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2010年6月6日のブックマーク (9件)

  • 根暗な報酬のこと - レジデント初期研修用資料

    ある日のテストが60点で、頑張って次回80点取れた子供がいたとして、その子はたぶん、「20点増えた」という喜びと、「20点分見下せる奴が増えた」という、根暗な喜びとを、報酬として体感することになる。 努力や頑張りの報酬には、明るく表明できるものの裏側に、必ず根暗な何かがセットになっている。人を誘ったり、説得するためには、もちろん「明るい報酬」を前面に出さないといけないのだけれど、報酬には、常に根暗な側面がセットになっていて、そのことに自覚的でないと、どこかで上手くいかなくなるような気がする。 「明るい報酬」は希望を生むけれど、「根暗な報酬」は、自意識の地盤を固める。脆弱な地盤の上に、希望のお城を打ち立てて見せたところで、お城が大きくなるに連れて、いつかは地盤ごと、お城が倒壊してしまう。 自尊心の不足で疲労する 新しい学問だとか、仕事を立ち上げるときにけっこう大切なのは、「そこで働く人が自尊

    heis101
    heis101 2010/06/06
    「報酬には、常に根暗な側面がセットになっていて、そのことに自覚的でないと、どこかで上手くいかなくなるような気がする。「明るい報酬」は希望を生むけれど、「根暗な報酬」は、自意識の地盤を固める。」
  • 「もてなし」の力 - レジデント初期研修用資料

    人を「もてなす」というのは、相手の動線を最小化するように、自らの振る舞いを、相手に見せることなんだと思う。 同じ仕事をこなすのに、お互いの仕事量が最小になることを目指してしまうと、それは相手から見ると「仕事の強制」であって、もてなしとは違う。たとえ相手の動線を最小化することに成功しても、それが相手から見えないと、単なる「便利」になってしまって、もてなされたという感覚が発生しない。 病院におけるもてなし 病院には、相手を「もてなす」構造というか、仕組みがたくさんあって、そういうものを上手に使うと、患者さんの印象を変えることができる。 ご家族に病状説明を行うときには、ご家族は最初、患者さんのベッドサイドで待っていることになる。病状説明を行うのは別の場所だから、距離があって、わずかな距離だけれど、この距離を、相手を「呼び出す」ことに使うのと、主治医が歩いて相手を「迎えに行く」こととで、印象は全く

    heis101
    heis101 2010/06/06
    「昔の「茶室」というものも、あるいはあれは、相手から「もてなしという手段」を得るための、一種の要塞というか、罠みたいなものとして読み解くと、面白いかもしれない」
  • むかつく人のこと - レジデント初期研修用資料

    自分の人間性に問題があると言われれば、これはもうそのとおりとしか言いようがないんだけれど、 いろんな人と喋ったり、何かをお願いする機会があって、「この人は使える」なんて感じる人と、 話していてもなんだか暑苦しいというか、「この人は使えないな」なんて感じる人とが明らかにいる。 誰かの評判が、医局で話題になることは滅多にないんだけれど、その人の使える、使えないという感覚は、 他の先生がたを見ていても、ある程度共通しているように思えて、その感覚は一応、 個人的な好き嫌いとは、異なっている気がする。 恐らくはたぶん、その人の「使える度」というものは、仕事の成果だとか、成功率なんかとは、事実上無関係なのだと思う。 どうしたってバイアスがかかる 当直をするときには、いろんな職種の人と一緒に泊まることになる。ものすごく気がつく人もいれば、 何かをお願いして、けっこうな確率でそれを忘れてしまう人もいる。

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    heis101 2010/06/06
    「お金を支払っても、空っぽのトレイが会計台に置かれている限り、お客さんには「自分のタスクがまだ継続している」というメッセージが伝わるから、あのトレイは、お互いずれを防ぐ役に立っている。」
  • できないことの使い分け - レジデント初期研修用資料

    選択枝だとか、できることの幅広さと、意志決定の速度とはトレードオフの関係にある。「それにできないこと」に注目することで、そのメディアの使いどころみたいなものが見えてくるんだと思う。 電話は便利 たとえば病棟で何か看護師さんに確認したいことがあったとして、看護師さんたちはふだん、ベッドサイドを歩き回っているものだから、確認したい何かを知っている看護師さんをつかまえるのは、けっこう難しい。 こういうときにはたいてい、ナースステーションにいる看護師さんに、目当ての看護師さんへの連絡を頼むんだけれど、そこから先は伝言ゲームだから、話がなかなか伝わらない。連絡がつくまでにまず時間がかかるし、その人からの返答もまた、自分が望んだ形式にならないことは、実際多い。 こういう状況で、ナースステーションから一歩外に出て、今まで自分がいたその場所に電話して、同じ要件を、電話を取った看護師さんにお願いすると、話が

    heis101
    heis101 2010/06/06
    「「返事がもらえない」という事実を作るのに、手紙というメディアは便利」「電話は、裏を返すとやるべきことが決まってしまって、こうした狭さが速さにつながっているのだと思う。」
  • fromdusktildawnのブックマーク / 2010年6月3日 - はてなブックマーク

    中国語の大規模掲示板の書き込みを2ch風に翻訳。。元ネタは百度が多し。 (將華語有人氣的BBS留言用2ch的風格來翻譯) ぽっぽ、小沢を道連れにして辞任。 今後の彼は悠々自適の生活に戻るのだろうと思われるが、 それならば最初から総理になんかならずに インド人占い師と一緒に太陽をって暮らしていればよかったんじゃあるまいか。 鳩山首相と小沢幹事長が辞任、4日に民主代表選・菅氏が出馬表明(ロイター) …今回は前置きは要るまい。 以前に下記の記事↓で紹介した、『天涯社区』国際観察板より中国人の反応を訳してみる。 ※参考:【09 衆院選】 インテリ層の中国人が日政治に詳しすぎる 【民主vs自民】  国際観察板、俺が普段訳している百度あたりよりも、 中国のインテリ層が書き込むことが多い掲示板である。 では、ご覧ください。 ――――――――――――――――――――――――――

    heis101
    heis101 2010/06/06
    「この手のつぶやきって、「自分はそうならないようにしよう」という自戒と、「自分はそうはなりたくない」という願望が混じってるけど、自分にも潜在的にそういう要素があるからそういうことを思うんだよね。」
  • fromdusktildawnのブックマーク / 2010年6月3日 - はてなブックマーク

    中国語の大規模掲示板の書き込みを2ch風に翻訳。。元ネタは百度が多し。 (將華語有人氣的BBS留言用2ch的風格來翻譯) ぽっぽ、小沢を道連れにして辞任。 今後の彼は悠々自適の生活に戻るのだろうと思われるが、 それならば最初から総理になんかならずに インド人占い師と一緒に太陽をって暮らしていればよかったんじゃあるまいか。 鳩山首相と小沢幹事長が辞任、4日に民主代表選・菅氏が出馬表明(ロイター) …今回は前置きは要るまい。 以前に下記の記事↓で紹介した、『天涯社区』国際観察板より中国人の反応を訳してみる。 ※参考:【09 衆院選】 インテリ層の中国人が日政治に詳しすぎる 【民主vs自民】  国際観察板、俺が普段訳している百度あたりよりも、 中国のインテリ層が書き込むことが多い掲示板である。 では、ご覧ください。 ――――――――――――――――――――――――――

    heis101
    heis101 2010/06/06
    「身体で理解するには、自分で失敗するか、他人の失敗を至近距離で目撃するか」
  • 理解は大切 - レジデント初期研修用資料

    交渉ごとというのは今のところ、「理解」「説得」「納得」というのが基的な流れであって、納得が達成できなかったときに、話を切り返す起点としての「謝罪」というものがあって、交渉は、このサイクルを回しながら、最終的な「納得」へと導く技術なんだろうと考えている。 いずれにしても、交渉のはじめには「理解」があって、相手に対する理解と、自分自身が何を知っていて、何を知らないのか、きちんと理解していないままに臨んだ交渉は、グダグダになってしまうのだろうと思う。 昔話 3年目ぐらいの頃、僻地の施設に飛ばされていて、患者さんを「追い出す」役割を仰せつかったことがある。 80歳をずいぶん過ぎた糖尿病の患者さんで、糖尿病のコントロール中だったのだけれど、夜になると居酒屋さんに飲みに行ったり、インスリンの量を勝手に変えてみたり、病棟でたばこを吸ったり、とにかく問題が多かった。 その施設に来たばかりの頃、看護師さん

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    heis101 2010/06/06
    「「意識はありません。血圧は○○、脈拍は○○、来たときにはこういう状態で、現在はこういう状況です」なんて、ある程度数字で示せる事実を語った上で、「それでもこの重症度の患者さんとしては、ずいぶん良く…」
  • Amazon.co.jp: 「理科」で歴史を読みなおす (ちくま新書 841): 伊達宗行: 本

    Amazon.co.jp: 「理科」で歴史を読みなおす (ちくま新書 841): 伊達宗行: 本
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    heis101 2010/06/06
  • 論争について - 内田樹の研究室

    ある月刊誌から上野千鶴子と対談して、「おひとりさま」問題について議論してくださいというご依頼があった。 上野さんと対談してくれという依頼はこれまでも何度もあった。 どれもお断りした。 繰り返し書いているように、私は論争というものを好まないからである。 論争というのはそこに加わる人に論敵を「最低の鞍部」で超えることを戦術上要求する。 それは「脊髄反射的」な攻撃性を備えた人間にとってはそれほどむずかしいことではない。 あらゆる論件についてほれぼれするほどスマートに論敵を「超えて」しまう種類の知的能力というものを備えている人は現にいる(村上春樹は『ねじまき鳥クロニクル』でそのような人物の容貌を活写したことがある)。 それは速く走れるとか高く飛び上がれるとかいうのと同じように、例外的な才能である。 でも、そのような才能を評価する習慣を私はずいぶん前に捨てた。 そのような能力はその素質に恵まれた人自

    heis101
    heis101 2010/06/06
    「そのような能力はその素質に恵まれた人自身も、周囲の人もそれほど幸福にしないことがわかったからである。それだけの資質があれば、それをもっと違うことに使う方が「世の中のため」だろうと思う。」