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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (24)

  • 近代文学が終わった後の『文豪とアルケミスト』 - ohnosakiko’s blog

    文豪とアルケミストと小林多喜二と日共産党 - Togetterまとめ 『文豪とアルケミスト』というオンラインゲームで、近代文学の小説家(が現代に転生したもの)がキャラとして多数登場している中に小林多喜二も含まれており、それについて新聞『赤旗』が好意的に取り上げたところ、そのゲームのファンの一部が「政治利用だ」と憤慨しているという話。 それに対し、「小林多喜二はそもそも共産党で‥‥」などのツッコミが多数入っている。言い換えると、「元キャラの背後のコンテクストやコンセプト知ってるの?」。 一種の「断絶」である。 最初は「そういう文脈知らなくてゲームやってて面白いのかな」と思ったが、よく考えてみれば文脈込みで楽しむというのは、この「動物化するポストモダン」の時代には今や古典的態度だ。 「自分たちの好きなもの(蟹のハサミ持った「元反逆児」のキャラという虚構)が、嫌いなもの(左翼という現実)に紐付

    近代文学が終わった後の『文豪とアルケミスト』 - ohnosakiko’s blog
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2017/03/21
    この一連の騒動について、実は多喜二本人ではなくそのお母さんがブチ切れそう。/お母さんが意外に長生きしてしまい批評するのにある程度遠慮してしまう例がありその典型が小林多喜二と寺山修司だと。
  • ヌードクロッキー - ohnosakiko’s blog

    女の裸、男の裸 デザイン専門学校の授業で、なぜかヌード・クロッキーがある。 女性の裸を描くという西欧の長い美術の歴史は、ジェンダー的な観点からいろいろ問題も指摘されているが、それがそのまま日の芸術教育にも受け継がれ、専門学校のカリキュラムにまで登場しているわけである。 男も同じように描けばよいではないか? でも男のヌードを描いたり作ったりするケースは、女に比べて非常に少ない。そういうことに疑義を呈してか、美大では受験時に男性(短パン穿いてる)を描かせるところもあったりする。しかし大学では女性のヌードを描いたり作ったりしていることが、圧倒的に多い。 高校が美術科だったので、学校にはモデルさんがよく来ていた。やはり女性オンリー。 高三の夏休みに受けた予備校の夏期講習でも、女性のヌードモデルが来た。学校で描き慣れているので、平気だ。しかし普通科から来ている男子は、見るからに緊張していた。 そり

    ヌードクロッキー - ohnosakiko’s blog
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2015/04/04
    初めてやるときの緊張感とか外部から見たときの異質さとかやっている人間の真剣さとか医学部の解剖実習とそっくりだなと思う。
  • 『アナと雪の女王』にかかったジェンダー観の砂糖衣 - ohnosakiko’s blog

    「過去、女性は素晴らしい能力があっても、それが”幸せな結婚”に結び付くものでなければ女として生きるのに余計なものであるとして、発揮する機会を奪われてきた。女性の生き方として賞揚されてきたのは、生まれて初めて出会った異性と恋に落ち、一生の愛を誓い合って生きること。しかし今やロマンチックラブのベールは剥がれ、一方で女性が能力を発揮しそれを正しく活用することが、社会の発展にも寄与するということになった」 このようなジェンダー観を、この作品も共有しているように見える。 その上でこの物語を要約すると、 「女は自立や自己解放を追い求めるべきだが、それはこの社会では孤立と紙一重。かといって男はもう当てにならない。なぜなら女がこれまで分断されていたのは、男の作った社会規範のせい(女の特殊な能力を封印させるのもその一つ)だから。頼れるのは同じ女だけ。シスターフッド万歳! ただし男社会での出世を望まない男なら

    『アナと雪の女王』にかかったジェンダー観の砂糖衣 - ohnosakiko’s blog
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2014/04/14
    真っ先に思い出したのがONE PIECEのビビ。ただこっちは明解な敵の存在があった。
  • 作曲家の”嘘”と視聴者の期待 - ohnosakiko’s blog

    聴覚障害の作曲家 別人が作曲 NHKニュース 人生中途で耳が聴こえなくなった作曲家が障害と闘いながら交響曲などを書き、CDを18万枚も売り上げ、NHKスペシャルでも感動の涙を絞っていたらしい。ところが実は耳の状態悪化で、十数年前から別の人に構想を伝えて作曲を依頼していたことを、人が明かした。 上記のニュースのブックマークコメントを見ると、「客が音でなく物語を消費している」「モノを物自身の価値でなく、付加価値(この場合はストーリー性)有りきで消費する」といったコメントに賛同者が多い。 かつてNHKスペシャルを見て感動した人の反応記事も上がっていた。 ギャフン! ギャフン! ギャフン! - 北沢かえるの働けば自由になる日記 ここでも「私たちは物語を消費したがり過ぎている」という言葉があった。 Mamoru Samuragochi : I'm a fraud, admits "Japan's

    作曲家の”嘘”と視聴者の期待 - ohnosakiko’s blog
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2014/02/06
    楽曲よりも本人が前に出ていたからその分叩く力が半端なくなっている印象。ただアウトサイダーアートに対する受容の仕方とか考えると視聴する側の責任も結構大きいのではないかとは思う。
  • 野蛮な食べ方 - ohnosakiko’s blog

    30歳を過ぎるまで、カラスミというものをべたことがなかった。そういう珍味が世の中にあることも知らなかった。 結婚して数年経った頃、お歳暮かなんかで九州の人からカラスミを頂いた。 「なにこれ」 「カラスミ。ボラの卵巣を塩漬けにしたやつ。ったことないか」 「ない」 「酒のあてに最高だぞ」 「へえー(ワクワク)」。 薄くスライスして皿に並べた。見たとこ奈良漬けそっくりだ。なんかパッとしないべ物だね。しかし一切れ齧ってみると‥‥ナニコレウマイ! 日酒を飲みながら「おいしいねー」と喜んでカラスミを口に放り込んでいたら、「おいおい」と夫に咎められた。 「そうパクパクうなて。奈良漬けじゃないんだから。これ、幾らするか知ってるか」 「知らない」 「五千円はする」 「えっ、そんなに」 「チビリチビリとべるもんなの、こういうのは。パクパクうもんじゃないの」 そうなんだ。 滋賀の人から鮒寿司が送ら

    野蛮な食べ方 - ohnosakiko’s blog
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2014/01/22
    ストリングチーズを黙々と細かく裂いていて、よし食べるかと思った矢先に妹が横からかっさらって一気に口に入れたので殴り合いのけんかになった。
  • 路地の奥、記憶の底、そして「青春の残滓」 - ohnosakiko’s blog

    10代の終わりから20代前半にかけての5年間、東京に住んでいた。5年のうち4年半くらいが池袋。パルコがDCブランド展開で賑い、西武美術館が刺激的な展覧会を連発し、改装前の文芸坐があって、サンシャイン60が出来た頃。その昔、青江三奈の『池袋の夜』で歌われたイメージが払拭されようとしている時期だった。 名古屋に帰ってきてからもう30年余りになる。最初のうちは知人友人のも含めて展覧会を観に(たまに自分がやりに)、毎月のように上京していたが今では年に数回行くくらいになった。池袋にはほとんど用事がなく、自分の住んでいたあたりになると32年間まったく足を向けていない。 ある時ふと、昔住んでいた街に行ってみたくなった。グーグルマップは見ないで、実際に歩きながら変貌を確かめたいと思った。 池袋東口を出て明治通り沿いに歩いていき、商店街の道を折れる。平屋の個人商店や民家が並び、ところどころ緑があったこの通り

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    hiruhikoando
    hiruhikoando 2014/01/20
    池袋は住まなかったけど通ってたから様々な感情が出てくる。経験はないけど感覚として分かるなあと。/そういえば堤清二氏逝去の際に誰かセゾン美術館を回顧してくれないかなあと思っていたが。
  • 上映中にコミュニケーションする人 - ohnosakiko’s blog

    公開中の『かぐや姫の物語』を観に行った時のこと。日曜日で”映画の日”、しかも「三歳未満入場可」だったので、小さな子ども連れもいるだろう‥‥ということは、途中で子どもの声に視聴を多少邪魔される可能性あり。それでもまあいいかと思って出かけた。 客席は6〜7分の入り。同じ列に子ども連れが3組いた。左の方に座ったのは小学校4、5年くらいの女子とお母さん。右に一つおいて座ったのは、それより少し小さいたぶん小学生の女子とお父さん。その向こうに5歳と2歳くらいの幼児を含む4、5人の家族連れ。 さてこの中で、周囲の人々の視聴を一番邪魔したのは誰でしょう。 幼児でも小学生でも、もちろんお母さんたちでもない。隣のお父さんの男性だった。 物語が始まってすぐ、その男性が普通の声で娘に話しかけたのが聞こえた。何と言っていたか忘れたが、スクリーンに映っているものについての感想だったと思う。ヒソヒソ声や低めた声ではない

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    hiruhikoando
    hiruhikoando 2013/12/08
    過渡期だろうな。/ただ鑑賞中無意識に隣の相棒に「これ、どうよ?」と小声で感想を求めたらしく、後で指摘されて狼狽したことがある。
  • 「偉い男」ほど厄介なことになる - ohnosakiko’s blog

    父が入居している有料老人ホームの、介護士の人に聞いた話である。 「施設に入って認知症が急速に進むのは、女性より男性です。その中でも多いのが、会社の社長さんとか学校の先生。社会的には「偉い立場」で、ずっとこれまで自分が指図する側で来た人ですね。それが、環境が変わって人から看てもらうようになった時、気持ち的に自分の立場を受け入れられなくて、おかしくなってしまう」。 そうでしょうとも‥‥と、父を見ていて思った。 社長さんはどうなのか知らないが、教師は現在、大昔に言われたような「偉い人」ではない。「先生」が「先生」というだけで一応尊敬の眼差しで見られた時代は、とうに過ぎ去った。でも今、老人ホームにいる人は「先生がまだ偉かった時代」を生きてきた人である。89歳の父はまさにその典型だろう。 高校教師を長年勤め、頭のてっぺんから足の先までガチガチの先生気質だった父。家族の上にも父親兼教師として君臨してき

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    hiruhikoando 2013/11/24
    もし自分の行く末がこうなる可能性が非常に高いので背筋が冷たくなる。/レクうんぬんよりともかく専門家といい従事者といい圧倒的に人手が足りないんだよ。その中でどうにかしようたって限界が見えるよ。
  • 「山本太郎お手紙事件」に見るメシア願望 - ohnosakiko’s blog

    話題としては既に古くなった、山太郎参院議員が秋の園遊会で天皇に手紙を渡したという”事件”。この件で最初に思い出したのは、かつて斎藤環が『新潮45』9月号の速水健朗との対談「「ヤンキー政治」にご用心!」で、山太郎について言った「ニューエイジヤンキー」という言葉だ。 速水健朗の意見は、「山太郎の支持層とヤンキーはあまり結び付かない」し、あれは「左翼が陰謀史観に流れていく典型」というもの。一方、斎藤環は「ヤンキーがインテリの思惑の中で別の可能性を開いてしまった特異例」だとし、山太郎人はヤンキー的だと言う。 山太郎は「ある地点で思考停止してしまう面があり、極端な危ない証拠を連呼するだけで、客観性を保つための情報収集を拒否」している「シンプルすぎる非知反原発」。だがそのシンプルさ、見かけのわかりやすさでポピュラリティも獲得した。そうした性質は、斎藤環が言うところの「ニューエイジヤンキー」

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    hiruhikoando 2013/11/18
    こないだ見せた茂木健一郎のウォーホル崇拝にも同じ病根がある気がしてたが。
  • 「お世話になっております」の世界 - ohnosakiko’s blog

    仕事のメールの冒頭に必ず「お世話になっております」とつけるのは、何故なんだろう。 世事に疎い私だが、最初にそのメールをもらったのは、非常勤で行っている私立学校の教務からの事務連絡だった。こちらはその学校に講師として雇われている、つまり「どちらかというと、こちらがお世話になっている」という感覚があったので、少し戸惑った。 たとえば生徒の親が講師に「お世話になっております」と言うことはあっても、学校側が講師にそれを言うのは変じゃないか? 私は労働力を提供して報酬を貰っているのであって、別に学校を「お世話」したことはないわけだし。 そう思っていたところ、別の勤務先の常勤講師の人から電話があった。その人も冒頭で「いつもお世話になっております。◯◯校の△△です」と言った。私は急いで「こちらこそお世話になっております」と返した。 常勤講師は組織に属する人だから、この場合は学校を代表して喋っているのだろ

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    hiruhikoando 2013/11/15
    拝啓と敬具、あるいはDearとSincerely。How are you?のやり取りが陳腐そのものでこれ外人本気でやらんだろ?と思ったら旅行で行ったニューヨークでちゃんとやっててビックリした。
  • 「公募展」をめぐって - ohnosakiko’s blog

    茂木健一郎による「国立新美術館」と「公募展」批判 - Togetter 公募展をめぐるツイートあれこれ - Togetter 会田誠とパルコキノシタの公募団体に対するやりとり - Togetter 脳科学者の茂木健一郎氏が国立新美術館で開催されていた『アメリカン・ポップアート展』に感動しつつ、その会場の隣で開催されていた公募団体展*1 を「ポリシーなし、キュレーションなし、単なる愛好者の団体」「「国立新美術館」でやる「公募展」が「アレ」なんてことは、まともなアート関係者はみなわかっているのに、誰もそれを言わない」「現代のアートにつながる文脈や批評性は、ないから」「あるのは年功序列と新陳代謝のない停滞」とコキおろしていたのに対し、Twitterでさまざまな反応が出ていた。 面白かったので、「公募展」で検索して出てきたtweetの中から、個人的に目に止まったものをピックアップし、勝手な補足や自

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    hiruhikoando
    hiruhikoando 2013/10/26
    茂木発言のどこに強い憤りがあったのか考え直して、比較対象がウォーホルだったのがさらにムカついた事を思い出した。価値観が80年代のぴあのまま。ウォーホルの仮面をかぶったコンサバてな感じ。
  • 好きなアーティスト、嫌いなアーティスト - ohnosakiko’s blog

    前の記事のUst発言起こしの部分で持ち出されている「美大生の好きなアーティスト、嫌いなアーティスト」というのを、自分の講義(名古屋芸術大学での「ジェンダー入門」)を受けている学生対象でやってみた。 講義題に入る前に、出席票の裏に書いてもらう。1. 書くのは強制ではない、2. 美術周辺のアーティスト限定、3. 集計してブログで紹介するかもしれない、ということを伝えてある。 133人のうち7割方がデザイン科の学生で、また1年生が7割くらいを占める。*1回答したのは70人。 集計したが「得票数1票」が非常に多いので、見た目にわかりやすくするため、日人(戦後生まれのアーティスト(画家、美術家として紹介されている人)/戦前生まれのアーティスト/イラストレーター/マンガ家、アニメ作家/デザイナー)、外国人(同じ)の順に並べた。※はそれらに分類できない人。 なかなかカオスです。 ●好きなアーティスト

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    hiruhikoando
    hiruhikoando 2013/10/13
    こういうアンケートに「北方謙三」と書くというアート?
  • 「でも」を重ねる女・・・『女の園』を観て - ohnosakiko’s blog

    木下惠介生誕100年 「女の園」 [DVD] 出版社/メーカー: 松竹発売日: 2012/08/29メディア: DVDこの商品を含むブログ (9件) を見る木下惠介監督作品『女の園』(1954) をDVDで。戦前のような良賢母教育を貫く全寮制の京都の名門女子大を舞台に、旧態依然とした規則で縛る教師と反抗する女子学生たちの軋轢をドラマチックに描いた群像劇(原作は阿部知二『空中庭園』)。 旧世代の女vs若い女という構図は明確で、高峰三枝子演じる厳格な寮母を中心に、学校側の封建性は圧倒的な権力として描き出される。かといって、学園民主化を求める女子学生の側を、ただ賛辞するような雰囲気にもしていないところが面白い。50年代のいわゆる「逆コース」を時代背景とした左翼知識人たちの構図を反映させている部分もありそうだが、後のフェミニズムの中の女性たちのさまざまな相としても見られるところが、個人的にはポイ

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    hiruhikoando
    hiruhikoando 2013/09/29
    当時キネマ旬報では『七人の侍』より上にコレ。あり得ん。/あと酷すぎるオチが…。当時大人気の高峰秀子を確保するのが至難だったからって…。
  • 美術史は歴史修正主義のカタマリ - ohnosakiko’s blog

    ヤンキー、ニューエイジ、ラッセン(そしてアート‥‥) だんだん記憶が蘇ってきたので、トークイベント実況Togetterに拾われてない自分発言を、若干言葉を補いながらメモしておきます。 「歴史修正主義*1と言うと政治の論争になるのだけど、アートはむしろ歴史修正主義のカタマリ。というか、それまでの歴史を誰がどう書き換えそれを「正史」とするかの、闘争の歴史だった。たとえば椹木野衣企画の『日ゼロ年』展(1999〜2000、水戸芸術館)は「リセット」を謳って、現代アートの村上隆、会田誠など(奈良美智の名を出したけど入ってなかったですね、すみません)から岡太郎や横尾忠則、そして成田亨でしたっけ‥‥(すかさず速水・斎藤両氏から「特撮の怪獣の‥‥」とフォローあり)まで入れていた。アートからサブカルまで横断的に。でもラッセンはそこから漏れていた」*2 ここから補足。 『日ゼロ年』展にラッセン(やヒロ・

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    hiruhikoando 2013/09/03
    アンリ・ルソーやアンドリュー・ワイエスみたいに文脈から離れたところに「奇跡的な人」が出てきたから、今でも粗製濫造の中に何か転がってないか期待してしまう所が。/あと最近はチャイナ界隈がひどい。
  • 菜穂子の油絵と1920〜30年代の美術 - ジブリ『風立ちぬ』より - ohnosakiko’s blog

    前記事のコメント欄のやりとりから。 >私は美術大学なので、友人もみな菜穂子の絵にばっちり注目して「めっちゃフォービズムだった」などと話しているものですから 私も、ちょっとだけ映った菜穂子の絵、かなりアヴァンギャルドで気になりました。ブラマンクみたいな荒々しい筆遣いでしたね。もう一回観て確認したいです。 http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20130730/p1#c1375373636 確認を兼ねて二度目の鑑賞をしてきた。菜穂子の油絵が登場する箇所は、全部で3回あった。 1. 1933(昭和8)年、軽井沢に赴いた堀越二郎が、成長した菜穂子と再会する時。 菜穂子は戸外にイーゼルを立てて油絵を描いている。ちなみにこの場面を切り取った映画ポスターについて、モネが自分のを描いた『日傘をさす女』を下敷きにしているのではないかということは、既にあちこちで指摘されている。

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    hiruhikoando 2013/08/05
    こういう考察もハマる下準備の凄さ。やはり宮崎駿が帰ってきた感じ。
  • 八代亜紀の絵を描いたのは「誰」か? - ohnosakiko’s blog

    一昨日発売の『週刊文春』5月23日号に、”「『八代亜紀作』の絵は私が描きました」 大物演歌歌手の盗作疑惑を告発”という記事が3ページに渡って掲載されている。 ●リード 演歌の大御所・八代亜紀は「画家」としての顔も持つ。箱根には広大なアトリエがあり、フランスの権威ある展覧会に入選したほどの腕前という。だが、「八代亜紀作」の絵画は当に自分自身で描いたものなのか? 偶然の一致とは考えにくい重大な疑惑が浮上した。 記事のあらましは以下。 証言者の一人目は美大生のAさんで、予備校時代、別の部屋に10人くらいが集められ、アクリル絵の具でや麦わら帽子などの絵を描かされたことが何度かあった。携帯やカメラの持ち込みは禁止。八代亜紀の名前は出されず、絵はすべて回収された。後にバラエティ番組で自分たちの描いたのと同じモチーフ、同じ構図、同じパースの絵が、八代亜紀作の絵と紹介されていて驚いた。 もう一人の現在

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    hiruhikoando 2013/05/19
    八代亜紀の絵を見たことがあるけど本当に無個性で「なんでこんなの書くのに指導を受けているのだろうか」と思うほど。/工藤静香とか城戸真亜子辺りもその匂いがするんだよなあ。ガチなのはジミーちゃんだけでは。
  • 変な顔なのに、美しい - 剛力彩芽の造形美 - ohnosakiko’s blog

    剛力彩芽、その顔が天才だ! - 逆襲のブロガー 続・剛力天才論 - 逆襲のブロガー 剛力彩芽について熱く語っているid:yoghurtさんに、二番目の記事でブコメを取り上げて頂いたので、私もちょっと語ってみたくなった。 普段あまりテレビを見ない私が剛力彩芽を最初に認識したのは、スーパーの中に掲示されていた小さな広告の写真(森永乳業か山崎パンか忘れた)。「ちょっと変わった顔? でも好きなタイプ」と思った。それ以降、雑誌やテレビに登場するのを意識して観察するようになった。メディアにものすごく露出が多いのを知ったのは実は最近。(一部で?)「ブス」だと言われているのも最近知った。 ブスはあんまりだ。でもファニーフェイスと言えば近いと思う。喩えが古過ぎるが、目の小さいあっさり顔なところが若い頃のシャーリー・マクレーンっぽい。正統派の美人ではないマクレーンはよくファニーフェイスと言われていた。 「出過

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    hiruhikoando 2013/01/18
    綾瀬はるかや武井咲が美人と認識されて剛力彩芽や蒼井優は論争が起きる。ちょっと理不尽な。/山口百恵よりも初期の森昌子的な。
  • 父の娘たち・・・渡邉泰子と木嶋佳苗(‥‥そして私) - ohnosakiko’s blog

    一週間ほど前に美容室で手に取った『婦人公論』誌上にて、北原みのりが東電OL殺人事件の被害者、渡邉泰子と、結婚詐欺・連続不審死事件の被疑者、木嶋佳苗との共通点を、「父の娘」であることだと書いていた。それが二人の性的逸脱行動になんらかの影響を及ぼしたのではないかという趣旨のエッセイで、関係が詳しく論じられていたわけではない。*1 自他ともに認める「父の娘」だった私としては気になるところ。 渡邉泰子と木嶋佳苗。いずれも長女で、知的階層の高い厳格なタイプの父親に愛され、教育的な家庭環境で優等生として育てられた。そしてどちらも父を亡くしている(渡邉泰子の父は病死、木嶋佳苗の父は事故死だが自殺の可能性も疑われている)。 以下、彼女たちのプロフィールをざっと書き出してみる。 1957年生まれの渡邉泰子は、東大出身で東京電力勤務の父をもち、幼い頃から父の期待に応える優秀な娘だったという。20歳の時に、役員

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    hiruhikoando 2012/07/01
    連想するのがうちの妹なのがなんとも。理想の彼氏像が親父そっくり。幸運にも親父はまだ元気なのだが。
  • 母なるものに覆われゆく社会 - 『トイレの神様」に感動し「タイガーマスク運動」に癒される - ohnosakiko’s blog

    トイレの神様が大嫌いな奥様 この「トイレ」を連呼する曲の何がそんなにいいんだ?と首を傾げていてYouTubeに付いた絶賛コメントを見て仰天したのが半年ほど前だったが、当然アンチもいるわけで、上の2ちゃんスレには、小学生の作文で感動押し売り、老人受けのお涙頂戴、ドヤ顔の婚活ソング、介護も手伝わず「待っててくれたんやね」は虫がいい、などなどdisが溢れている。 その中で、目に止まった発言。 683 :可愛い奥様:2011/01/13(木) 11:48:52 ID:X+dBXoAv0 この曲で感動する人達≒伊達直人 な気がしてきたw 実際はどうだかわからないが、「‥‥な気がして」くるのは確かだ。トイレ掃除というのは一般に誰もが一番やりたくない汚れ仕事だから、それを積極的に行うことに意義が見出される。児童養護施設への匿名の寄付も地味で利他的な行為。いずれも重要視されているのは、目立たないもの/こと

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    hiruhikoando 2011/01/14
    楽曲の批評する際に気をつけなければならないのは大ヒット曲ほどそのアーティストにとって一番「異質」な曲がヒットする場合が多いという事。一曲の批評でアーティストの人格まで踏み込んでいるが果たして?
  • 「おばさん」という呼称 - ohnosakiko’s blog

    だいぶ前の友人の話。 彼女と旅行に行き、土産物屋に入っていろいろ物色していた。レジには歳の頃50代半ばくらいの中年女性が座っていた。やっと決まったお土産品をレジに持っていくと、その人は奥の座敷の方に引っ込んでしまったのかいない。そこで彼女が、 「おばさん!おばさーん!お・ば・さぁーーん!」 と、座敷の方に向かって何度も大きな声で呼んだ。 するとさっきの中年女性が出てきて、ものすごく不機嫌そうな顔で無言で会計をしたという。 友人曰く「いやどこから見てもおばさんだったけどさ、あんなふうに呼びかけられたら誰でも厭だろって。普通はすみませーんとかもしもーしとか言うもんだよねぇ?」 私曰く「おばさん連呼は拙かったね。おばさん年齢でも、そう呼ばれたくない人結構いるし」 彼女曰く「やっぱりそう?‥‥でも悪気は全然なかったのよ」 友人・私「そういう問題じゃない」 ● 「おばさん」には二種類の意味がある。父

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    hiruhikoando 2010/08/10
    うちの店で叔母が働いているのだが店の中で「叔母さん」と呼ぶことは本人によって厳禁されている。おかげで同じく手伝ってもらっている母(叔母の姉)からクレームが入ったり妙な事態になっている。