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ブックマーク / zeromemory.sblo.jp (85)

  • suVeneのあれ: ここのブログは終了です。

    2009年01月11日 ここのブログは終了です。 ここのブログは終了です! posted by suVene at 00:17

  • suVeneのあれ: 「マイミク整理宣言」について考える

    2008年09月10日 「マイミク整理宣言」について考える ごくたまーに見かけるのだが、「マイミクを整理します」という宣言の元、マイミクを解除したりしなかったりする人がいる。 はじめに断っておくが、それが悪いだとか、いちいち宣言するな、という話では全然ない。 では何かというと、それを先に宣言して行うということにどういう意味があるのだろう?、と、妄想してみるというだけである。 というのも、俺の場合はどれだけ最近交流がなかったり、足跡が付いてなかったりしても(そもそもあまり日記を書いてないので、足跡やコメントがあるわけがないが)、いちいち「マイミクを解除しよう」と思うことがない。理由は、悪い言い方をすれば、特に邪魔になるわけではないし、自分に少しでも関連ある人のフィードリーダー的な意味で繋がりがあっても、全然気にならない。 まず、数少ない観測の中で(3~4度くらいしかマイミクの中では見たことな

    hatayasan
    hatayasan 2008/09/11
    何も言わずに切ると険悪な印象を与えるから?
  • suVeneのあれ: 読者なんて勝手なモノです

    2008年08月05日 読者なんて勝手なモノです 記事のカテゴリーが偏ると閲覧者に文句を言われる - ARTIFACT@ハテナ系 を読んで思ったこと。 それは読者、というか、どこぞの人物やら文章やらに興味を持った第三者というのは、えてして勝手なモノだろう、ということだ。(当然自分も含めて) 最近、中島聡氏のブログでは、自身が運営しているPhotoshareの話題が多い。気に入った写真などの紹介も多いのだが、そうしたらその記事でこんなコメントが。 最近、この手のエントリが続いていますが、そもそも技術系のエントリに興味があって、RSS 購読を始めた私としては、RSS 購読の継続をためらってしまいます。 RSS リーダの時代になって、更新が長期間滞る事は一向に構わなくなったので、技術系エントリだけ RSS を別に分けてもらうような事は出来ないでしょうか? Posted by: Otchy | 2

    hatayasan
    hatayasan 2008/08/06
    書きたいという思いよりも、読んでもらいたい、伝えたい思いが更新のモチベーションになると、ゆくゆく窮屈になっていくのだろうか。
  • suVeneのあれ: 「共感」とは何か

    2008年07月07日 「共感」とは何か 普段から俺は、書き手の価値観とは異なる意見を述べても、ネガティブコメントだとは思わないし、否定的意見や批判的意見に関しても同様だ。逆の立場(俺が書き手)だとしても、色んな意見があるんだなぁくらいに思うことが多いはずだ。たぶん。 まぁ、それは置いておくとして、だからといって「共感」がまったく無意味だとか不必要だなどとは考えていない。寧ろ「味方」を増やすためには有効な手段なんだろうと考えているし、「否定」は「敵」を生みやすいというふうにも考えている。そこまで打算的な損得として掘り下げなくとも、普段の交友関係などにおける「共感」はコミュニケーションを円滑にする上でも欠かせないものだろう。 んな訳で、今回は否定的意見や批判的意見や異論・反論の話ではなく、「共感」について考えてみる。まぁ、異論・反論などの二項対立として「共感」を持ってくるところが、水掛け論に

    hatayasan
    hatayasan 2008/07/07
    「共感すること」を目的にコミュニケーションをしたことはないなあ。心の間口の広さや余裕によって機会を得ているかもしれないし、逆に失っているのかもしれない。
  • suVeneのあれ: 「何故ですか?」「理解できない」に潜む否定的意味

    2008年03月25日 「何故ですか?」「理解できない」に潜む否定的意味 よく俺はネット上の文章におけるコミュニケーションで、「何故ですか?」とか「○○が理解できない」という事を書くわけだけれども、それを「主張に対する否定」という意味と解釈されることがあるから、一応気をつけているよ、という話。 質問としての「何故」、否定としての「何故」 まず、「何故?」にも二種類の意味があると思われる。 それは、質問する側が、「自分が正しいと思う主張と異なる」と考える時に発せられる「何故」と、そうでない場合に発せられる「何故」である。 前者の例を挙げると、目上の人間が目下の人間(母から子や、上司から部下、など)に対して叱咤の意味で発せられる、「何故そんなことしたんだ!」「あなたのやったことが理解できない!」といったものがあるだろう。この場合の「何故」や「理解できない」には、明らかに「叱咤される側の方法は間

    hatayasan
    hatayasan 2008/03/26
    否定の「なぜ」と純粋な疑問の「なぜ」について。関係がまだ浅いうちに疑問を発するときは文脈によっては誤解されることがありそう。
  • suVeneのあれ: 「表現」するということと、その「読者」

    2008年03月18日 「表現」するということと、その「読者」 どんな記事を読みたいでしょうか?お答えくださった方に、はてなポイント差し上げます(全体で計500P) - ヘボメガネ一進一退 http://d.hatena.ne.jp/hebomegane/20080317/1205724829 を読んで。 リンク先の内容は、「読者はいったい何を求めているのか」ということなのだが、これを読んで最初に思ったことは、「著者はいったい何を求めているのか」だった。 ブログを書く目的とは何か 人によって、ブログを書くこと。すなわち、文章によって表現する意味というのは様々だろうが、俺にとってブログを書くことをいうのは、技術的な話は別として、自分の意見に対する反応をみる事が一番の目的であると思う。反応をみてどうするのかといえば、自分の意見との差異を考えたり、自分にない視点を参考にしたりしている。 そういっ

    hatayasan
    hatayasan 2008/03/18
    記事よりも人に興味を持ちたいし、持ってほしいと思う。
  • suVeneのあれ: 「感覚」と「理屈」

    2008年02月26日 「感覚」と「理屈」 「感覚」と「理屈」が、かけ離れているということは、よくあることだと思う。理屈の上では、「A という手段が合理的」だとわかっていても、自分の「実感」からその方法を取れない場合などだ。 少しわかりにくいかもしれないので、具体例を挙げると、 (感覚)コミュニケーションに対して、「上手くいきっこない」と悲観的である。 → (理屈)上手くいくかどうかは、やってみなければわからない。 (感覚)過去の行動に対して、執着して考え込んでしまう → (理屈)済んだことは取り返しようがないので、重要なのは「過去の失敗に対して、どういう行動を起こすか」である。 などというような、「理屈の上ではわかっているが、実感としてそうでない」場合などだ。 (例に挙げたのは、「ネガティブ」な実感に反する理屈であるが、逆のパターンもあるかもしれない) このような、「感覚」と「理屈」の齟

    hatayasan
    hatayasan 2008/02/26
    「「内面の吐露」のような表現に対して、いわゆる「理屈」で対応することは、すれ違いになりやすい」その人は何が言いたいんだろう、と一呼吸置いて考えてみればいいのかも、と思える。
  • suVeneのあれ: お前は敵か味方か

    2008年01月10日 お前は敵か味方か 炎上、というか、人が集まってきて熱中しやすい話題というのが幾つかある。 その内容は、政治、宗教、差別といった社会的に大きな問題から、好きな歌手や、応援している球団、のような、まさに「自転車置き場」に代表されるような身近な問題までさまざまだ。 で、今日はそれらの中のひとつの話という訳でなく、それらの議論をしているときにかなりの割合で発見できることができるタイプについて書いてみる。どういうタイプかといえば、タイトルどおり、「お前は敵か味方か!?」という視点を固持しようとするタイプの人のことである。(自分だけ固持するどころか、相手にもそれを望むタイプ) 以前、私は mixi のとあるコミュの「分煙について」みたいなトピックで、取り交わされる議論を見ながら、自分の意見を何個か投げたことがある。その際、自分が喫煙者か非喫煙者かを特に明記せずに、質問をしたりし

    hatayasan
    hatayasan 2008/01/10
    議論の立ち位置とか。どちらにも与しない「中立」って立場を表明することって、思いのほか難しいと感じる。
  • suVeneのあれ: SBM上におけるネガティブコメントについて

    2007年12月11日 SBM上におけるネガティブコメントについて すちゃらかな日常 松岡美樹 私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由 こちらのエントリで、ネガティブコメントの具体例として、俺のコメントが引用されていた。 (「私は書かないコメント」と峻別して書かれている可能性もあるが) 引用された部分は 【モデルケース1】 以下は、私のアスキー連載『信頼できる「場の空気」はいかにして生まれたか? 「発言小町」に見る読売新聞社のCGM観(後編)』にいただいたsuVeneさんのブクマ・コメントである。 「んで、いかにして生まれたんだ」 すちゃらかな日常 松岡美樹 私がソーシャルブックマークにネガコメを書かない4つの理由 の強調の部分なのだが、これがネガティブだかそうでないかは置いておくとして、松岡さん(引用元の人)の定義するネガティブコメントというのはどのようなものなのか見て

    hatayasan
    hatayasan 2007/12/11
    SBMのコメントを意見を交換するきっかけとするか、それで完結させるかあたりの意識の持ちようで解釈はまったく変わってくるのではないだろうか。
  • suVeneのあれ: “「うわべだけ規則に従って、規則違反はコッソリやるべし」という規律は、「健全な社会」にとって極めて重要である。(炎上と、<他者>のメンツを立てること) - 草日記”を読んで

    2007年12月05日 “「うわべだけ規則に従って、規則違反はコッソリやるべし」という規律は、「健全な社会」にとって極めて重要である。(炎上と、<他者>のメンツを立てること) - 草日記”を読んで 視点としては面白いのだが、「私たち」という単語の元に、「大して悪くない(と、筆者が思う)こと」を目の前でやられると、「メンツが立たない」という一方向の視点としているところが、どうも納得できない。 <たいして悪くないけど悪いこと>がコッソリ行なわれているうちは、私たちはそれを黙認しうる。だが、それが大っぴらに行なわれれば、私たちはそれを見過ごすわけには行かない。メンツを潰されてはたまらない。 「うわべだけ規則に従って、規則違反はコッソリやるべし」という規律は、「健全な社会」にとって極めて重要である。(炎上と、<他者>のメンツを立てること) - 草日記 まず、「コッソリ行う」事についてだが、これは<

  • suVeneのあれ: 「非コミュ」について

    2007年11月20日 「非コミュ」について 「非コミュ」という意味 「非コミュ」という単語があるのだが、言葉の解釈を勘違いしていた。というか、混同してた。というか、よくわかっていなかった。まぁ、その話は一旦置いといて、まず「非コミュ」という言葉の意味とは何だろうか。はてなのキーワードではこう説明されている。 所謂「コミュニケーション能力」において劣っていると判定され、またそのために、「コミュニケーションの舞台」にあがる意欲が減衰し、所謂「コミュニケーションの舞台」から退却している人。 非コミュとは - はてなダイアリー 要するに、他人とコミュニケーションするという能力的に「外面」から見て劣っているという意味合いである。ただし、以下のような参照が張ってある。 注:ただし、昨今の議論(2007年4月現在)における非コミュはオレ理論グループの定義において語られるケースが多い。 非コミュとは -

    hatayasan
    hatayasan 2007/11/20
    「非コミュ」と「否コミュ」を区別する必要性について。
  • suVeneのあれ: 「ほのめかし」についての考察

    2007年11月17日 「ほのめかし」についての考察 ほのめかし、或いは思わせぶりな発言について考える。 ここで言うほのめかしというのは、例えば「あの人がいうアレは、こういう意味だよね」のような、固有名詞や事象を特定するようなことを避け、背景や成り行きをある程度知っている人に向けた発言のことである。言葉というのは、自明の前提として何らかの意味を含んでいるものだが(それが伝わるかどうかは別として)、その意図を明らかに表出させず、「わかる人にはわかる」ようにする発話のことである。「ほのめかす」ということ自体は、肯定的・否定的という方向性とは別であり、また、意識的・無意識的な選択とも別であるのだが、共通することは「秘密」にしたいという意志の有無ということにしておこう。 で、「ほのめかす」ことが多く使われるのは、やはり言及対象に対して何らかの否定的な意見・意図を含むときだ。いや、多いということもな

    hatayasan
    hatayasan 2007/11/17
    伝えたい人に伝わればよいことを符丁のように書き記すときに「ほのめかす」ということばを使っているような気がする。ほのめかしあうことでその場での関係が強化された錯覚に陥ることはたしかにある。
  • suVeneのあれ: 「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応について

    2007年10月04日 「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応について ブログ上のエントリや、誰かの話に対して「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応はよくあることである(俺もよくいう)。そして、その「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応は、合理的な解決という意味において一理ある場合も多い。 しかし、自分も含めて注意しなければならないのは、その反応の対象が「~~すれば(しなければ)よいのに」ということを理解した上で書いているのではないかということだ。または、どのようにして解決すればよいかというような視点で書いていないという可能性だ。つまり、自分の中にある葛藤や心理を聞いて欲しい、見てほしい、そしてできれば理解して欲しいという為の言語化である。 具体例を挙げると 人と話すのが恐い〇〇のブログの内容が・△△のコメントの内容がむかつく上司がむかつくし会社にもウンザリ などと

    hatayasan
    hatayasan 2007/10/04
    かまってビームを嗅いだような記事は、読んでもスルーしちゃえばいいのに。
  • suVeneのあれ: 「釣り」について

    2007年10月02日 「釣り」について 「釣り」についての個人的な態度など ウェブ上の文章などを読んでいて、あまり一般的ではない、どちらかといえば過激な言葉使いの文章があったりすると、その反応でよくみうけられるのが、「はいはい、釣り釣り」というような反応がある。 というか、俺自身も「これは釣りだろう」という反応をすることがあるわけだ。 じゃぁ、俺はどんな時に「釣り」というのかと考えてみたところ 明らかに間違った(と俺が判断・解釈する)前提のもとで大袈裟な極論を展開している時 などが多いようだ。 実際気でその著者がその論を主張している場合に対する、揶揄的な意味合いを持つタグ付けな場合もある。 来俺が期待する「釣り」というのは、過剰反応を期待したツッコミどころ満載の文章の中にも、実はロジック的な解答が忍ばせてあったり、叙述トリックであったりというミステリ小説的な何かや、どこかに笑いやユー

    hatayasan
    hatayasan 2007/10/02
    先入観や予断を一切排して文章を読み通すことは、意外に難しいのかもしれない。
  • suVeneのあり: ハテナスター設置してみた

    2007年09月10日 ハテナスター設置してみた はてなスターバージンは俺が頂く。 ちなみにアイコンは、蟻の巣(観賞用)と蟻だ。 マイナスさんに作ってもらった。ありがとう。 手動で2500も押してるバカモノがいる。(+サブアカで 120)→ ustreamグループ - ゆにっき - 2007-09-10 posted by suVene at 22:34

    hatayasan
    hatayasan 2007/09/10
    少しだけ参加してみた。
  • suVeneのあれ: [ldr]レート管理のすすめ

    2006年09月10日 [ldr]レート管理のすすめ RSSリーダーの話。 livedor Reader(LDR)には、タグをつける機能はないが、Amazonのような☆5つでレートをつける機能がある。 で、効率よくエントリーを読む方法として、最近ではレート管理を活用している。 つい最近まではフォルダ毎に整理していて、それはそれで特に不便は感じていなかった。寧ろ Feed 毎にレートを設定する方がメンドクサイと思ってた。(全部で250フィードくらい) んで、更新されているフィードの一覧を見ながら、タイトルを見て 入念にチェックしたり、軽く読み飛ばしたりしていた。 しかし、フォルダってのは、大きなカテゴリで作ってるから、例えば「Programing」とかの中でも、面白いサイトとそうでないサイトがある。 そうすると、流し読みする時に 気にかけたいサイトと、そうでないサイトがまばらに並ぶ事になり、

    hatayasan
    hatayasan 2007/09/06
    タグでもフォルダでもない、レートという考え方。未読が多くても優先順位をつければ大丈夫。
  • suVeneのあれ: 他人を誉める時に感じる葛藤について

    2007年08月31日 他人を誉める時に感じる葛藤について 自分語りは好きではないといった記憶はあるのだが、どうも語りたくなったというか書きたくなったので書き留めておこう。(いや、時折書いてはいるけども) 私は誉める事が苦手である。 いや、正確には苦手なタイプがいる。 何故苦手なのか。 まず理由として考えられるのは、人を尊敬することで自分の劣等感を燻られるから、などということも考えられる。確かにそれもあるのだろう。しかし、全く自分に技能が無いことで、あまり興味がない事に対して、圧倒的な才能を見せ付けられた時でさえ誉めるのを躊躇うときがある。 実は理由はさほど難しくない。 それは、誉めた後の相手の言葉と感情が容易に推測できる時であり、またそういうタイプに向かっていう時である。 誉めた後無邪気に喜び、誉めたことに対して感謝の意を表し、誉められた事で好意にも似た親近感を抱かれるく事が想像できるこ

    hatayasan
    hatayasan 2007/08/31
    「相手から誉められることを期待する自分の厭らしさ」素直に"関心"→"感心"?
  • suVeneのあれ: Webcam なくても Ustream で Desktop 配信する方法(w2k/XP)

    2007年07月23日 Webcam なくても Ustream で Desktop 配信する方法(w2k/XP) まぁ、需要があるかどうかはともかくとしてそういう方法。 利用はあくまでも自己責任で。(いるのか?って話もあるが) ほかにもっといい方法があるかもしれないが、知らない。 (はまちちゃんは、ゲーム中の動画を綺麗に配信してたし。そのうち纏めてくれるかも? Twitter / はまちや2: @suVene なんか、ゲーム画面配信おまとめエントリ... ) 追記2 纏めたみたい。 ぼくはまちちゃん!(Hatena) - Ustreamでゲームとかデスクトップの実況中継 んで題だが、要するに webcam がなくとも仮想wWebcamな Tool があればよい訳だが、大抵シェアウェアだ。 んで暫く探してたらこんなソフトめっけた。 Virtual Desktop Camera for Sk

    hatayasan
    hatayasan 2007/08/13
    DesktopをUstreamで配信する方法。重いらしい
  • suVeneのあれ: [GreaseMonkey]PageConcater

    2006年11月03日 [GreaseMonkey]PageConcater 履歴 2007/09/30 AutoPagerize (swdyh)が素晴らしすぎるので、PageConcaterは公開終了 ver.0.10.0 ASCII.jp対応 ※通知記事 ver.0.9.0 2ページ目以降を直接開いた場合自動で1ページ目に飛ばないように仕様変更 ※通知記事 ver.0.8.0 AutoPager対応 ※通知記事 ver.0.7.0 ver.0.7.0 SAFETY JAPAN/日経BP社 / ITmedia +D ・ ITmedia News対応 ※通知記事 ver.0.6.0 @nifty:デイリーポータル Z対応 ※通知記事 ver.0.5.0 日経BP 総合対応 ※通知記事 ニュース/ビジネススタイル/トレンド/ライフスタイル/ネットマーケティング/セカンドステージ ver.0.

    hatayasan
    hatayasan 2007/08/11
    組み込んでみたら涙が出るほど便利だった。
  • suVeneのあれ: 本当の友達

    2007年07月04日 当の友達 当の自分、当の幸せ、当の友達…… 今考えればなんとも青臭い話ではあるが、真剣にそれらの事について考えた時期があった。 同じようなことを考えたことがある人、こんにちは。 なかった人さようなら。 その中でも、俺が幼き頃(10歳~15歳程度か)とりわけ真剣に考えたのは、「当の友達」問題だった。 思い起こせば、「友達」というものは何なのか?という問いから始まった気がする。 何故このようなことを考えるようになったのだろうか。 そもそも俺は、遊ぶ友達がいないというタイプではなかった。 寧ろ、積極的に発言し周りを笑わせたりすることが好きだった(悪く言えば仕切りたがりでもあった)訳だが、ふと虚しさを感じていたからなのかもしれない。 では、何が虚しかったのだろうか。 さすがにその原因を客観視することは、昔のことだという理由と、自分自身のことだという理由で難しいのだ

    hatayasan
    hatayasan 2007/07/04
    「少人数でも本音で語り合う機会などないというのに、人が沢山群れれば群れるほど表層の部分での付き合いが増える」人付き合いに煩わしさを感じることが増えると、濃密なコミュを考える機会は減っていったような気が