本稿は,占領下の1947年から1951年にかけての大学管理法構想が,CI&E教育課,文部省,教育刷新委員会の対抗・協調関係のもとでどのように具体化されたかを,明らかにする.今までの研究は,占領文書の分析が不十分で,教育課内部の複雑な事情を検討していない.大学管理法案は,教育課高等教育班のイールズによる外圧から始まったにもかかわらず,日本側は,教育課首脳と協力しながら大学理事会法の制定を防いだ.イールズ案が撤回になった後,民主的に組織され,組合関係者も参加した大学管理法案起草協議会による法案作成という戦後改革でも稀な手続きで法案が作成された. 法案そのものは国会で廃案になったが,大学自治を明確にする点で画期的な内容であった.すなわち,合議制機関としての評議会・教授会の権限を明確にし,執行機関としての学長・学部長の権限を定め,同僚制に基づく学内管理機関と商議会の設置による地域社会への責任の明確