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学と論に関するhighcampusのブックマーク (111)

  • 読書の自由と解釈の不自由と (1)

    文学批評理論概論 1950-1980 序. 批評理論の批評と理論 発表で扱うのは、今世紀中頃から80年代に至る、英語圏を中心とした文学批評理論の動向の軌跡である。とはいえ、主要な理論全てを取り上げることは、単なる時間の制約という物理的理由もさることながら、発表者の知識の制約という根的理由のため、どうしたところで不可能である。それゆえ、対象の選択には発表者の知識・関心の偏向が強く働いており、また取り上げられた理論にしても、いたって概論的なレヴェルにとどまっているということは、予め断りを入れておこう。 言い訳はともあれ、発表の進め方とその基的視点を明らかにしておく。一口に批評理論と言っても、対象へのアプローチの仕方は多種多様である。そして、それらの理論をたた漫然と列挙した場合、一見すると絢爛豪華に見える発表にはなるだろうが、個々の理論が持つ問題意識や特徴、メリットやデメリットは捉えにく

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    highcampus 2014/01/15
    "「意図に関する誤謬」「情動に関する誤謬」という概念を二本の基準線とすることで、扱う問題群を「作者-作品-読者」という三位一体をなすテーマに集約させ、[…]多種多様な批評理論をわずかであれ整然と"
  • マイマイさん(Minority20)、衛宮切嗣を語る。~その正義、功利主義、絶望について~ - Togetter

    TLを見たらマイマイさん(@Minority20)が、関西では先日連続して放送されたTVアニメ版『Fate/Zero』第23,24話を観て現時点での感想(?)をtweetされていたので、まとめてみました。 はじめてのTogetterなので、ひとまずほぼ時系列で並べただけなやっつけ仕事ですw 【追記】 ご人も言及されている通り、あくまでその時点で放映されているアニメ版24話までのみを観ての、「その時点での」マイマイさん個人の簡単な感想です。私たちが話の途中段階において様々な意見や感想を持つ自由を有するのと同様に、これに対する過度な非難や議論等はご自粛ください。 続きを読む

    マイマイさん(Minority20)、衛宮切嗣を語る。~その正義、功利主義、絶望について~ - Togetter
  • 佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(2011.09.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press

    現代アートの作品を見たときの、あれやこれの疑問と混乱。どこか納得しないまま展覧会を後にした経験が一度はあるだろう。現代アートとどう接すればよいのか、社会の中における芸術の現在位置はどこか。著作『美学への招待』(中公新書)で平易な文章で美学を紹介する、佐々木健一・日大学文理学部教授まで話を伺った。(鴨) ささき・けんいち 1971年、東京大学大学院人文科学研究科美学藝術学博士課程を修了。76年から埼玉大学助教授。その後東京大学文学部助教授をへて、89年に同大学教授。2004年に定年退職し、現在は日大学文理学哲学科教授。東京大学名誉教授。著書に『美学辞典』(95年、東京大学出版会)、『フランスを中心とする18世紀美学史の研究―ウァトーからモーツァルトへ』(99年、岩波書店)、『美学への招待』(04年、中央公論新社)ほか多数。 芸術に対する素朴な疑問 ―現代アートが分かりません。 それは現代

    佐々木健一 日本大学教授「芸術は終わったのか?」(2011.09.16) | 京都大学新聞社/Kyoto University Press
  • なぜゲーミフィケーションは効果的なのか?(Why Gamification Works?)

    「ゲーミフィケーション(gamification)」という言葉をなんとなくわかったつもりで、バズワード的に使う人が増えてきました。当にそれを可能するゲームのメカニズム(game mechanics)を理解してますか?ゲーミフィケーションというすばらしいコンセプトが、自分ではゲームをやりもしない人に、ビジネス上の理由だけでバズワードとして使われてしまうのは残念です。 以前、ゲーミフィケーションについてのNOTEを書きました(「進化するゲーミフィケーション」)。ゲーミフィケーションという言葉の意味を詳しく知りたい方はこのNOTEをご覧ください。時間が経ちゲーミフィケーションという言葉を知る人も増えてきましたので、今回はそのゲーミフィケーションを効果的にするゲームのメカニズムについて、こちらの記事を参考にしながらNOTEにとりたいと思います。 [参考:Mashable「HOW TO: Gami

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    highcampus 2012/01/25
    行動経済学
  • 伊藤計劃『ハーモニー』感想(「ハーモニー」「輪るピングドラム」などネタバレ) - 旧tototo

    「あの、『カエル君 東京を救う』っては、どこにありますか」(輪るピングドラム9話) まず先に書いておくが、あまり面白いではない。というか伊藤計劃についてはデビューしたばっかりの新人が雑誌の都合やネット論壇の都合や作者自身が死んじゃったのやで過剰に持ち上げられてる気がするので、そのへんを差し引けば、こんなもんじゃないかなと思う。 さておき同世代団塊ジュニアのゲーマー世代らしいひねくれ方ではあるのでとっつきやすく、文章は上手で読みやすいし、小ネタは面白い。現実世界の道具が全部バーチャルタグ付けされてて検索簡単になってると結果として部屋を片付けず散らかりっぱなしになる、というPCあるあるネタが繰り返し使われてて、作品全体への類推・投影がなされてるのだが、ソフトウェアが十分に進歩してしまえばハードウェア(棚など)での管理は必要ない、てのがキモだ。 いちおう「虐殺器官」「ハーモニー」とオリジナ

    伊藤計劃『ハーモニー』感想(「ハーモニー」「輪るピングドラム」などネタバレ) - 旧tototo
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    highcampus 2012/01/08
    "ようやく『輪るピングドラム』が東京を主題にすえる。陽毬が探したのは自分のことでも友達のことでも家族のことでもなく「カエル君 東京を救う」で、物語の中の大きな事件は東京の救済である。"/都市論
  • BLACK PAST | 神話の復元――虚淵玄と奈須きのこ(村上祐一)

    あまりにもテレビアニメ『Fate/Zero』が面白かったため、原作であるタイプムーン・ブックスの書籍版を一夜で全部読み返してしまった。この面白さは何なのだろうか。と思ってすこし考えてみたのだが、考えてみて分かったことは、やはりこれは家『Fate/stay night』ないし『Fate/hollow ataraxia』とは違うという事実だった。ノリ的には、虚淵玄がクロード・シモンで奈須きのこがアラン・ロブ=グリエとかそういう感触である。こんな適当なことはフリーペーパーでしか書けまい。しかし私的にはこれはなかなか言いえて妙だというか、半分はちょっと異なるのだが、半分は事態をうまく説明している気がするのだ。 というのはかつてヌーヴォー・ロマンについて語った浅田彰は「シモンは物でロブ=グリエは偽物」という発言を『早稲田文学』でしていたはずである。これを思い出してのことだった。浅田の発言の主旨

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    highcampus 2011/11/30
    「Fate/stay night」「Fate/Zero」
  • 忸怩たるループ0312 情報の欠落 保坂和志『書きあぐねている人のための小説入門』

    12/31 ▼ http://flurry.hp.infoseek.co.jp/200312.html#29_1 http://flurry.hp.infoseek.co.jp/200312.html#29_6 《いくらデイヴィッドが「まず第一に、それを信じてもらわなければならない」と言っても、まあ、やはりそれを単純に信じるにもいかないわけで。》 別に信じる必要はないが、そう書いてあるのは事実。「何が書いてあるか」をあんまり無視されても困る。僕がこだわってたのはそのへんなので。 《単純に理解してしまうと、デイヴィッドは自らの記憶を再構成した「物語」を語ることで、「傍観者として振舞うしかなかった事態」に対する自分のエクスキューズを読者に共有してもらいたがっている、ということになる。》 普通に読めばそうなると思われます。僕もだいたいそのように読んでいました。 じゃ『隣の家の少女』について少し。

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    highcampus 2011/11/13
    "いきなり「晴れた日はよく届くから」って言い出すでしょ? あれは飛躍というか唐突である。なんでそんなこと言い出すのかって情報は欠落している。しかし実はちゃんと瑠璃子さんなりに事情があって"/「雫」
  • 痴漢をみたら、分析せずに、一声かけよう! - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    Twitterで、痴漢を目撃した社会学者のツイートが話題になっている。 社会学研究者だけど初めて痴漢に遭遇したのでいろいろ考えてみた http://togetter.com/li/202503 社会学者の@ymmthrkさんは、電車内で痴漢を目撃しその体験を書きながら、被害者の心理を分析すると同時に、傍観者が声をかけられない状況があることを書いている。それに対して、「傍観者として分析するばかりで、声をかけなかったことを正当化する態度である」という批判が起こった。 私は、痴漢を目撃して、即座に動けないことはあると思う。しかし、@ymmthrkが傍観者である以上に、自身を社会学者としてアイデンティファイし、「その場で見て見ぬふりをすること」と「観察者としての立場を得て、自らを免罪しようとすること」とをすりかえたという批判は避けられないように思う。そう思うのは、@ymmthrkさんが次のようにツ

    痴漢をみたら、分析せずに、一声かけよう! - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
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    highcampus 2011/10/24
    うーん、私人としての行為と学者としての研究を結びつけて考えてよいものか。もちろん完全に切り離せはしないんだけど
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  • 書籍出版 双風舎:【連載】「脳は心を記述できるのか」第3信 「人間」と「言語」、あるいは偶有性のアスペクト

    斎藤環から茂木健一郎への手紙 ■はじめに 茂木さん。2年半のブランクを経て、この往復書簡がゾンビのごとく蘇ったことを、とりあえずはどう受けとめたものでしょう。 ずっと涙目で返信を待ち続けていたものの、私はこの往復書簡はとうに終わったものと考えていました。返信がいただけなかったのは、とても悲しいことではありましたが、その事実もまた「茂木健一郎」という人物の一側面であることを示しえたと考えて、それで満足することにしたのです。 もっともこの企画、茂木さんによるガン無視パフォーマンスによって世間的に有名になったというところもあって、私もずいぶんとおもしろい経験をしました。 いろんな媒体から取材を受けました。たくさんの人たちから「無視されてかわいそうに」と同情していただきました。なかでも、さる著名ミュージシャンは、この企画が往復しないほうに賭けてずいぶん儲けたということで、お礼にとごちそうしてくれま

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    highcampus 2011/09/30
    斎藤環-茂木健一郎/「アバター」"ハリウッド映画に連綿と受けつがれてきたプラトニズム(イデア>現実>虚構)の伝統を、根底からくつがえしちゃった"
  • その話を間違いにするために - 今日から四百

    新自由主義研究会ジジェクの巻。どうも文句を言うばかりになってしまう格好になったが、今回読んだジジェクの著作、現在への介入としてすばらしいと思う、というのが前提での文句でした。述べた通り、新自由主義のイデオロギー的な閉域が、リベラル主義と全体主義(またはそれを含意する社会主義)の鏡像的な二項対立であるなら、ジジェクの「コミュニズム」はその外部として(というか正確にはその外部への志向を稼働させる統制的理念として)おかれる。 コミュニズムというのは、つまり生産するものたちの共同体の理念なわけだが、これはこれまでつぶやいている通り、今回の震災でウィリアムズ的な田舎と都会の問題とともに痛烈に前景化している問題である。生産するものたちの共同体は、「田舎の共同体」であってはならない。つまり、消費者とはべつの一部の生産者の共同体であってはならない。それは田舎/都会、生産者/消費者の分断をこえた、生産す

    その話を間違いにするために - 今日から四百
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    highcampus 2011/09/29
    ジャン=ピエール・デュピュイの『津波の小形而上学』/"「だれかが死んだのか?」と尋ねられたノアは、「お前たちだ」と答え[…]それを聞いた町の大工は[…]「その話を間違いにするために[…]」"
  • ネタバレがあった方が物語は楽しめる? カリフォルニア大学の調査で明らかに | ニコニコニュース

    黒いグラフが「ネタバレあり」、白いグラフが「ネタバレなし」のグループ。作品にもよりますが、ネタバレありのグループの方が、平均評価が高くなっているのが分かります ねとらぼ ゲーマーなら一度くらいは、楽しみにしていたゲームの犯人や結末をバラされて、ショックを受けた経験があるのではないでしょうか。【拡大画像や他の画像】 しかし、カリフォルニア大学の研究チームが行った実験によると、こうしたネタバレは、必ずしも作品の魅力を台無しにはせず、むしろより魅力的にすることが明らかになったそうです。 実験では、学生約30人を「あらかじめ作品の結末を知らされたグループ」と「知らされていないグループ」に分け、それぞれのグループで作品に対する反応がどう変わるかを調査しました。調査に使用されたのは、ロアルド・ダールやアガサ・クリスティーなどの短編小説12編。その結果、意外にも作品の結末を知らされたグループの方が、同じ

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    highcampus 2011/08/17
    "可能性のひとつとして考えられるのは、ネタバレがあった方が、ネタバレなしで読むよりも“より簡単である”ということ。ある調査では、人間の脳は自分が処理しやすいものをより好む"/物語
  • 言語表現の現実味 Reality in Writing: The Written Word & the Spoken Word 山形浩生

    言語表現の現実味 (『群像』1990年夏?) 山形浩生 要約: 語尾の「さ」「よくってよ」といった不自然な、通常は絶対に口にされない表現が大手を振ってまかり通っているのはなぜなのか。多くの物書きが現実の観察を怠っているから、そういう現実にない表現も平気で使えてしまうのだ。 特に名文家でもないし、海外の出版状況に詳しいわけでもないし、ぼくが翻訳者としていささかでもセールスポイントがあるとすれば、機械的な訳の処理と、科学技術に対する常識(この世には、電球の仕組みすら知らないとおぼしき物書きがゴマンといる)と、そして人の会話の現実味だろうと自分では思っている。翻訳を何か文学的な営みだと思っている(思いたい)人間にとっては、機械的な訳の正しさというのはわかるまいが、これについてはまた別の機会に触れよう。ここでは人の会話の現実味について書く。 トマス・ピンチョンも「スロー・ラーナー」(この邦題は何と

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    highcampus 2011/07/28
    "語尾の「さ」「よくってよ」といった不自然な、通常は絶対に口にされない表現が大手を振ってまかり通っているのはなぜなのか。多くの物書きが現実の観察を怠っているから、そういう現実にない表現も平気で使えて"
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    ソウルで平壌式冷麺をべ、北朝鮮を見にイムジン河へ行く 7月のソウルは天気が悪い。東京と同様である。ただ、ソウルは、東京に比べるとかなり涼しい。クーラーが無くても生きていけるレベルの気温である。 ソウルには過去何回か来ていて、幾度か、北朝鮮との国境を見てみたいなと思ったのだけど、国境は、近いと言えば近いけ…

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  • 6÷2(1+2)=9と発表しているバカガジェット通信

    http://getnews.jp/archives/114382上のエントリーでは「6÷2(1+2)=1は間違い、正解は9」としているが正解は「1」である。2(1+2)の時点でこの問題自体がおかしいが、強いて解答すると答えは「1」になる。まずガジェット通信では「四則演算は優先順位があるのはご存じの通り。カッコの中を先に計算しその後に乗算(かけ算)、除算(割り算)を計算する(カッコの中に乗算、除算がある場合はそちらも優先)。」としているがこれは6÷2×(1+2)の場合に成り立つ事である。6÷2×(1+2)だったら答えは確かに9だがここでは乗算記号「×」が省略されている。つまり2(1+2)は一つの「多項式」なのである。数学的な話になるが「a×b」と「ab」では結合力が違う。前者は「単項式×単項式」という「2つの項を掛け合わせたもの」であるのに対して後者は「多項式」であり、「一つの項」である。

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    highcampus 2011/05/09
    数学
  • 可能世界論の可能性/不可能性

    @crow_henmi 次回の #WannaBQ においては、ポストアポカリプスの「大量死/大量生」に対して探偵小説が向き合った困難と克服及びアポカリプス自体をゲーム的想像力の側から書いた作品として「まどマギ」について語ろうとか思ったが、余りにも時勢に流されて大阪なので微妙だ罠。 2011-03-16 19:49:31 @crow_henmi 取り返しの付かないものを取り返そうとしてループすると取り返しの付かないものの個別性が偶有性に後退し、結果として取り返したにもかかわらず価値を失っているという問題は、ゲーム的想像力の中でどのように解決されたかというと、まあひぐらしでありうみねこです。 2011-03-16 19:54:11 @crow_henmi メタ物語レベルでの一回性を構築し、それにより偶有性増大による価値後退をい止め、むしろその繰り返しによって「取り返しの付かないもの」の価値を

    可能世界論の可能性/不可能性
    highcampus
    highcampus 2011/03/19
    "批評における可能世界論の有用性について。「ひぐらし」「うみねこ」「C†C」などを題材に"
  • 評論/文学理論/現代思想 - 十セントの紅茶

    新版 文学とは何か―現代批評理論への招待 作者: テリーイーグルトン,Terry Eagleton,大橋洋一出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 1997/02/26メディア: 単行購入: 3人 クリック: 116回この商品を含むブログ (62件) を見るテクストの快楽 作者: ロラン・バルト,沢崎浩平出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1977/04/08メディア: 単行 クリック: 13回この商品を含むブログ (28件) を見る物語のディスクール―方法論の試み (叢書記号学的実践 (2)) 作者: ジェラール・ジュネット,花輪光,和泉涼一出版社/メーカー: 水声社発売日: 1985/09/01メディア: 単行購入: 3人 クリック: 14回この商品を含むブログ (21件) を見る物語の構造分析 作者: ロラン・バルト,花輪光出版社/メーカー: みすず書房発売日: 1979/1

    評論/文学理論/現代思想 - 十セントの紅茶
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    highcampus 2011/03/18
    ロラン・バルト、浅田彰
  • udkの雑記帳 - 第7回ツンデレ学会で発表してきました -

    NEW ENTRIES [12/25] これからのコンテンツ業界の話をしよう―ソーシャルゲーム・アニメ・ライトノベル市場分析―【C91新刊】 [10/26] サクラノ詩を終えて [10/26] サクラノ詩――櫻の森の上を舞う―― 体験版 感想 すかぢ論2.0(序)梯子の上にある風景 [10/23] サクラノ詩 発売に寄せて―11年の刻を経た私― [08/11] 近況(2014年8月) [08/11] C86新刊告知 『当はこのループ作品がすごい!』 ループ作品評論の決定版! [10/27] 叛逆の物語 感想 ~救済と犠牲の物語あるいは願望の成就と代償の物語、虚淵式ハッピーエンドの物語~ [10/24] WORLD END ECONOMiCA レビュー ~ライトノベルからノベルゲームへの越境~ [07/22] 君と彼女と彼女の恋。 レビュー ~恋愛ゲームを評論する"メタ恋愛ゲーム"が提起し

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    highcampus 2011/02/28
    "「ツンデレの浸透と拡散-ツンデレの功罪とその未来-」というタイトルでツンデレの辿ってきた歴史とその影響を題材に発表" 面白そう
  • nix in desertis:エロゲ終末物と崇高論

    ・理想の終末と崇高(エロゲ文化私観) おもしろい話なので,個別に取り上げる。いろいろエロゲネタバレ注意。 カントに則る古典的な定義では,崇高は数学的崇高と力学的崇高に分けられるが,「終末的崇高」は力学的崇高の一種であり,進化系・分家とも考えられるだろう。もっとも,廃墟を扱うのはロマン主義にとって常套手段であり,これまでの権威の破壊に伴う恐怖と畏敬については,崇高概念誕生の当初から存在していた。こうなってくると先祖探しをしてもしょうもないのだが,明確に結びついたという点ではやはりサルヴァトール・ローザが欠かせないだろう。正直な話,ジョン・マーティン一人に帰するのは違和感が大きい。 18から19世紀の変わり目に,ナショナリズムとともにヨーロッパ中で流行した崇高的ロマン主義は,非常に政治に近い概念であった。ゆえに,その芸術はウィーン体制下において抑圧された。美術の状況をそれぞれ見ると,イギリスで

  • エロゲ文化私観 : 理想の終末と崇高

    2010年07月09日13:02 カテゴリTweetまとめ美学視点 理想の終末と崇高 1999年のノストラダムスの大予言、2000年問題、世紀末とミレニアムという二つの数字的転機が必要以上の恐怖を煽っていた時期がメディアによって作られていた。 およそ十年前のこと、日々を生きるのに精一杯だったであろう当事の記憶の中にも一種しこりのように残っている。過ぎ去ってみれば何も無いものではあったのだが。 1996年公開の映画『Independence day』や1998年の映画『Armageddon』、1999年の映画『End of Days』にしてみても、世紀末の根底に抱えた緊迫を表層に押し出したかのような連続公開だった。 勿論、この20世紀末がまだ遠い時期からも終末を主題にした映画が作られていないわけではない、終末的背景が描かれるのは2005年にSteven Allan Spielbergによって