第2次世界大戦後、バルト3国の一つ、ラトビアで日本と中国の文芸文化の紹介に活躍した著者は、満洲(現中国東北部)に生まれ育った。文字通り「一〇の国旗の下で」過ごした前半生を回想したのが本書だ。 1904年、勃発した日露戦争は、帝政ロシア支配下のラトビアから1人の機関士を満洲に呼び寄せた。ロシアが敷設した東清鉄道沿線の小さな村で23年、著者は機関士の息子として生まれた。3年後、父はハルビンに転勤。空に揺れていた中華民国旗は、やがて蔣介石国民党政府の旗に代わった。31年9月、著者はアメリカ国旗の立つYMCAギムナジウムの門をくぐった。ロシア正教の学校で、祝祭日には帝政ロシアの三色旗がはためいた。在留ロシア人と中国人子弟が大半、ユダヤ人やポーランド系などの生徒もいた。同じ9月、日本の関東軍が満洲事変を画策。翌年にはハルビンの空に日の丸と満洲国旗が翻った。
