歴史学と社会はいま「接近期」にある。高等学校では「歴史総合」などが始まり、議論や発表を通じて生徒が主体的に歴史を学ぶことが求められるようになっている。「パブリック・ヒストリー」論は「専門家/非専門家」という上下関係ではなく、多様な主体が権威を共有することによってフラットにつながり共同するという関係性を主張して、一定の支持を得ている。ドラマや映画、漫画、ゲームなど、私たちが歴史に接する機会は依然と
「日本書紀などの歴史書はほんの一面的な記録にすぎない。物語にこそ道理に叶(かな)った詳しいことが書かれているのでしょう」。『源氏物語』で展開される名高い物語論である。それから約300年後に編纂(へんさん)された『吾妻鏡』を読むたび、この一節が思い起こされる。 正史の体裁をとった同書は、鎌倉時代を研究する際の根本史料として重視されている。しかし、編纂時の権力者である北条得宗家(北条氏の嫡流)に不都合なことは記されず(省筆)、史実が曲げられていることはつとに知られている。2代将軍頼家は暗愚、3代将軍実朝は文弱といったイメージの形成が代表例だ。同書が伝える歴史は、まさに一面に過ぎないわけである。 本書はそうした先行研究を踏まえつつ、「北条貞時による得宗政権がいかに正統なものであるか、いかに絶対的なものであるかを、歴史的に裏付けるための過去像を創出した物語」が『吾妻鏡』であると指摘。頼朝挙兵や承久
「ウィーン1938年 最後の日々」 [著]高橋義彦 現代美術(アート)の世界でウィーンが話題になることはあまりない。だが、現代美術かどうかを問わず、日本で美術に関心を持つものにとって、ウィーンは最重要の意味を持つ。「美術」という語そのものが、1873(明治6)年に日本政府がウィーンで開催された万博に初めて参加する際に翻訳語として作られたものだ。 わたしはかねてウィーンに関心を持ち、訪ねてきた。が、そこで目にするのは、ヒトラーのナチス・ドイツによる「アンシュルス(オーストリア併合)」が残した傷痕でもあった。本書は、このアンシュルスの前後に、かつてヨーロッパで最大級を誇った芸術都市で、政治家や芸術家により、どのような「輪舞」(19世紀末ウィーンを代表する作家シュニッツラーによる戯曲)が繰り広げられたかを描き出したものである。 精密な資料研究にもとづきながら、著者の筆致はそれこそ輪舞調で、専門書
本書のタイトルにある「昭和天皇拝謁記」とは、戦後の講和前後の時期に初代宮内庁長官を務めた田島道治(みちじ)(1885~1968年)が書き残した、49年から53年にかけての昭和天皇との対話記録である。通常の日記とは異なり、日々の天皇と田島のやりとりだけが記されている。「拝謁記」全文は、日記・関係資料とともに2023年に岩波書店から全7巻の刊行が完結している。本書は「拝謁記」の編集と各巻の解説を執筆した古川隆久氏はじめ6人の研究者と、「拝謁記」の発掘と公開に尽力したジャーナリスト吉見直人(まさと)氏による共著である。 「拝謁記」における天皇と田島のやりとりは、天皇による戦争の回顧・悔恨、戦後の政治・社会情勢に対する天皇の観察と危惧、「象徴」としての役割の模索、秩父宮ら直宮や旧皇族との確執、皇太子への期待など実に多岐にわたっている。また、田島は、天皇が皇太子を「東宮ちゃん」と呼んだり、「~なんだ
ヨーロッパ文明の黎明 ヴィア・ゴードン・チャイルド/近藤 義郎・下垣 仁志 訳 A5上製・630頁 ISBN: 9784814005475 発行年月: 2024/09 本体: 5,700円(税込 6,270円) 体系性を完備した専門分野としての考古学の確立を告げた本書には、この学問がたどることになる軌跡と、その道程で出会う困難と克服へのヒントが既に予告されていた。しかし、そのことを十分に読み込み感得することは、この書物を生涯の「プロジェクト」とした知の巨人ヴィア・ゴードン・チャイルドの、過去と同時代と未来との対峙の構えの全体的な把握なしには困難である。この翻訳事業は、各改版時の変更とその含意の検討を手がかりに「プロジェクト」としての本書の性格を浮き彫りにすることにより、その含意の確実な定位と、その可能性の核心へと読者がそれぞれに接近することを可能にした。 名声高くも謎(エニグマ)的であった
1897年,イギリスのエジプト探検隊は,ナイル中部の失われた古代都市オクシリンコスで,ゴミの山から『トマスによる福音書』が書かれた一葉のパピルス紙を発見した。以後,陸続と発掘されたギリシ… 1897年,イギリスのエジプト探検隊は,ナイル中部の失われた古代都市オクシリンコスで,ゴミの山から『トマスによる福音書』が書かれた一葉のパピルス紙を発見した。以後,陸続と発掘されたギリシア語パピルスは,その地の人々が廃棄した古典文学や聖書の断片,そして個人の手紙や実務文書など膨大な生活の記録であった。 クレオパトラの死により紀元1世紀にプトレマイオス朝が滅亡した後,エジプトはローマ帝国の属州となったが,支配層をギリシア人が占めるギリシア世界であった。彼らはエジプトに同化しながらギリシア文化を拠り所とし,文字はギリシア語で記すことを決めたのである。 本書は,オックスフォード大学で古典ギリシア語教授を務めた
明治維新の三傑の一人、西郷隆盛を兄にもつ西郷従道の伝記は、史料の制約があり、数は少ない。だが、著者は、東大史料編纂(へんさん)所所蔵の「島津家文書」にある書簡(従道に宛てて政治家や軍人などが出した書簡を妻の清子が保存)や、国立国会図書館憲政資料室に所蔵・寄託されている政治家や軍人の関係文書、鹿児島県歴史・美術センター黎明館や宮内庁書陵部などに残された書簡や書類などを渉猟し、「大西郷」の兄に対する「小西郷」の弟という通俗的なイメージから従道像を救い出そうと努力している。 偉大な兄の庇護(ひご)と協力を得て成長してきた従道にとって、西南戦争で「賊軍」の指導者に担ぎ上げられた兄が敗れて自刃に追い込まれたことは衝撃以外のなにものでもなかった。兄が征韓論で敗れて下野するとき、自分が政府に残ることは兄も了承済みだったとはいえ、妻の清子によれば、兄の死を知ったとき、従道は「家の中に入らず庭に佇(たたず)
アメリカ革命-独立戦争から憲法制定、民主主義の拡大まで (中公新書 2817) 著者:上村 剛 出版社:中央公論新社 ジャンル:歴史・地理 「アメリカ革命」 [著]上村剛 18世紀末のアメリカ革命は、日本では民主主義の起源として描かれることが多い。一般的なのは、イギリスの圧政に対して植民地の人々が立ち上がり、自由の国を打ち立てたという物語だろう。だが、こうした見方は建国に携わった白人男性のエリートたちを過度に英雄視するものだ。本書は、最新の研究成果に基づき、このイメージに二つの角度から挑戦する。 第一に、本書はこの革命を民主主義の始まりとしてではなく、世界初の成文憲法の成立として描く。重要なのは、多数の人間が憲法制定に携わったことだ。それ以前は、古代ローマを念頭に、立法者は一人であるべきだとされていたが、アメリカでは植民地を構成する諸邦の代表者が集い、憲法制定会議に参加した。本書は、マディ
左利きの歴史:ヨーロッパ世界における迫害と称賛 著者:ピエール=ミシェル・ベルトラン 出版社:白水社 ジャンル:歴史・地理 「左利きの歴史」 [著]ピエール=ミシェル・ベルトラン わたしは左利きではないが、昔から憧れがあった。ロック史上最高のギタリスト、ジミ・ヘンドリックスは左利きだったが、右利き用のギターをそのまま構えて、誰にも真似(まね)のできない演奏をした。美術の世界に目を向ければ、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、ハンス・ホルバイン、ヤン・ファン・エイク、ヒエロニムス・ボスといった巨匠たちが、抽象画ではカンディンスキーやクレー、加えて迷宮のような絵を描くエッシャーも左利きで、ルネサンスに戻れば、あの「天才」ミケランジェロも矯正された左利きだったらしい。 ところが、西洋社会で左手は長く嫌悪の対象とされてきた。「あらゆる名誉、あらゆる特権、あらゆる高尚さは右手に属し、あらゆる軽蔑、あら
古代地中海世界で宗教はいかに生まれたのか。人びとが神々に呼び掛け、帰属意識をもって実践する「生きられた宗教」が自立的に機能する状態=「パンテオン」が形成される過程を、民衆の宗教観… 古代地中海世界で宗教はいかに生まれたのか。人びとが神々に呼び掛け、帰属意識をもって実践する「生きられた宗教」が自立的に機能する状態=「パンテオン」が形成される過程を、民衆の宗教観、生活の様子から描きだす、古典古代史研究の新たな新地平。Jörg Rüpke, Pantheon: A New History of Roman Religion(Princeton UP, 2018)の全訳。 「生きられた宗教」というテーマパンテオンとは汎神(はんしん)の意で、とくに帝国の公認する神々のすべてが祭られたローマの神殿を指す。高さ・直径とも43メートルの円筒形本堂の天井には円形の大穴が開いており、太陽神を示唆している。そこ
「古代ギリシア」と聞いて、まず思い浮かぶのはアテネのアクロポリス、古代オリンピックとギリシア悲劇、ソクラテスやプラトンの哲学などだろう。しかしそれらは、紀元前5世紀頃から前4世紀末に最盛期を迎えた「古典期ギリシア」の文化だ。歴史上の「古代ギリシア」とは、2000年以上におよぶ長い期間の文明である。その間には、いくつもの文明が興亡を繰り返したのだが、今もその実像はわからないことだらけなのだ――。 「文字使用」も絶えるほどの「文明崩壊」 4月に刊行が始まった「地中海世界の歴史〈全8巻〉」(講談社選書メチエ)の第3巻『白熱する人間たちの都市 エーゲ海とギリシアの文明』から、この海に栄えた文明のドラマを追ってみよう。 著者の本村凌二氏(東京大学名誉教授)は、本書冒頭でこう書き起こしている。 〈ローマ帝国の人々が「われらが海」と自負した地中海、とりわけその東部にあるエーゲ海は紺碧に彩られた人類の愛す
著者:大月 康弘出版社:岩波書店装丁:新書(272ページ)発売日:2024-01-23 ISBN-10:4004320038 ISBN-13:978-4004320036 内容紹介: 世界暦と黙示的文学が終末意識を突き動かすとき、ヨーロッパの歴史は大きく躍動した。古代末期に源流をもつ地中海=ヨーロッパの歴史を、人びとを駆動し「近代」をも産み落とした〈力〉の真相とともに探究する。「世界」を拡大し、統合した〈力〉とは何か。ナショナリズムと国民国家を超えた、汎ヨーロッパ世界展望の旅。 社会の中核を担った「イエ経済」アルプス以北のヨーロッパが歴史の舞台に登場するのはローマ人との出会い以後のこと。そこはまだ大半が鬱蒼とした森林におおわれていたし、小さな村々があり半農半牧の生活にすぎなかった。 地中海を内海とするローマ帝国に編入された地域では、耕地が開発され、葡萄畑も北進していた。古代末期には、ガリア
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