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Societyとscienceに関するhashimotronikaのブックマーク (2)

  • 職業としての学問 - Wikipedia

    この講演が行われた当時のドイツは、第一次世界大戦の末期であり、戦況は悪化する一方であった。そのような状況下で、学生たちは「もともと神や哲学が担っていたような役割」や「あらゆる意味への問いに答えうる価値観を授けてくれるような超然的存在」を欲しており、学問の中に全能的存在を、教師の中に指導者の姿を求めるような期待感が生まれつつあった。 ヴェーバーは、学生のそのような期待感を察知し、以下のように語った。 まず、講演の前段では、アカデミックな職業人生に伴う現実的な問題を明らかにする。 たとえば、学者を志す者が、果たして将来教授などのポストを得られるか、それともそうはならずに人生を棒に振ってしまうかということは、そのほとんどが、その人の研究成果ではなく、運や偶然で決まってしまう。また、運よく大学教員になれたとしても、研究者としての評価と教育者としての評価の乖離の問題などを説明することで、ウェーバーは

  • 「なんの役に立つんですか?」の暴力性 - 最果タヒ.blog

    テレビで魚に右利き左利きがあることを発見した教授が出ていて、その話がすごすぎた。餌をとるのに右にばかり曲がる魚とか、魚にも利きというのがあるらしく、しかもそうした魚を干物にすると、右利きは右に曲がって干からび、左利きは左に曲がって干からびる、つまり骨格から利きが決まっているらしい。その比較を見せてもらったときは鳥肌がたったわけで、偉大すぎるだろ、とびびっていたのだけれど、アナウンサーさんは変な研究、と言いたげに苦笑していて、しまいには「なんの役に立つんですか?」という自然科学でもっとも野暮な質問をしてしまっていた。 うーん。「なんの役に立つんですか?」という言葉は、実はいろんなことに投げかけられている。「マンガなんて読んで、なんの役に立つの?」「宇宙なんて研究して、なんの役に立つの?」「絵画なんて観て、なんの役に立つの?」大衆にとってもっとも価値があるのは「利便性」だ。「利便性>娯楽性>芸

    「なんの役に立つんですか?」の暴力性 - 最果タヒ.blog
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