セカイ系とはポストエヴァンゲリオン症候群のことだ、と言ったのは宇野常寛であり、そもそもぷるにえブックマークで提唱された時から、セカイ系とはエヴァ以降の、という問題意識がその根底に据えられていた概念だったはずだ。 超然主義的セカイ系論は、まずもって多様な方向の模索されたポストエヴァ的想像力*1が三大セカイ系*2的セカイ系へと収斂していく過程*3のダイナミズムを捨象してしまっており、セカイ系が本来持っていた最も美味しい部分を失った、絞りかすだけを問題にする退廃的な態度であり、従って、ポストエヴァ性という時代的・文脈的制約を外したセカイ系論はすべて無価値であると言ってそう大きな取りこぼしはない。 このような切断を積極的に進めた笠井潔が一方で有栖川有栖のパズラー超然論を批判し大量死/大量生理論に拘って見せた、時代的・文脈的制約をこそ重視して見せたのは解せないのだが、バズワードをきっちり自分の守備範
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
もどる ▼ 大塚英志がどこかで(あちこちで)、少女マンガの大きな特徴は、フキダシの外にモノローグないしそれに準ずるものが多用されることだ、といっていた。最近だと、三浦建太郎や板垣恵介が「少女マンガ的な手法」と評されたことを記憶されている方もいるかもしれませんが。 たとえばファンタジーでも少女マンガであるうちはこれはおおむね変わらなくて、紫堂恭子もやはり、ファンタジーというより少女マンガである。 かつて(つまりドン・キホーテの昔には)小説とはキャラの「言動」を描くものであって「内面」を描くものではなかった。その意味でカフカは正しく小説家なのだが、これが特異に見えるとすれば、われわれの時代が、言動から独立した「内面」をすでに前提しているからで、少女マンガの表現はその上になりたっている。 征矢友花『トッペンカムデンへようこそ』4。あいかわらず良い。ひきあいに出して申し訳ないけれど、紫堂恭子その他
▼ http://sto-2.cside7.com/200309_3.html#29_t1 でも、ギャルゲやっちょるときだって「ゲーム」的ななにかを感ずるときはあるではないですか。 (ない? ないか? いや、あるはずだ) なんというか「フラグが立つのが見える瞬間」ってない? そんなシステムが実装されてなくとも、ルート分岐ツリーが脳内に構成されていると実感する瞬間ってあると思うのだけど。 「来た! っっっここが分岐点!」 みたいな。 否定的。とりあえず三点。 そのいち。そういう瞬間がないとは言わない。だが、「非ゲーム的ななにか」を感ずるときも多い。たとえば「攻略」という言葉に抵抗を覚える(ことがある)。 そのに。『「ゲーム」的ななにか』ではなく『「ギャルゲー」的ななにか』(あるいは『分岐型アドベンチャーゲーム的ななにか』、『「ノベルゲーム」的ななにか』)であるように感じられる。少なくとも、無
私はエロゲーに飽きていました。いや、飽き飽きしていた。私は純愛系と言われるジャンルが好きなので、そればっかりやってるのですが、純愛系はノベルゲームが主体です。だから、純愛ノベルゲームばっかりやることになったわけですが、その展開がなかなかにワンパターン。告白して、いちゃいちゃして、セックスして、エンディング。別のキャラクターに変えて、告白して、いちゃいちゃして、セックスして、エンディング。それで5人くらいやったらゲーム終了。これは恣意的な言い方でしょうし、この構造自体に文句はないです。2人の男女の恋物語をゲームにするならこうなって当然でしょう。メインはその間にあった2人の物語がなわけですから、そういう展開に以外に展開のさせようがないですしね。ただ、私は昨今の物語がどうにも好きになれない。純愛系のエロゲーは結構なものが、高校を舞台にしているわけですが、そこで展開される物語に新鮮味がない。もうや
シナリオライター瀬戸口廉也氏のデビュー作であるこのゲームには、父親からの性的暴力のせいで心が歪んでしまったヒロインが登場する。物語は全三部構成で、第三部「トロイメライ」はヒロインのモノローグになっていて、複雑な内面の動きが淡々と語られる*1。 ヒロインが中学三年生のときのクリスマス、仲の良い友達に連れられてカトリックの教会に行く場面がある。この友達は両親が信者なので、生まれたときに洗礼を受けてはいるが、実際には信仰は既に失っている。ミサの後のパーティで、ヒロインが「つまりキリスト教ってどういうもの?」と素朴に質問する。ここのくだりは対話篇みたいで面白い。まず、友達の答えは要約すると大体こういう感じだ。 道徳のネモトを神様に結びつけたものだと思う。他人を殺してやりたいとか死んでしまえばいいのに、と思うことは誰にでもある。思っただけでは逮捕されないが、キリスト教では罪になる。罪の規準は、周りの
Criticism series by Murakami Yuichi;Philosophy of "bishojo" game 第二章 地下の風景【2】 様々なメディアミックスによってコンテンツが生まれている昨今、改めて注目されている作品たちがある。美少女ゲーム。識者によってすでに臨界点さえ指摘された、かつて可能性に満ちていた旧態のメディア作品。だがそうした認識は変わらないままなのか。傍流による結実がなければ光は当たらないのか。そもそも我々は美少女ゲームをどれほど理解しているのか――。巨大な風景の歴史と可能性をいま一度検証する、村上裕一氏の批評シリーズ連載。 †鬼畜の論理 アダルトゲームに発露した不謹慎な欲望を『177』は確かに端的に示しているのだが、しかしこれがまだ未発達の表現であることは明らかだろう。性欲のままに女性を襲うさまはむしろ動物的なのであって、そこに垣間見える人間性はなんと
Fate/stay night ネタバレゲームインプレッション Pasteltown Network Annex 〜 Pastel Gamers / まちばりあかね☆ http://pasteltown.sakura.ne.jp/akane/games/impression/fate.htm ■新たな一回性の獲得〜全体構造を理解した上での再読の醍醐味 素晴らしすぎる。sくん に紹介していただいたサイトだが、あまりの見事な分析に、このくそ忙しいのに、毎日20分ほどFateを再プレイしているほどです。再プレイして、涙が出るほど感動する近作品も凄いが、やはり新しい「視点」を獲得して整理して全体像が理解した上でのプレイは、隅々まで理解がしやすく、一回性の体験にはない「新たな一回性の体験」が獲得出来てうれしい。 ■凛ルートの本質である「自分が楽しむというコンセプト」 僕は、凛ルートに非常に強い感銘を
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
大和 @Tun_Derella @SCA_DI 初めましてこんばんは。素晴らしき日々に影響されて哲学かじってる学生です。今永井均って人の「私・今・そして神」って本読んでますが全くちんぷんかんぷんです…。すば日々の理解を深めるためになにか読んだ方がいい文献はありますか? 2010-07-13 02:34:19 SCA自(すかぢ) @SCA_DI @Tun_Derella 『はじめて考えるときのように―「わかる」ための哲学的道案内 』野矢茂樹(PHP文庫) などどうでしょうか?永井均の哲学はかなり(哲学的)感性に寄っているので向き不向きがあります(ボクはあまり相性が良くないです)。基本書は『<子ども>のための哲学』とか? 2010-07-13 02:44:12 大和 @Tun_Derella @SCA_DI 返信ありがとうございます。学校の図書館で探してみたいと思います。子どもの~も確か永井先
なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO むかし別のところに書いた文章なんだけど、自己参照したいのでこっちにも移植。見たことあるぜ~という方がいらっしゃったらどうもその節はお世話になりました。またあったね!とご挨拶を。一応ベースが『てとてトライオン』の感想になってます。ごく僅かなネタバレはあるかも。 ■選択肢――決定の不可能性について 主体が誰であり何であるかは前もって決まっていると考えれば、決定というものは存在しないと言いたい。言い換えますと、決定というものがあるとすれば、決定は誰や何かを前もって不可能にするとは言わないまでも中立化するに違いありません。誰であり何であるかがわかっていて、それを知っている者が主体だとすれば、決定は、単なる法則の適用にすぎません。言い換えれば、決定があれば、決定の主体はまだ存在せず、決定の対象も存在していないのです。 『てと
~「幸せは、犠牲なしに得られないのか。時代は、不幸なしに超えられないのか」 草間博士「ジャイアントロボ」~ はじめに アニメにも小説にも映画にも、作品としての面白さとは無関係に、思想的に相容れない作品というものがある。 「メガゾーン23part2」の選民思想。 私刑をよしとした「評決のとき」。 殺人犯の身勝手な倫理観に作者が無自覚な「魔術はささやく」。 世界のリセット願望を肯定してしまった「なるたる」。 「たかが絵画より人の命が大事」と、名画に対して許し難い行動をとる「ひまわりの祝祭」。 初めてプレイして半年経ったが、「Fate」も、私のなかではそういう作品の一つに位置づけられている。この小論は、その原因を「犠牲」と「変容」の2つのキーワードからもう一度考えてみたものである。 1 犠牲ということ 私のずっとひっかかっている疑問は、「なぜセイバーを、士郎自らの手で、かくも卑劣で残酷な方法で殺
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