵)。切腹を命じられたのは、氏政と氏政の弟で八王子城主の北条氏照の2名。氏政と氏照の墓所はJR小田原駅近くにある(住所/小田原市栄町2−7−8)。 北条氏は初代の北条早雲(そううん)が伊豆(静岡県東部)と相模(神奈川県)を奪い取ったのを手始めに、2代氏綱(うじつな)、3代氏康(うじやす)と代を重ねるごとに領地を広げていった。そして、名君の誉れ高い氏康の跡を継いだのが氏政だ。その後、北条氏は氏政の子の氏直(うじなお)の代で、天下統一を進め

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    gui1 2016/06/19
  • 夏目漱石が試験監督!東京帝国大学の英文学のテスト内容とは【日めくり漱石/6月15日】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

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    gui1 2016/06/15
  • 真っ白な泡を飲む!? 沖縄伝統の不思議なお茶「ブクブクー茶」の正体は?【沖縄ぬちぐすい紀行4】 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    ごはん茶碗よりやや小ぶりな器に、こんもり盛られた白い泡。その上には、砕いた落花生がのっています。まるでソフトクリームのようですが、これが沖縄独特のお茶「ブクブクー茶」です。 この「ブクブクー茶」のように、お茶を茶筅(ちゃせん)などで泡立てて飲む風習を「振り茶」と呼びます。現在、振り茶の伝統が残るのは沖縄県那覇市の「ブクブクー茶」のほかには島根県松江市や出雲地方の「ぼてぼて茶」と、富山県朝日町の「ばたばた茶」だけです。いずれも茶筅で泡立ててから飲みますが、「ブクブクー茶」は泡そのものを楽しみます。 まずは簡単に「ぼてぼて茶」と「ばたばた茶」を説明しておきましょう。 「ぼてぼて茶」は、番茶と茶の花を煮出したものを穂先の長い茶筅で泡立てます。茶筅の先には、少量の塩を付けておきます。茶の花を入れないとなぜか泡が立ちにくく、塩を加えることでより泡立ちがよくなるそうです。泡立てたお茶の中に白米あるいは

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    gui1 2016/06/14
    泡盛関係なかった(´・ω・`)
  • 健康長寿世界一!香港人の元気を支える「基本のチキンスープ」の作り方 | サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト

    厚生労働省が発表した「世界の平均寿命ランキング」(2014年)によると、日の男性は80.5歳で3位となっています。そして男性の1位は、なんと81.17歳で「香港」なのです。 この数字だけ見ると、日と香港は僅差のように見えますが、昨今話題の「健康長寿」の観点からみると、健康上の問題で日常生活が制限されずに生活できる期間、いわゆる「健康寿命」は、日では男性が約9年、女性が約13年、それぞれ平均寿命より短くなるそうです。つまり、日は晩年動けなくなる人が多いという状況なのです。 では「健康長寿世界一」の香港人たちの元気を支えているものは、一体何なのでしょう? 香港在住30年、香港人に嫁いで25年の中医美容学博士・楊さちこさんは、「香港の人は元来、冷たいものをとりません。事の前には必ず“温かいスープ”がお約束です。そのスープを気候や体調に合わせることで健康維持しているのです」と語ります。

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    gui1 2016/06/14