日本体協は8日の理事会で、2023年から4年間の国体の実施競技を決め、銃剣道が隔年実施から毎年行われる競技に昇格した。 22年大会まで毎年実施されるボクシングが降格し、クレー射撃とともに隔年実施となった。競技ごとに、ジュニア世代の充実や競技団体のガバナンスなど6項目を点数化し、その合計点に基づいて決めた。
日本体協は8日の理事会で、2023年から4年間の国体の実施競技を決め、銃剣道が隔年実施から毎年行われる競技に昇格した。 22年大会まで毎年実施されるボクシングが降格し、クレー射撃とともに隔年実施となった。競技ごとに、ジュニア世代の充実や競技団体のガバナンスなど6項目を点数化し、その合計点に基づいて決めた。
プロボクシングの元ヘビー級王者、モハメド・アリさんが3日、74歳で死去した。米NBCなど複数の米メディアが報じた。リングの外でもベトナム戦争への反対や、人種差別、信仰の自由をめぐる言動で注目を集め、20世紀の米社会を代表する人物の1人だった。 【写真】1976年6月、アントニオ猪木さんとの試合を前に記者会見するモハメド・アリさん=東京都新宿区 1942年、カシアス・クレイとして米ケンタッキー州ルイビルで生まれ、12歳からボクシングを始めた。60年のローマ五輪で、ライトヘビー級の金メダルを獲得したが、自伝によると、米国へ帰国後に黒人であることを理由にレストランで食事の提供を拒まれ、川に投げ捨てたという。 プロ転向後の64年にヘビー級王者に挑戦。前評判では不利とされたが、「チョウのように舞い、ハチのように刺す」という言葉通りにソニー・リストンを破り、世界王者となった。同じころ、黒人指導者の
来月2日、アメリカのラスベガスでボクシングの「世紀の一戦」が行われます。無敗のまま5階級を制したアメリカのメイウェザー選手と6階級を制したフィリピンのパッキャオ選手の対戦です。パッキャオ選手の故郷、フィリピン南部のミンダナオ島の人々は、この「世紀の一戦」を特別な思いで見守っています。 「フィリピンの英雄」としてパッキャオ選手が人々から尊敬を集める理由はそのサクセスストーリーだけでなく、人柄にもあります。1試合で数十億円ともいわれるファイトマネーを手にするほどの成功を収めたあとも地元に住み続け、人々の暮らしを支援しているのです。病院や図書館、公民館を建設し、幼少時代を過ごした村には150棟の住宅を寄付しました。 パッキャオ選手のボクシングジムは今、かつての自分と同じ境遇の少年たちのためにと無料で開放されています。そのジムでプロを目指す16歳のヴィンス・パラス君には一生、忘れられない思い出があ
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