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宗教とキリストに関するhiro777hiro56のブックマーク (8)

  • イエス・キリストの「空白の18年間」の謎 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    イエスは若い頃世界各地を放浪していた? 「ルカによる福音書」によると、イエスは12歳の時に両親に連れられてエルサレムの神殿に赴いて教師たちの教えを乞うた出来事の後、賢くたくましく成長し、洗礼者ヨハネによる洗礼を受け30歳の時から宣教を始めたそうです。 この間の18年についての記述は第2章52節の一行だけで、その間にイエスが何をやっていたのか一切不明です。イエスが死亡したのは33歳なので、彼の生涯の大半がよく分からないということになります。 わずか3年で世界を変えた活躍をした人なので、10代後半から20代の活発で多感な時代に何か特別な経験をしたに違いないと考える人は大勢いて、中にはこの空白の18年間の間にイエスは世界を放浪し見聞を深めていたに違いない、と主張する人もいます。 1.  12歳から30歳までの空白の約18年 ルカによる福音書第2章42節から51節は、イエスがエルサレムの神殿で両親

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  • 「キリストの墓」数世紀ぶりに開けられる

    エルサレムの聖墳墓教会内で、イエス・キリストの遺体が安置されたという石墓を囲んで建てられた聖堂「エディクラ」の修復作業が行われている。(PHOTOGRAPH BY ODED BALILTY, AP FOR NATIONAL GEOGRAPHIC) イスラエルのエルサレムで、キリストの墓と伝えられる石墓の覆いが数世紀ぶりに取り外された。この墓はエルサレム旧市街の聖墳墓教会内にあり、遅くとも西暦1555年から、おそらくそれよりも何世紀も前からずっと、大理石の板で覆われていた。(参考記事:漆喰の下に12世紀のモザイク画を発見、聖誕教会) 修復プロジェクトの協力者で、米ナショナル ジオグラフィック協会付き考古学者のフレデリック・ヒーバート氏は、「石墓を覆う大理石の板を取り除くと、下に充填材が詰めてあって、その量の多さに驚きました」と言う。「科学的分析にはかなりの時間がかかるでしょうが、ついに、キリ

    「キリストの墓」数世紀ぶりに開けられる
  • 奇妙で怪しげなキリスト教聖人の「聖遺物」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    血、腕、生首そしてアソコ 偉大な宗教家で人々から尊敬された人が亡くなった時、その亡骸や愛用品を人々はこぞって求めました。聖遺物というやつです。 その人の功績や徳を忘れまいとする愛情表現や敬愛・尊敬の気持ちもあったでしょうが、人々が求めたのは聖遺物の「効能」でありました。 聖人の逸話にも依りますが、聖遺物がある街は厄災が降りかからないとか、触れると不治の病が治るとか言われました。 昔からヨーロッパの人々は超自然的な効能を求めて聖遺物を拝みに行ったし、街や教会は「箔をつけるために」なんとかして聖遺物を手に入れようとしました。 ヨーロッパの教会に行けば、結構いろんな街で聖遺物を見ることができます。中には出自怪しげな物も多いのですが。 今回はそんな聖遺物の中でもとびきりの珍品を集めてみました。 1. エデッサのマンディリオン キリストの顔が念写されたタオル マンディリオンとは日語で「自印聖像」と

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  • 【絵画】イエス・キリストの顔はどう変化したか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「神の子」の顔はどのように表現されたか 我々が想像するキリストの顔と言えば、 肩まで垂れた長髪 面長な輪郭 二重でぱっちりした目 こけた頬 口元とあごに生えたヒゲ のような感じでしょうか。 絵が下手な人に「キリスト描いてみて」って無茶ぶりしても、 だいたいこのイメージに従って書いているような気がします。 それにしてもいつの時代からこのイメージが出来上がっているのでしょうか? 初期キリスト教時代のイエス像 とにかくなんかすげーやつ キリストがゴルコダの丘で十字架に磔にされて死亡してから、イエスの弟子たちはローマ帝国各地にイエスの教えを伝えるべく伝道の旅に出ます。 徐々に信者数は増えていったのですが、どうも最初の頃はキリスト像など特に存在しなかったようです。 ヨハネによる黙示録には、イエスの姿についてこのように記述がなされています。 そこでわたしは、わたしと、七つの金の燭台が目についた。それら

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  • 「クリスマスと正月が同居する日本」に世界の宗教家が注目! 寛容の精神に見る、宗教の本質とは - ログミー[o_O]

    「クリスマスと正月が同居する日」に世界の宗教家が注目! 寛容の精神に見る、宗教の質とは Reasons for religion -- a quest for inner peace クリスマスを祝い、除夜の鐘を聞き、神社へ初詣をする日人の宗教観は、しばしば世界から疑問視される。しかし、僧侶の松山大耕氏はこの日人の寛容性こそが宗教の質をとらえているという。宗教上の問題で争いが絶えない世界に対し、日の宗教観を発信していく必要性を語りました。(TEDxKyoto2014より) 日人の独特な宗教観について 松山大耕氏:私は今から35年前、ここ京都のお寺で生まれました。お寺の子どもとして育ちましたけれども、中学校、高校はカトリックの学校に行っていました。 (会場笑) お寺に生まれながら、キリスト教の教育を受ける。これは非常に珍しいことではありましたけれども、家族親族、友達含め皆温かく

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  • 【なぜ消えた?】歴史の彼方に消えたキリスト教異端派7選 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    キリスト教が世界宗教となるまで拡大する要因はいろいろありますが、 一つとして「その時々の為政者が時と場合によって解釈を変えていける普遍性と汎用性があった」ということがあります。 つまり、教えがかーなりざっくりしてた。 時代が変わっても、その都度その時代、またその国・地域に即した解釈ができる柔軟さを持っていたってことですね。 ローマ・カトリック、プロテスタント、ギリシア正教はじめ、主なキリスト教の流派はみなさんご存知の「三位一体説」をもって絶対としています。 神は一つの実体と、「父なる神」・「イエス・キリスト」・「聖霊」の三つの位格を持っている、とされています。 トーシロにゃあよく分かりませんが、聖書解釈や人民統治の諸問題をクリアするには、 これが一番都合が良かったんでしょう、きっと。 キリスト教2000年の歴史の中でも様々な宗派が興り、今でも増え続けていますが、 その中で異端として歴史の彼

    【なぜ消えた?】歴史の彼方に消えたキリスト教異端派7選 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
  • ヨーロッパ政治に息づくキリスト教民主主義/土倉莞爾 - SYNODOS

    現代フランスの代表的な政治哲学者マルセル・ゴーシェによれば、教会と国家の分離、宗教と政治の分離は、政治の価値を高めたと言う。こうした分離に対して、宗教の側は粘り強く勢力を保ち、国家、すなわちライシテ(政教分離の原則)の側は、宗教を打倒する野望を抱いた。 この対立は、国家が、宗教も含め社会のすべてを取り仕切るという考え方と、宗教の自由は社会に厳然と存在し、国家といえどもそれを縛ることがあってはならないとする考え方の闘争であり、その闘争は民主主義の歴史に影を落としてきた。 稿では、第二次世界大戦後のヨーロッパにおける政治と宗教の問題について論じていく。とくにフランスを中心として、カトリック主体の「キリスト教民主主義」に焦点をあてて考察してみたい。 キリスト教民主主義の第二次世界大戦後の貢献として、ヨーロッパ統合をあげることができる。当時、各国で政権与党の座にいたキリスト教民主主義政党は、ヨー

    ヨーロッパ政治に息づくキリスト教民主主義/土倉莞爾 - SYNODOS
  • 「神は生物を進化するよう造った」 現ローマ法王も肯定:朝日新聞デジタル

    宇宙が誕生したビッグバンも進化論も、神の教えと矛盾しない――。ローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は28日、天地創造に関する科学の理論を肯定した。 世界の高名な科学者が集うバチカン科学アカデミーでの会合で語った。法王は「世界の始まりは混乱の産物ではない。創造主の手がビッグバンを必要とした」「神は、自然の法則に従って進化するよう生物を造られた」などと述べた。 旧約聖書は、神が6日間で天地を創造したと記す。地動説を唱えたガリレオへの17世紀の異端裁判などで非科学的と思われがちなバチカンだが、1950年から進化論を認めてきた。 ただ保守派の前法王ベネディクト16世は「神の創造を信仰で理解することと科学による証明は対立しない」と述べる一方で、「進化論はすべての問いに答えてはいない」と発言した。生命の誕生や進化に何らかの「知的計画」が働いたと主張し、米国で支持を集めるキリスト教右派への追い風と受

    「神は生物を進化するよう造った」 現ローマ法王も肯定:朝日新聞デジタル
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