▼ http://sto-2.cside7.com/200309_3.html#29_t1 でも、ギャルゲやっちょるときだって「ゲーム」的ななにかを感ずるときはあるではないですか。 (ない? ないか? いや、あるはずだ) なんというか「フラグが立つのが見える瞬間」ってない? そんなシステムが実装されてなくとも、ルート分岐ツリーが脳内に構成されていると実感する瞬間ってあると思うのだけど。 「来た! っっっここが分岐点!」 みたいな。 否定的。とりあえず三点。 そのいち。そういう瞬間がないとは言わない。だが、「非ゲーム的ななにか」を感ずるときも多い。たとえば「攻略」という言葉に抵抗を覚える(ことがある)。 そのに。『「ゲーム」的ななにか』ではなく『「ギャルゲー」的ななにか』(あるいは『分岐型アドベンチャーゲーム的ななにか』、『「ノベルゲーム」的ななにか』)であるように感じられる。少なくとも、無
質問文に主語がありませんが、それは任意の主語に対して成り立つ質問であると解釈してよろしいのでしょうか。だとしたら、その質問はほんとうに穿った質問ですね。いまのぼくにうまく答えられるかわかりませんが、できるだけ言葉にしてみたいと思います。 なるほどおっしゃる通り、僕にとって目に見えるものも見えないものも、手で触れられるものも触れられないものも、耳で聞き取れる音も聞こえない音も、それら任意の対象すべてが一ノ瀬ことみです。そしてとても残念なことに、すべてが一ノ瀬ことみであるということは、同時にすべてが一ノ瀬ことみではないということと完全に等価なのです。 僕がこのことに気付いたのは、たしか去年のある夏の日ことで、その日ぼくは実家の床の間でカフカの『城』と添い寝していました(そのときは『城』の面白さがよくわからず、『城』を読み始めるたびにすぐ眠ってしまったのです!)。すると無人の居間から突然物音
じつはぼくにとってその質問はまったく無意味なのですが、あえて答えるならば、一ノ瀬ことみを助けるということになるんだと思います。このことについては、まだうまく言葉で伝えられる自信がないのですが、ひとまずぼくがこの解答へ至った理由を以下に書こうと思います。 この質問に解答するために、まず前提として、ぼくにとっての一ノ瀬ことみが、言うなれば非知覚的存在であり、二元論的に言うところの物的世界における発話や行為の指向対象として存在している平沢憂と単純に比較することは出来ないということを言明しておく必要があるでしょう。ぼくがねんどろいど平沢憂を机に飾っている一方で、一ノ瀬ことみに関するイコンやその他の偶像を(twitterにおける自分のアイコンを除いて)いっさい自分の目に触れないようにしているのもこのためです。だから、一ノ瀬ことみがぼくの五感に知覚されることは永久にありません。なぜならぼく自身が、そ
要約 遊びに遊び以上の価値を見出す時、本来であれば単なる遊びを否定する必要はない。 「単なる遊び」を否定したがる人は、「単なる遊び」が都合が悪いと感じているのであり、そこには遊びを権威にしようとする意識が働いていると考えられる。 TRPGと遊び 様々な趣味で言われることですが、TRPGでも、「単なる遊びかどうか」という議論が起きます。 たとえばTRPGという趣味の生産性の話題があります。 xenoth個人の話をしますとTRPGを遊ぶことで勉強になったことはたくさんあります。 中世や古代日本とか偏った分野の歴史や風俗に詳しくなりました。 洋ゲーを遊ぶ過程で英語にも詳しくなりました。*1 そこから例えば「TRPGで学ぶ世界史」や「TRPGで学ぶ英語」なんかは考えられないこともありません。 あるいは、競技のように、練習を通して真剣に実力向上を目指す場として考える場合があります。 プロ野球選手や、
かつてアリストテレスが名指された。名「アリストテレス」は、そこからさまざまな経路を通り配達される。それゆえ名「アリストテレス」はいまや、複数の経路を通過してきた複数の名の集合体である。必然的にそこではさまざまな齟齬が生じる。・・・・・・だからこそ、名「アリストテレス」にはつねに訂正可能性が取り憑く。固有名の単独性を構成し、かつ同時に脅かすその訂正可能性を、ここで前章の議論をうけ「幽霊」と呼ぶことができるだろう。名「アリストテレス」はつねに幽霊に、つまり配達過程で行方不明になってしまった諸々の「アリストテレス」に取り憑かれている。そしてそれら幽霊はネットワーク(伝達回路)の不完全性によって、様相性と複数性の徴のもとで現れる。(強調引用者) ――東浩紀『存在論的、郵便的』新潮社、1998年、128頁―― 東浩紀によると、ある固有名は、他の固有名と混同されたり、内容の異なる複数の名の集合体であっ
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
雪見バーガー @H926 「ゲームの主人公(PC)=プレイヤー(PL)自身」という信仰については、物語に対する種々の欲望(古くは新井素子の『…絶句』とか、最近だと(作品クロスでない本来的な、up主の)『幻想入り』群とか鑑みる)も当然あるが、ドラクエの影響が一番大きいのではないかという気がする。 2010-07-18 13:47:49 雪見バーガー @H926 ドラゴンクエストの勇者が喋らないのは、勇者がプレイヤー自身だから、というのは堀井雄二の発言を追っていれば行き当る(IIIのカンダタ戦(二度目)で「逃げなさい」と言わせてしまったことを後悔もしている。これはドラクエIIIのマスターズクラブ参照。JICC出版局)。 2010-07-18 13:59:29 雪見バーガー @H926 なぜ堀井雄二が「勇者=プレイヤー自身」としたかは各自調査てことで。ともかく、その思想で作られたドラクエで育った
波状言論のサイト へようこそ。 波状言論は、かつて批評家の東浩紀が主宰していた自主出版・流通プロジェクトです。現在その試みは合同会社コンテクチュアズに引き継がれています。 東浩紀は、2000年に公式サイト「hirokiazuma.com」を開設し、一般書籍流通から離れたオルタナティブな批評活動を始めました。2003年にコミック・マーケットへの出店を始め、2004年にメールマガジン「波状言論」を配信、活動を拡大しました。波状言論の活動は自主出版が中心でしたが、その一部は商業出版でも書籍化されました。 波状言論創設の経緯、そこにいたる歩みなどは、波状言論の歩みのページを参照してください。 波状言論 :2003-2005 『波状言論』は、東浩紀が責任編集となり、また発行人となって、2003年12月から2005年1月にかけて1年間の期間限定で発行されたメールマガジンです。現代思想、サブカル、オタク
なすところをしらざればなりFOR I KNOW NOT WHAT I DO むかし別のところに書いた文章なんだけど、自己参照したいのでこっちにも移植。見たことあるぜ~という方がいらっしゃったらどうもその節はお世話になりました。またあったね!とご挨拶を。一応ベースが『てとてトライオン』の感想になってます。ごく僅かなネタバレはあるかも。 ■選択肢――決定の不可能性について 主体が誰であり何であるかは前もって決まっていると考えれば、決定というものは存在しないと言いたい。言い換えますと、決定というものがあるとすれば、決定は誰や何かを前もって不可能にするとは言わないまでも中立化するに違いありません。誰であり何であるかがわかっていて、それを知っている者が主体だとすれば、決定は、単なる法則の適用にすぎません。言い換えれば、決定があれば、決定の主体はまだ存在せず、決定の対象も存在していないのです。 『てと
「Fate/stay night」というゲームにおける主人公、衛宮士郎のあり方は、極めてポストモダン的状況に落ち込んだ人間の、複数のあり方を示していて興味深い。彼はその状況に対して立ち向かい、敗北し、そしてそれを超克するプロセスは、極めて典型的に「ゼロ年代的」であった、といえる。ゆえに「ゼロ年代の想像力」という概念が失効しようとしている今、あえて回顧的に振り返ってみたい。 衛宮士郎は世界喪失者である。これは、彼と世界との間にある「大きな物語」が失効することに拠っている。彼は10年前の聖杯戦争がもたらした大災害において、当たり前のはずの安寧があっという間に焼け落ち、多くの人々が全く無意味に死んでいくという「大量死」を見せ付けられ、自らが生きる意味すらも「確率性」に還元されてしまうという体験をした。多くの人々が全く無意味に死んだように、彼もまたあそこで死んでいたかもしれない。養父である衛宮切嗣
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