『最後のソ連世代 ブレジネフからペレストロイカまで』(アレクセイ・ユルチャク 著 半谷 史郎 訳) 働き方改革関連法案について野党議員が質問した。残業を大幅に認める法案は実質的には過労死の合法化ではないか。首相が答えた。「過労死の合法化という批判はまったくあたりません」。もしも「我々は過労死を合法化しようと思っておりません」とでも答弁したら、「いや、思っているでしょう」とか、反論しやすくなる。動詞の現在形を多く使うと、言葉の応酬が続きやすい。しかし首相は「過労死の合法化という批判」と名詞でまとめたうえ全否定で結ぶ。名詞には時制がない。いつの話だかあいまいにできる。それを「まったく」で受ける。とりつくしまがない。 今年の国会の一場面。本書を思った。ソ連の政治的言語の用法の歴史が語られる。それはスターリン時代には後に比べると生き生きとしていた。動詞を多用して議論になりやすい文章が当たり前。とい