この間スーパーへ水を汲みに言った。あの、最近あるじゃんな。会員になるとペットボトルさえ買えばタダでもらえる奴。この間、俺がいつものようにそれをセットしてると、隣の機械の前で、なんか女の子が悪戦苦闘してたのね。で俺は何度もここに来たことがあるんでピンときた。その2号機は結構前からめっちゃドアが固くて、一度閉まるとなかなか開かんのよ。開けるのにはちょっとコツがあるんだけど、多分この子はここ初めてなんだろうなと思って、俺的には信じられないことなんだが、なんか声かけちゃった。かけたっつっても「あ、そのドア、固いんですよ」とか言っただけなんだけど。俺も最初はそのドア開けるのに苦労したもんでなんかぽろっといっちゃったわけ。非モテ的にはこんな言葉言うことすら正直俺よくやったみたいな感じでレベル低くて申し訳ないんだけどとにかく言ったわけ。 「あっ、そうなんですか」 「コツっていうか、開けるにはここをこうい
趣味が共通の友人は趣味が変わればどうなるのか 断片部 - 月の船 - やがて悲しきコウモリ達を思い出したので。 心から「趣味」を共有しあえて楽しめる友人にはいまだに巡り会えていない。 一生のうちに巡り会えるかどうかもあやしい。 (中略) 「首都圏or他の大都市圏在住」 「メインだろうがカウンターだろうが人口の多い趣味持ち」 この2つを満たしていれば、「同じものを共有できる友人」との出会いはかなり得やすいんでなかろうか。 仮に趣味を共有できる友人ができたとしても、趣味ってのは時間経過とともに、 大筋では同じ趣味でも細かいところは変わってくるものじゃないかと思うんですよ。 例えば「○○という漫画が好き」で友達になった2人が、 「漫画が好き」というのは変わらなくても片方は「××という漫画が好き」になり、 もう片方は「△△という漫画が好き」になって、 2人では漫画の話をしなくなっていく、という感じ
愚痴にちょうど良いかもしれないので匿名ダイアリーを利用してみる。 自分はぬるいヲタで非コミュで、ヒッキーじゃないけどほとんど外に出ない。外がまったく怖くないというのは嘘になるかも。 数少ない地元の友人たちは散らばって、最終的にメッセンジャーとかでつながってるのはイタい人間だけ。ちなみに地元の友人にヲタと言える人間はいなかった。田舎であまりツールが無かったってのもあるかもしれんが。 ただその中でアニメとか観る奴がいるんだけど、そいつが俺とは違ってコミュ系。 小さい頃からかなり社交的で、軽い人間というのとも違うんだけど、かなりテキトーな奴。 どちらかといえば几帳面(ネチっこい)なヲタである俺からすればかなり嫌なことなんだけど、アニメとかを1日で数十話とか平気で観て(俺にはそんな集中力ない)「あの作品は良かった」とかって”分かる奴ぶる”性格だから困る。 ちなみに作品の細かいところとか聞くと「あん
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
suVeneのあれ:本当の友達 あいつは親友?あいつは友達?あいつは知り合い? 考えたこともあった。確かに。 気軽に飯に誘えるのは知り合いじゃなくて友達か? 本音をさらすことができるのが友達じゃなくて親友か? なんてね。 そんな線引きは違うなと思うこの頃。(この頃ってわけでもないが) というか,勝手にそんな線引きをするもんじゃないと思う。 線を引いているのは,自分が勝手に線を引いているだけ。 飯に誘う,本音を晒すことができる勇気が自分にあるかどうかだけ。 俺友達少ないんだよねーっていうやつは, 自分で人を誘わないから。自分の内面を開かないから。 こいつは友達なのか本当の友達なのかというのは, つまり自分がどうしたいか,っていうだけだ。 大して仲の良いやつじゃなくても,こちらから心を開けば, 相手も嫌な顔せずに,真剣に向き合ってくれるだろう。 それで”話が合わない”とか”考え方が合わない”っ
2007年07月04日 本当の友達 本当の自分、本当の幸せ、本当の友達…… 今考えればなんとも青臭い話ではあるが、真剣にそれらの事について考えた時期があった。 同じようなことを考えたことがある人、こんにちは。 なかった人さようなら。 その中でも、俺が幼き頃(10歳~15歳程度か)とりわけ真剣に考えたのは、「本当の友達」問題だった。 思い起こせば、「友達」というものは何なのか?という問いから始まった気がする。 何故このようなことを考えるようになったのだろうか。 そもそも俺は、遊ぶ友達がいないというタイプではなかった。 寧ろ、積極的に発言し周りを笑わせたりすることが好きだった(悪く言えば仕切りたがりでもあった)訳だが、ふと虚しさを感じていたからなのかもしれない。 では、何が虚しかったのだろうか。 さすがにその原因を客観視することは、昔のことだという理由と、自分自身のことだという理由で難しいのだ
みなが納得するようなフェアな道理を筋道立てて女性に説いて、上手くいかず、 女は非論理的だ とか、 女は愚かだ と結論づける男性をときどき見かけます。 しかしこういうとき、 間違っているのはたいてい男の方 なのです。 男と女が揉めるのは、たいてい利害と感情の調整が上手くいっていないときです。 そしてそのとき男性が、その利害と感情のこじれを修復するために持ち出す理屈というのは、 「みなが納得するようなフェアな道理」 です。 男ってバカですねー。 そもそも道理というものは、長い人類の歴史のなかで、利害と感情の調整をするために生まれ、使われてきたものです。 利害と感情が完全に調整されていれば、そもそも道理などというものは必要ないのです。 多くの社会人男性は、職場や取引先でたくさんの人間の思惑、感情、利害が複雑に絡み合った状況を乗り切るために、 「誰もが納得せざるを得ないような、筋道だったまっとうな
とても歯切れの悪いことを書きます。 承認されることにより得られるものは多い。 非コミュは誰かに承認されれば、非コミュであるカルマから多少なりとも救われる。 しかし、問題は相手からの承認は望んだだけでは得られないと言うことだ。 よこせ、よこせと言われたところで得られるものではない。 妬んだところでもらえるものでもない。 誰かを攻撃しては更に承認は遠ざかるばかり。 こんなことを書くと承認が簡単に得られるんだったら、非コミュはやってない!という反駁も当然起こるでしょう。 では、承認を得られている人はどうして得られたのでしょう? 楽に得られた人もいるでしょうが、それなりの代価を支払って得られた人の方が多いと思います。 まずは代価を支払うことが大事です。 お金を持って行かずに物を売ってくれるところは限りなく少ない。 それと同じです。 今、非コミュと名乗っている方々が誰かとコミュニケーションを取ってい
・最上級は、助ける行動をする本人や加害者をもふくめた誰一人、何一つとして傷つけることなく”助ける”を行動できること、です。 ・次が、助けるという意思を持つこと。 ・助ける意思を持たないこと。 ・助ける意思を貶す。 ・他人を傷つけようという意思を持つ。 こんな感じが、私の善意悪意の価値観です。しかし、一番上の行動というのが、一番難しいのに、あまり評価されないのです。なぜならば、”何もおこらなかったことと同じ”だから。 星の旅 - ぼうりょくをふるうこと。 これから出かけようと思ってたけど、こちらの記事読んで、ちょっと思い出した話があるんで、ちょいと思い出話。 pal-9999の日記 - スクールカーストと中間層の憂鬱 こっちのエントリで、こないだ、女性の中層スクールカーストの話をしたけど、今日は底辺の女性の話なんだけどね。 僕の中学校時代の話なんだけど、僕の学校生活の思い出の中で最悪の思い出
常に孤独と隣どうしの高校時代が終わり また心許せる友達のいない日々を送るのかと 絶望しかかる気持ちを振り切り賭けに出た 決死の覚悟で声をかけた3人のひとり 最初は他の友達と一番仲が良かった 4人で入ったサークル活動の傍らで いろんなことを話すうち仲が深まっていく 価値観が似ていて抱えてる悩みも似てる 文章を書くのが大好きなのも同じ そして周囲の友達への疑問や不満でさえも 謝恩会にはふたりだけ出ずに語り合った しかし就職してしばらくしてのこと ある日ぷっつり連絡が途絶える 彼女から拒否されていることを知った ワタシがいい加減で自己中心的すぎたのだ それだけならまだしも全く自覚のないままに 彼女にとってはどうしても許せないことを してしまっていたという事実を後で知る 卒業するとき ワタシは彼女以外の友人を捨てたつもりでいた けれど彼女はワタシも一緒に捨てていたのだ ショックだった そして愚かな
俺こんな幸せ者だったんだな。 これを読んだ時に思った。 彼が一番幸せなのは自分が幸せだと気づいたことと、感謝の気持ちを持てたこと。 もし、彼が「自分は今可哀想な目にあってるんだから、優しくしてもらって当然だ」と思ってたら、彼は今の幸せをかみ締めることはできなかったと思う。 「優しくしろ」と強要する人 今、私のそばには「優しくしてもらって当然」の人がいる。 彼女は、いつも自分の病歴を持ち出して同情を買おうとする。 私を構って、優しくして、とまとわりつく。 *1 自分は優しくしてもらって当然だと思っているので、毎日は「優しくしてくれない人*2に対しての愚痴や不満」で埋まる。 病気*3であることはかわいそうといえば、かわいそうなんだとは思う。 ただ、それを理由を自分のしたことの免罪符にしたり、優遇させるための手段として使い「続ける」ことはあんまりいいことだと思わない。 俺こんな幸せ者だったんだな
(息子を亡くした母親)「息子の障害児の命って何なのでしょうか?命の尊厳どころか生きている価値さえないと言われているようなものです」 2005年8月、重度の障害を持った男性がバスを降りた際、ヘルパーが目を放した隙に道路へ飛び出し、乗用車にはねられ死亡した。当時17歳の長男に対して、運転手の保険会社が示した賠償額は意外なものだった。「逸失利益」、つまり、長男が生きていれば、将来に得られたはずの収入を「ゼロ」と算定したのである。長男には重度の障害があり、仕事はできないということが、その理由であった。 長男の両親は、命の対価とされる逸失利益が、障害者という理由でゼロなのは明らに不当、差別だとして、加害者の運転手らを相手取り、同年代の健常者と同じ逸失利益を含む、およそ7300万円の損害賠償を求めている。息子を亡くした長男の母親と、弁護士は被害者の労働能力を重視しすぎる、今の損害賠償額の算定方法に問題
http://anond.hatelabo.jp/20070314201650 ネタにマジレス、って言われてしまいそうなのだけれども。 何ヶ月か前に、披露宴で紹介するプロフィールを作るために小さい頃からの思い出や「どんな子供だったのか」を司会者やプロフィールビデオを作る人の前で語る機会があったのですが、僕の小学生から高校生までって、まとめてしまえば「本読んでマイコンいじってゲームしてそれなりに勉強して、はいおしまい」って感じだったんですよね。そりゃあ、実際にその時代を生きていた頃には、マラソン大会イヤだったなあ、とか、転校して最初の頃は周りと合わなくて辛かったなあ、とかいろいろ感じて必死に生きていたのですけど。 生徒会の役員になったわけでもなく、女の子とドラマチックな出会いや別れがあったわけでもなく、その一方で、万引きをして補導されたこともなく(そういえば、ゲームセンターで警察の手入れに遭
これまで何度かあちこちで書いたことがあるが、こんな娘を産んだワタシの母*1は、実は人並み外れたコミュニケーション能力の持ち主だ。身内の欲目で言うわけではない。彼女を知る者は誰もが同じようなことを言う。他に特別取り柄があるかといえばそうではないが、そのことだけに関しては、本当にスゴイのだ。 ワタシは高校時代、いじめられてはいなかったが心を開いて仲良くできる友達がほとんどいない時期があり、あまりにも学校が面白くなくて早退、欠席を重ね、挙句には中退しようとまで思い詰めたことがあった。そんな時期に毎日のように母から言われた言葉は 「あんたは自分をよく見られたいと思いすぎて、構えてしまうから逆に人も取っ付きにくく感じるんだ。誰からでも好かれようなんて思わなくてもいい、もっと地を出せ。出したって誰からも嫌われることはない。」 それは親の欲目じゃないのか。とも思ったし、そう言われても別に自分の中に「地を
・他人が愚痴を言ったり弱音を吐いたりすることに対して「甘えるな」「大変なのはお前だけじゃない」「お前などまだ恵まれている」 他人のみっともなさや至らなさに対してむやみに厳しい。自分にも厳しいのかもしれないが、自分にだけにしといてほしい。・「自分(もしくは自分の知っている人)はこうやってきた」→「だから他の人だってできるはずだ・やるべきだ」→「できてない・やらない人は甘えている」・「他人や社会の批判ではなく自分が変わるべき」。たしかに何でも外部のせいにばかりしているのはみっともないが、行き過ぎると「嫌なことが起きるのはあなたの心がけが悪いせい」に限りなく近づいてしまう。・(ひとの生き方・選択について)「(××が基本だけど)○○もあっていいと思う」…これは私もよく使うかも(汗)。そもそも人の生き方なんて誰かが許可するもんじゃない。・「自分は気にならない」→「問題は無い」→「気にしている人はおか
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