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2018年最初のブログ更新となります。旧年中にお世話になりました皆様には御礼申し上げますとともに,本年も何卒よろしくお願い申し上げます。 以前twitterにて,こんなアンケートが出回っていた。当該ツイートを見失ったが,だいたいこんなような内容だった。 あるアメリカ人が,"I belong to the faculty of economics."と答えた。この人物は学生か教員か? これに対する回答は,「学生」という答えが30%ほど,「教員」という答えが20%ほど,残りが「どちらもあり得る」というものだったように思う。さて,この質問の何が問題なのだろうか。 英和辞典で"faculty"を引くと,通常「学部」という単語が真っ先に出てきて,続いて「大学教員」ないしは「教員組織」という訳語が載っている場合が多いかと思う。確かに日本の場合は「学部」の英語表記を"faculty"としているのだが,
いわゆる「実務」に無関心で、理論的な研究に没頭する研究者集団の牙城という意味でしばしば使われるこの言葉。もともと浮世離れした芸術家を揶揄する言葉だったらしいが、いつの間にか大学批判の文脈で使われるようになった。しかしこのような、社会から離れて研究に没頭するような集団は、根本的に悪なのだろうか。確かに全ての大学がそうであっては困る。しかしいくつかはこのような態度を貫く大学があっても良さそうだが。 「象牙の塔」を擁護するような大学観は、「ユニバーサル段階」に突入した高等教育の現代の状況においては最早時代遅れだ、といった批判をよく目にする。高等教育の発展段階をエリート→マス→ユニバーサルに区分したのはM.トロウだが、このような批判を展開する者は恐らくトロウを読んでいないか、誤読をしている。トロウが示したこの高等教育の発展段階説は、同年齢の高等教育進学率を25%と50%で区切り、このパーセンテージ
Master of Science in Social Policy and Planning(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス)
山口 博史 - 研究ブログ - 三重県出身。三重大学人文学部、名古屋大学文学部卒業。 名古屋大学大学院環境学研究科博士後期課程満期退学。博士(社会学)。 専門は比較社会学、地域・都市社会学である...
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