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夕張の問題を引き合いに出すまでもなく、都市と地方、それも特に首都圏中部圏とそれ以外の格差が拡がっているとの認識が広まっている昨今だが、儲かるところへ企業も人材も流入し儲からないところからは流出するのは経済メカニズムの原理原則で、それをけしからんとか言ってみたところで仕方がないんじゃないかと思う。だったら地方で儲かる事業をやればいいじゃないかということになるが、そもそも「儲からないから」仕方なく地方から逃げ出して東京へ出て行くというのが実情であって、もし地元で儲かる公算が東京へ出てゆくコストやリスクと勘案してもなお余りあるものであればはじめから出てゆかないだろう。その意味では地方分権を盛んに唱える人たちの言説には論理の転倒があるように思えてならない(それとも彼らは「儲け度外視」でやろうとでもいうのだろうか?)。いつの頃からか「地方の時代」と言われて久しいが、現実の世の中はローカリズムどころか
ある人から、認知言語学ってなに?と訊かれた。てっとりばやくわかるように、オムライスを使って説明せよとのこと。そこでさっそくやってみることにした。 Aさんがレストランに行ってオムライスを注文したとしよう。ところが、運ばれてきたオムライスにはケチャップがかかっていなかった。Aさんは、ケチャップがかかっていないオムライスはオムライスとして認めない人だ。カンカンに怒ったAさんはウェイトレスを呼びつけて、「こんなものはオムライスじゃない。ケチャップがかかっていないオムライスはオムライスとは呼べません!」と怒鳴りつけた。しかしウェイトレスは涼しい顔で、「でもこれはケチャップがかかっていないだけで、ちゃんとしたオムライスですよ」 そこでAさんは、オムライスを返品して別のものを注文したかというとそうでもなく、ウェイトレスがケチャップを持ってきてかけてくれて事なきをえた。 人によってもどっからどこまで
どうも、BS-68です。 以前の書き込みで、ご丁寧なお礼をいただいてありがとうございました。 前回のは特に私見だったのであくまでこういう考え方をしてる人もいるんだ~程度に留めて下さいね☆ 今回もお邪魔させていただきます。 今回は「分かる」ですか。 kaitaradouさんは、なかなか私が思いつかない視点から色々物を考えておられるようで尊敬します。 実は、今回の質問分を読んでピンとこなかったので、回答は控えさせていただこうと思ったのですが、#1さんの書き込みを見て、思い出したことがあるので書き込みさせていただきます。 「分かる」と言っても、「解かる」・「判る」といくつかありますので、「分かる」という語源が認知心理学と結びついてくるか、という事に関しては私からは何とも言えないので控えさせていただきます。 しかし、そのものの意味の「わかる・理解する」という脳のメカニズムからは何かお役に立てるアド
マイスターです。 ちょっと面白い報道を見つけましたので、ご紹介します。 【教育関連ニュース】—————————————– ■「過疎の島活性化に『求む!博士』…島根・海士町で募集開始」(読売オンライン) http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20071206i502.htm ———————————————————— 若い博士たちの力で、過疎の島の活性化を――。日本海に浮かぶ隠岐諸島にある島根県海士(あま)町が、科学技術を活用して特産の魚介類の付加価値を高めたり、環境教育を推進したりする「博士」の募集を開始した。 8日には、町の代表が都内の理系学生向け就職セミナーに出向き、博士たちに職員への応募を呼びかける。博士号を取得しても就職できない「博士余り」が深刻化するなかで、新しい活路としても注目される。 同町はこれまでも、島外から研修生を受け入れて特産品作り
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
こんにちは。みなさんは「Twitter」というツールをご存じですか?ブログやmixiと違って、短い言葉をじゃんじゃん入力し、「そのリアルタイム感が『電車男』みたいで最高!」と好評の、アメリカ産のたった4杯で夜も眠れない電子黒船です。 しかし同時に「炎上促進ツール」と恐れられているのも事実。問題点を一言で言うと、「気軽に書けてしまうので脳内情報が流出しているのに等しい」ということだと思うのですが、以下、なぜこんなにTwitterが恐ろしいのか、ココロ子さんに登場していただき、考察していきたいと思いますので、熟読されたのち、注意して行動していただければと思います。 (1)家に居ながら「パーティでひとりぼっち」を体験できる! 誰もが体験したことがある「パーティでひとりぼっち」。あまり知らない人達の輪の後ろに立って、静かにかつ適当にうなずいて、結構時間が経ったかなと思って時計を見ても5分も経ってな
先日、ミニブログサービスはてなハイクがリリース。いつもだと、Hatena::Haikuとなる感じですが、今回はちょっと違ってかわいいデザイン。Hatenaの「a」の笑顔は「人」をあらわし、Haikuの「a」のドットは「キーワードの集合体」をあらわしてるつもりだったりします。 棒のようなパーツが組み合わさってできているタイポは全然俳句っぽい感じではないのですが、これは元々サービス名が変わったりして色んないきさつを経てロゴはそのまま引き継ぎました。そんなこんなもあり、一応全アルファベット考えてみたりもしていました。 ミニブログといっても、文章ではなく、絵も描けるので、まだサービスに触った事ない人はよかったら、どんなサービスか遊んでみてください。
動機音痴の全体像 ADHD友の会(必然性と能力) - phaのニート日記 そして梅田望夫さん的な「好きを貫け」という話に繋げると、そのとき本当に自分が必要としているものを、「好き」だと感じるように人間はできているのではないかと思う。そして好きを貫くのが難しいのだとしたら、それは自分にとって何がそのとき本当に必要なのか、を見極めるのが難しいということだと思っています。 (そういう考え方がすごくADHD的だという気もするけど・・・) 「ADHD」は医学的概念なので、以下では「動機音痴」の比喩を使いましょう。動機音痴というのは、動機を形成する能力の弱さを、方向音痴に見立てています。迷って目的地に辿り着けない、あるいはそもそも目的地がどこか分からない。これでは抽象的なので、次に動機音痴の具体的なイメージを描いてみます。 動機音痴の人間像 「したいことはできない、できることはしたくない*1」という状
監視カメラ付けて子供にGPS携帯持たせてるような「不安」な人々には、「金が勿体無いからやめろ」で良いんじゃないかという話。(12/18 文章下段に追記) 以前実家に帰ったときに母親と話していたら、件の「少年犯罪神話」―少年犯罪は近年増加していて、凶悪化しているという神話―及び「外国人犯罪神話」に見事に染まっていて愕然とした覚えがある。 しかしそれらが「神話」だという言説は、ちょっと社会科学系の言説に触れていれば耳にしそうなものなんだけれど、逆に触れない人間にとっては全く知らない話なんだなということを痛感した。多分これはうちの母親に限った話ではなく、世間の大多数の認識なんだろう。 そうした「神話」に基づいた認識から、やれ監視カメラだやれ子供にGPS携帯だやれ厳罰化だという「現実」が生産されるのはちょっとおかしいんじゃないか。そう思って「神話」の解除をしようと、統計を精査したり確率論的展開をし
いま(17日未明)、ボケ~とテレビを眺めていたら、たまたま入ったNHKアーカイブスで中学生日記をみた。 タイトルは「いじめ うちの子にかぎって」。女子生徒間のいじめを扱った内容で、放送は1996年(平成8年)6月30日だから約10年前。 ちょっと、興味深い場面があった。 いじめを首謀していた女子生徒を確認した担任が、保護者を訪問する。記憶頼りなので正確ではないけど、だいたい以下のようなやりとり。 担任「お嬢さんがいじめをしていまして」 母親「人を傷つけるような教育はしていません。何かの間違いでしょう」 担任「いえ、きょう、お嬢さん本人が認めました」 母親「誰かにそそのかされたんですっ!」 担任「いえ、そそのかしていたのがお嬢さんでして…」 驚きを隠せず、父親と目を合わせる母親。 というような感じ。親馬鹿な馬鹿親だけど、我が子を信じたいのは親の心情だし、人間は利己的なので、まぁ
土曜の朝、電車に乗っているとき、すぐそばに親子が立っていた。男の子は、お母さんと外出できるのが嬉しくて仕方ないって顔で、お母さんの足に乗っかったり腕をひっぱったりしている。いたいいたい、といって笑いながら、その子のお母さんは「そんなひっぱったら、ママの手とれちゃうよ。もうママごはん作れなくなっちゃうけどいいの? ○くんもうママのごはんたべれないんだよー」みたいなことを、言って、そういうのって親子によくある会話といえばそうなんだけど、男の子がお母さんにギュッと抱きついて「やだ! おかーさんのごはんたべたい」と言ったのには、だいぶぐらっときてしまった。「ひっぱってないからね」と言いながら、もういちど手をつなぐ。窓のそとを見ながら、なんども振り返って、お母さんの顔を確認する。ああちゃんといる、っていう、ほっとした顔を、私は見ていた。 → わりと、ちょっとしたことでかなしくなったりうれしくなったり
私は思っていること、考えていることをほとんど自分の中で処理してきた。悩みも人に相談せず、一人で考えて答えを出す。特にマイナスの気持ちに関しては出来る限り表に出さないようにしてきた。それを表現したら、誰かに伝えたら、弱みとして誰かに握られるかもしれない。それが怖くて、嫌だった。 それから、好きなことやハマっていること、興味のあること等もあまり人には話さず、ひとりで行動してきた。ピアノを弾いても誰かに聞かせるわけでもない。イラストを描いても、誰にも見せずそのまま。同じものに興味を持っている人が身近にいても、そういうものには興味ないフリをしていた。自分のやっていることはあくまで個人的なことで、人に見せるようなものじゃない。気楽にやっているのに人に教えたら、人からの圧力や視線が加わり耐えられなくなるんじゃないか。そう思っていた。 だが、こうやって何もかも自分ひとりだけのものにしてばかりいることの方
コメント欄、もしくははてブ欄に否定的な意見を書かれた場合の「どうぞ過去ログをお読みください」 意訳:ちゃんと読んでないくせに、しったかすんな。ちゃんと読め! この文盲!」 コメント欄に共感コメントが書かれた場合の*1「どうぞ過去ログもお読みください」 意訳:この記事に賛同していただけるんでしたら、こちらの記事も楽しめると思いますよー」 好悪の違いで対応は随分と違ったりする。 なんだこのやろう! と思った時は過去ログ読まずにブコメに反論書いたりするが、おもしろい記事に出会ったら、過去ログも読んでみたいと思ったりする。 だって、人間だもの。 *1:はてブでは見かけづらいかな?
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