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あとでもっかい読むに関するheis101のブックマーク (5)

  • まだ見ぬプラットフォームに対するガバナンス - アンカテ

    私がテレビを見なくなった理由のひとつは、CMが面白くなくなったからだ。 逆に言えば、テレビを見てしまうのは、なんとなく流しっぱなしにしている所に飛びこんでくるCMの中に、すごく印象的なものがあったからだ。そういう素晴しいCMがあるから、番組が終わってもテレビをつけっぱなしにしていて、つけっぱなしにしているから、そのまま次の番組を見てしまう。 テレビが、全体として一般消費者の時間を獲得する上で、CMの果たした役割は番組よりずっと大きかったと思う。 iPhoneのアプリの中でCMを見せる iAd という仕組みは、そういう「見て面白いコマーシャル」を復活させるのではないかと思う。 iPhone OS4 のイベントの中で、トイストーリーのCMとして、それがデモされている(下記動画の6:10頃から) アプリ内のバナーをクリックするとHTML5で書かれたメニューが出る(6:40) 音声つきキャラクター

    まだ見ぬプラットフォームに対するガバナンス - アンカテ
  • 利害対立と民主主義モデル - on the ground

    吉原直毅「最近思う事:湯浅誠・堤未果『正社員が没落する--貧困スパイラルを止めろ!』(角川新書)を読んで」を読んで、「分断統治」という観点は確かに重要であるとしても、正規・非正規ないし中間層・低所得層という対立軸だけでなく、世代間の対立についての目配りを盛り込んだ議論構成にしなくては、いわゆるロストジェネレーション層への応答なり批判なりにはならないだろうと、若干の違和と物足りなさを覚えた*1。その方面について私には何の専門的知見も無いが、世代の軸を加えるなら、単なる情緒的認識の問題には尽くすことのできない程度の敵対性は存在するのではないか。 無用な対立を煽ることは避けるべきだが、分断統治を目論む上位のプレーヤーが無条件に存在すると前提した上で誰だって仲良くできると考えるのは妄想である。「少なくとも民主主義的政治システムの存在する現代においては」*2、そのような上位のプレーヤーは居ない。「支

    利害対立と民主主義モデル - on the ground
  • 廃棄チャージ理論はおかしい - おやじまんのだめだこりゃ日記

    夢遊病のようにネットをふらふらさまよっていたら、なんだか面白い話題に遭遇した。多分一部では有名なんだろうけど、廃棄チャージってやつ。斜め読みであれなんだが、コンビニのロイヤルティが廃棄分にもかかっているって話らしい。これだけじゃわかりにくいので、MyNewsJapanのセブンイレブン廃棄ロス訴訟、部敗訴も報道されずって記事から一部抜粋してみよう。 たとえば、100円で3個仕入れたおにぎりを150円で売るとする。ロイヤルティーは30%としよう。2個売れて、1個は売れ残って廃棄処分するとする。 通常の企業会計では、売上高は300円。売上原価も300円。利益は出ないから、ロイヤルティーも当然、ゼロのはずだ。 しかし、セブン方式の会計だと、売れたものしかカウントしないから、売上は同じ300円だが、原価は売れた2個分の200円ということになり、粗利は100円、その30%の30円をロイヤルティーとし

  • 規模の経済 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "規模の経済" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2009年9月) 規模の経済(きぼのけいざい、英: economies of scale)とは、生産関数の各生産要素をすべて一定割合で変化させた場合の生産量の変化を指す。狭義には、以下で述べる規模に関して収穫逓増を指す。 簡単化のため生産関数Y は労働L と資K の2変数にのみ依存すると仮定し、Y =F (L , K ) と記述する。このとき、生産関数は生産の規模をλ倍させたときの生産量F (λL , λK ) ともとの生産量Y のλ倍との大小関係によって 規模に関して収穫逓増

  • なんでコミュニケイションが社会的システムの要素だといえるの? - たけみたの脱社会学日記

    オートポイエーシスっていうよね。自己生産のことだよ。それも、なんでも自己生産ってことで、だから構造の自己生産しか考えていなかった自己組織化理論より強力で、ターボチャージャー付いてるってルーマン先生も言ってるよ。 なんでもっていうのは、あるシステムに属するものはなんでもってことで、構造以外に、そのシステムそのものも、要素も、なんであれ一単位(Einheit)として数えられるものはなんでもってことだよ。「あるシステムで一単位として扱われるものは、そのシステムによって一単位として構成されないといけない」っていうよ。 で、このオートポイエーシス的な社会的システムの要素は、コミュニケイションなんだって。ルーマン先生がいうには、コミュニケイションていうのは、情報と、その情報を発信する行為と、その行為の理解の3つの選択的な出来事の綜合なんだって。綜合っていうのは別々のものが合わさって一つになるってことだ

    なんでコミュニケイションが社会的システムの要素だといえるの? - たけみたの脱社会学日記
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