東京の板橋調理師会事務所の会長の紹介で、1982年7月、月給50万円の条件で初めて北朝鮮へ渡り、平壌の普通江ホテル近くの「安山館」の自身が設計した寿司屋で働いた[4][注釈 3]。招待所へ寿司を作るために出張した際に金正日と知り合い、握手もして顔見知りとなった[5]。金正日の好みは、マグロのトロの握りであった[5]。やがて藤本は10日に1日は金正日から声がかかり、呼ばれるようになった[6]。1983年の正月に一時帰国してうどんやそばの乾燥めんを仕入れ、それを振る舞ったが、帰国者たちからは大好評であった[6]。しかし、安山館の責任者と微妙に話の食い違いが生じ、本来ならば1年契約だったが、少し前倒しして1983年5月に日本に帰国した[6]。金正日は、藤本にマツタケの缶詰を土産に持たせた[6]。 1989年から金正日の専属料理人として仕えた。藤本の証言から、藤本が単なる料理人としてのみ仕えたので